西国巡礼第6番札所:壺阪寺

壺阪寺
こないだ、ひょんなことから、鎌倉のお寺さんを巡っている人に会いましてね、仏像話で盛り上がってしまいましたですよ。
めっちゃ詳しい人で、オレは東国方面はよく知らないですから、すんごい勉強にもなって、メチャクチャ盛り上がってしまいましたわ〜。
鎌倉といえば、12世紀後半の動乱を経て、源頼朝が幕府を開いた新興都市ですな。ま、今さら新興都市もへったくれもないですが。 その鎌倉には、日本各地の名刹とおなじ名前を掲げる新寺院が、いくつも出来たらしいですね。
そういえば、奈良の長谷寺と同名の長谷寺が、今も鎌倉にはあります。
すでに移転したりなくなったりしたけれども、長野の善光寺や京都の清涼寺、清水寺を移した寺院も、かつては存在していたのだとか。
よく考えてみると、これら元になったお寺さんは、いずれも特徴的な仏像を本尊に仰いでます。
長谷寺は、錫杖を持った十一面観音像。 善光寺は阿弥陀如来像ですが、袈裟を両肩に掛け、両脇の観音菩薩と勢至菩薩がひとつの光背に収まってます。
そういう仏像が、鎌倉ではそっくりそのまま模倣されていた、と。
これはどうしたことか、というのが話の主題だったのですが、どうもね、もとの仏像に備わっている霊験を、新都市の鎌倉にもたらすためだったのでは、というのが、結論で。
「霊験」の「験」というのは、「しるし」の意味です。たとえば、壱岐の神が海中に火光を発して漂流者を浜に導く霊験を現した、なんてことが、古い文献、たとえば古事記なんかには記してあったりします。
この場合は、仏ならぬ神ですが、光という「しるし」によって、人々を救っていた、ということです。
さて、ここ壺阪寺。
西国巡礼の第6番札所のお寺さん。
ここは、長谷寺と並んで、「霊験の蘭若」と呼ばれてます。霊験の寺という意味ですな。
霊験は、なんらかの具体的な「しるし」によって、神仏が人々の願いに応えるものであって、本来は、特定の場所で起こる現象です。
で、そこにいらっしゃる本尊が、やがて、霊験を現す仏さんであることが強調されるようになる、と。
だから、人は、霊験を求めて、お寺さんに参拝したりするわけです。
そもそも、 長谷寺の十一面観音は、たたりを起こす神木を仏像の材料としたもので、その頭上の仏面は、火災の際、自ら飛び去って難を逃れたと伝えられています。
善光寺の阿弥陀如来も、インドから百済に飛来し、その足で日本にやってきた霊像とされています。
壺阪寺の十一面千手観音は、平城京を開いた元正天皇が眼病の治癒を祈ったところ快癒したと伝えられています。
中世になると、霊場参詣も、救済してくれる特定の霊験仏に出会うことが主な目的になってくるので、そういう流れのなかで、鎌倉幕府は、名高い霊験の寺を模倣し、仏像を模刻し、東国にも霊験が現れるように願ったのではないか、というようなことを、2人で妄想してました。
じつは、運慶が、こうした模刻を東国でさんざん行なっているのですが、運慶が伝説的な名匠になったのは、仏像の見事さもさることながら、それが霊験仏だと伝えられてきたことも大きいのではないか、と、オレは思ったりもするのですね。
今でもそうだけれども、見事な美術品(仏像は美術品ではないけれども)をつくった程度では、伝説的な人物にまで祭り上げられないと思うのですね。みんながみんな、目利きなわけじゃないし(笑)
それこそ、そこに、伝説めいたカバー・ストーリーがあってこそ、なのだと思うのですが、霊験がある、とうお話が、運営の造った仏像には引っ付いていたんじゃなかろうか、と、楽しい夢想をね、2人でしていたのでした。
さて話はとめどなく横道へ逸れていくのだけれども、壺阪寺には、これでもかと仏像が、それも大仏がおわします。
もうね、ありすぎてありがたみが薄れるほどで(笑)
釈迦が誕生してから涅槃に入るまでの生涯を伝える仏伝図の巨大レリーフもねー、とりあえず、なんでもかんでもデカいんですわ。 そんな、仏像のテーマパークみたいなお寺さん。

壺阪寺

壺阪寺

壺阪寺

壺阪寺

壺阪寺

壺阪寺

壺阪寺

壺阪寺

壺阪寺

壺阪寺

壺阪寺

壺阪寺

壺阪寺

壺阪寺

壺阪寺

壺阪寺

壺阪寺

壺阪寺

壺阪寺

壺阪寺

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壺阪寺

壺阪寺

壺阪寺

壺阪寺

壺阪寺

壺阪寺

壺阪寺

Flickrに画像あります。
壺阪寺:西国巡礼第6番札所(2013.5.6)

壺阪寺(南法華寺)

奈良県高市郡高取町壷阪3

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