「ビルの谷間の歴史と未来 – キタ界隈のまち歩き」

「ビルの谷間の歴史と未来 - キタ界隈のまち歩き」

昨日、阪急東通商店街やお初天神通商店街を含むあのあたりの歓楽街で構成する「キタ歓楽街環境浄化推進協議会」と富国生命ビルにある「アサヒ ラボ・ガーデン」のコラボイベント「ビルの谷間の歴史と未来 – キタ界隈のまち歩き」が開催され、主催者側のスタッフとして参加してきました。
70名の応募がありましたが、キャパのこともあり、抽選で48名のご参加となりました。抽選に漏れた方、ごめんなさい。加えて、19名のスタッフと案内人による一行です。
まち歩きイベントは、よく考えたら、めっちゃ久しぶりの参加。
案内人は、大阪のあちこちでまち歩きの案内人をされている西俣稔さん。
今回のコースは、富国生命ビルのアサヒラボガーデンをスタートして、お初天神通り商店街→元・梅田北小学校→露天神社→梅新交差点→法清寺(かしくの寺)横→中央病院跡→曽根崎公設市場跡→ごて地蔵
です。
もちろん、まち歩きファンにこの界隈のことを知ってもらうためのまち歩きだけれども、それだけじゃなくて、普段からこの地域のまちづくりに携わっている人たちにこそ、まちの歴史を知ることで今後のまちづくりに生かしていこう、という思いもあります。
未来に向けてのヒントは過去の歴史のなかにこそあるというのは、どんなジャンルであっても普遍の真理ですな。
まち案内では、案内人の西俣さんが、要所要所でテンポよくまちの歴史を話してくれます。
梅田はもともとが低湿地の田んぼを埋めたことから「埋田」と呼ばれていたけど、江戸時代初期に「うめだ墓地」がつくられた際、墓で埋田は縁起が悪いと、「梅」の字があてられ、いわゆる好字化が行なわれました。
阪急埋田百貨店、埋田地下センター…、好字化がなされてなかったらと思いと、今のような繁栄はなかったかもしれないですね(笑)
梅田は、ひとことで言うと、阪急の小林一三がつくったと言えるかもしれません。
その彼の名前が、隣の駅の「十三」に使われてますな。
公設市場裏は、今でも路地が巡らされている迷路みたいなところですが、ここ、むかしの道がそのまま残っています。
かつての村の区分計画では、道は「五」の字につくられることが多かったようです。「十」字の碁盤ではなく、行き止まりがたくさんある「五」の字です。そうすることで、外からの侵入を難しくする狙いがあったよう。公設市場裏には、それがわかる、行き止まりがたくさんある路地が点在しています。
露天神社では、滅多に入ることのできない参集殿にて、吉澤克規宮司による「曽根崎と神社の歴史」、お初天神通り商店街の高橋易子さんによる「商店街の今昔」のお話が行なわれました。
この参集殿には僕も一回しか入ったことがないし、お話もおもしろかったですね。
特に、「曽根崎」の語源は初めて聞きました。
「埆」あるいは「口へんに角」の漢字を知ってますか? 僕は知りませんでした。
「そね」と読むのだそうです。海岸や河原で石がごろごろしている場所を指す漢字なのだそうです。
曽根崎をはじめ、かつての大阪は河内湾の海だし、洲が繋がって河内湖になり、その後、今の地形になるわけです。
湾は生駒の麓まで入り込んでいたので、大阪の最古の神社祭は生駒あたりに集中しているわけですが、そういうことが、「曽根崎」の語源からもわかるわけです。
ちなみに、北区には「黒崎」「山崎」「野崎」「豊崎」「中崎」「曽根崎」と「崎」のつく地名が多いですが、海岸線がそのあたりにあったことを示していますね。
ちなみに、「長柄」は、大阪唯一の陸地だった上町台地が細長く伸びた先の地形から、名付けられています。
他、大阪市の市章にもなっている「澪標(みおつくし)」についての話も。
船が航行するための海路の目印が「澪標」ですが、元は「水尾津串」。浅瀬にあって水の深いところが「水尾(みお)」でそこがわかるように串を刺したので、「水尾津串」
露天神社は別名「お初天神」。もちろん、お初と徳兵衛の心中事件「曾根崎心中」縁の地なので、その名前がついてます。
ここで、「心中」についてのお話がありました。
このへんは、僕も詳しいです!
この時代、心中というのは、二人以上の合意による自殺でも嘱託殺人でもなく、「まことの心意、まごころ」を意味する言葉で、それが転じて「他人に対して義理立てをする」意味から、「心中立」(しんじゅうだて)とされ、特に男女が愛情を守り通すことを指します。
義理立ての証の表現にはいろいろありまして、軽い順から、誓いを立てる「誓詞」にはじまり、爪を剥ぐ「放爪」、「断髪」、「入れ墨」、「切り指」、腕や腿に刀の刃にかけて肉を貫く「貫肉」があり、もっとも重いものが、一緒に死ぬことですね。
江戸時代、大ヒットしたのが、近松門左衛門の人形浄瑠璃「曾根崎心中」です。
それまでの人形浄瑠璃は、ヤマトタケル伝説や義経物語など、よく知られた伝説や伝承を描くものが多かったわけですが、このとき初めて、現代劇が描かれたわけです。ワイドショーの再現VTRみたいなもんです。なんせ、実際の心中事件が4/7に起こり、それが5/7に初演を迎えたわけだから、ほぼリアルタイムで、観客のなかには、実際にお初や徳兵衛の顔を知っている人もいるという状況です。
以後、心中ものをはじめとする現代劇としての人形浄瑠璃はトレンドとなっていき、新しい潮流を生み出したエポックメイキングな作品ですな。
ちなみに、同時期の江戸では大石内蔵助の討ち入りが勃発し、その話で持ち切り。一方の上方では、町人と遊女の心中事件。江戸と上方のコントラストは、このふたつに象徴されてますね。
などなど。
こんだけ書いてもほんの一部ですが、そういう歴史的な事象やルーツを、今のまちに残る痕跡から紐解き、わかりやすくお話していただきました。
最近のまち歩きは、ニッチな小ネタやトリビアが主流であったり、食べ歩きがあったり、体験型のものがあったりで、いろいろと工夫されているものが多く、今回のような歴史を真正面から取り上げるものは、かえって新鮮で、僕個人は、こうしたもののほうが好きです。
第2弾、第3弾もやりましょう☆

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