つひまぶ春号「GOGO!巡礼」ドロップしたので、 宗教と巡礼と聖地と観光について

巡礼

「つひまぶ」春号、ドロップしました。
今回は、「GOGO!巡礼」です。
西国三十三所巡礼やお遍路だけでなく、じつは大阪にもたくさんの巡礼路があって、北区の神社仏閣が含まれているものもあります。
そういうものを集めてみました。

配布場所も増えてます。このブログの右サイドバーにずらずらっと並んでいるので、ぜひぜひ手に入れてください。
もちろん、PDF版もあります。

つひまぶ「GOGO!巡礼号」PDF版

中崎町の山伏さん(←いらっしゃるんですよ!)に、本気の巡礼を語ってもらい、そのあとは、気軽にできるカジュアルな巡礼、聖地巡りなど。
もちろん、御朱印もたくさん揃えました。
天満界隈でかつては賑わっていた「お大師さんの日」も。

区がかかわるもので、宗教色のあるコンテンツを出すのは、おそらく初めてだと思うのだけれども、今の時代、宗教と真正面から向き合うと、とてもしんどいものになります。ISISとかあるからね。
なら、んなもんやらなくてもいいんでないかい、ということにもなるわけですが、どーしてもやりたい理由もあったのです。それは、後述します。

さて、宗教と真正面から向き合うのはしんどいので、キーにしたのは、「巡礼」と「聖地」です。

巡礼や聖地と聞いて、多くの人は、何を思い浮かべますかね?
お遍路、西国三十三所巡礼、熊野古道、富士登山、パワースポット巡り…、近年、聖地巡礼の人気はうなぎのぼりです。JRをはじめとする各電鉄や旅行代理店は、こぞってキャンペーンを張っています。
ここ数年は、伊勢神宮、出雲大社の遷宮にあたったことから、両社は空前の参拝ブーム。
もちろん、聖地巡礼は古くからおこなわれてきたし、今でも修学旅行で京都や奈良の寺社を巡るのは定番でしょう。

海外に目を転じると、スペイン北西部の大聖堂を目指すサンティアゴ・デ・コンポステラ、エルサレムやローマ、イスラムのメッカ、ヒンドゥの聖地・バラナシ、アポリジニの聖地・エアーズロック…、いろんな場所が思い浮かんできます。
そんなふうに、日本にも海外にも、無数の巡礼や聖地が存在します。

聖地といえば、なにも宗教がらみばかりではないですね。
たとえば、甲子園は高校球児の聖地です。「セーラームーン」における赤坂氷川神社、「天地無用!」における太老神社などなど。アニメがきっかけとなって聖地化した場所もたくさんあります。
さらには、パワースポット。これもまた、聖地の一種です。京都の清明神社や鞍馬寺、沖縄の斎場御嶽は、パワースポットとして人気があります。

宗教的な結びつきのあるものから、そうでないものまで、巡礼や聖地にもさまざまあります。
宗教的な聖地や巡礼にかぎって見ても、それが純・宗教的な行為なのかというと、どーもそうではない。

たとえば、僕も西国三十三所巡礼をやっています(番外も含めて、あと5ヶ寺くらい。残ってるのは全部遠いんだ、これが)。でも、特に、仏教を熱心に信仰しているわけではないです。だいたい、僕の名前の「ルイス」は、キリスト教会でもらった名前です。そっちもまた、なんちゃって、ですが(笑)
そこには癒しもあれば、ふりかえり、建築や仏像、仏教文化への興味、まち歩きなど、動機はさまざまあるけれども、純然たる宗教的な動機ではなく、乱暴にくくってしまうなら、観光です。物見遊山ですね。

ただ、こうした、宗教と観光の結びつきは、むかしから見られてきたものでもあります。
たとえば、江戸時代には「おかげまいり」が大流行しました。何度かのブームがあって、最盛期には、数百万人の群衆が、伊勢神宮の参拝を目指して旅したのでした。十返舎一九の「東海道中膝栗毛」に詳しいけれども、この巡礼には、たぶんに観光の要素が含まれていたようです。実際、ガイドブックまでが出版されたといいます。
当時、幕府の政策では庶民階層の移動は厳しく制限されており、物見遊山のためだけに旅することが難しかったなか、おかげまいりは、庶民が普段暮らしている場所を離れて旅をするための、絶好の口実となっていました。
こうした、宗教的な動機と観光の共存は、古典落語の演目「大山詣り」にも見出せます。
この噺には、江戸庶民の信仰の厚かった相模の大山阿夫利神社への巡礼を題材にし、呑んべえでケンカっぱやい江戸っ子たちの珍騒動が活写されています。その描写からは、神社への参拝だけでなく、旅のプロセスそのものが娯楽になっていたことがわかります。志ん生の名人芸はYouTubeで見ることができるので、ぜひ、ご賞覧を。
もっとも、江戸時代には、そもそも、純粋な観光旅行や純粋な巡礼は存在してなかったので(そんなものは庶民には許されていなかったのですよ)、両者は、結びついていたというよりも、未分化の状態にあったと言うべきですな。

ということを鑑みると、「観光」という行動は、現代の聖地巡礼について考えるうえで、重要なキーになります。

フランスを出発してスペイン北西部の大聖堂を目指すサンティアゴ・デ・コンポステラは、数百キロを数ヶ月かけて歩くという、時間的にも体力的にも厳しい巡礼です。1980年代には2000人程度だった巡礼者数が、今ではなんと、常に10万人を超えているといいます。僕も、いつかは行きたい。
数年前、僕の知り合いが、定年退職後にこの巡礼に向かいました。
彼は、信仰から巡礼をしたのかといえば、そうではない。熱心なキリスト信者でもないし、教会に足を運んだことがあるのかどうかも、怪しい。それでも彼は、この交通手段の発達した時代に、数百キロにおよぶ巡礼路を、あえて、徒歩で踏破した。もちろん彼は、自らを宗教的に高めるために、あえて自身に苦行を課したのではないのです。きわめて個人的な動機によって、それはおこなわれたようです。そして、そういう人は多いと聞きます。
そのような状況は、サンティアゴ・デ・コンポステラだけに見られるものではなく、遍路やパワースポット巡りなどにも似たような傾向が見出せます。

聖地には、すでに多くの観光客の姿があります。
一方で熱心な信仰を持つ人や、日常生活において宗教が中心になる場面は、減りつつあります。
たとえば、多くの日本人は、初詣、冠婚葬祭、旅行を除けば、神社仏閣にはあまり行かない。特に若い世代では、必ずしも家に仏壇や神棚があるわけではないし、朝夕それに手を合わせる人となると、ほとんどいないのではないか。そして、神社仏閣や教会を訪れる数少ない機会が、じつは、観光なのではないかと思うのです。
では、こうした「不信心者」が、雑誌やテレビを通じて「恋愛成就に効くパワースポット」としての鈴虫寺や地主神社を知り、そこを訪れたとすると、それは宗教的な巡礼なのだろうか、それとも観光なのだろうか。あるいは、この人は、巡礼者なのだろうか。それとも観光客なのだろうか。

そういうことを考えると、もはや、巡礼や聖地を、観光と宗教にはっきりと分化させることは無理筋です。

僕たちが生きる現代社会は、言うまでもなく、近代化を経て成立しました。
この近代化の歩みは、社会が宗教から解放される過程でもありました。簡単に言えば、このプロセスは、「世俗化」です。社会の大多数が超越的存在を信じていた状況から、社会の大多数がそれを信じなくなる状況への移行です。
現代社会とかつての前近代社会のあり方を比較してみると、よくわかります。

キリスト教を国教としてきたヨーロッパの多くの国では、どこに行っても、たいてい、その中心に教会が建てられています。一日のリズムは、教会の鐘によって管理され、毎週日曜の礼拝は単なる宗教儀礼ではなく、その参加者が教会を中心とするコミュニティの一員であることを確認する機能を持っていました。
日本では、江戸時代初期に、主にキリスト教の禁止を目的として寺請制度が敷かれ、現代の檀家制度に続く日本独特の仏教制度が生まれました。これは、事実上、仏教を国の宗教と定め、寺にコミュニティの管理を委託する施策でもありました。
前近代社会においては、宗教は、文字通り社会の中心に位置し、すみずみまで影響力を及ぼしていました。もちろん、なにからなにまで宗教一辺倒の世界だったわけではないにしても、法律は宗教的な倫理や規範の影響下にあり、宗教にとって代わる強力な世界観や価値観が他にあるわけではなかったですね。宗教が、天蓋のように、社会全体を覆っていました。

こうした宗教の支配や存在感が切り崩されるのが、世俗化です。
世俗化が進んだ社会では、生活のさまざまな局面で、合理的に考え、振る舞うことが求められます。結婚や葬式のような個人的に重大な出来事でも、宗教的な儀礼や手続きだけでは済まされません。役所で所定の手続きをおこなわなければ、それらは社会的に承認されません。
ヨーロッパでも、日曜礼拝に集まるのは一部の高齢者にかぎられているのが、今の現状です。
地方都市では、教会が売りに出され、サーカスの練習場やカーペット店に転用されることも珍しくないといいます(天井が高いから、そういう建物を求めている業界にとっては、教会は人気の物件)。
信じられないかもしれないけれども、イスラム増加傾向の今、昼間はキリスト教の礼拝をおこない、夜になるとイスラムの礼拝のためにレンタルされるケースすら報告されてます。

さて、宗教を前提としない世俗化社会は、支配的な価値観や文化がない社会ですな。
最低限のルールを定める法律を除けば、ある人がどのような倫理や規範に基いて振る舞うのかが、不明瞭な社会でもあります。殺人のような絶対悪の善悪の議論については、それほど必要ないかもしれない。
でも、尊厳死、中絶、同性婚、臓器移植、麻薬使用など、倫理や価値観が問われる問題については、誰がどのようなスタンスをとるのかは、まったくもって自明ではないですね。

世俗化によって、特定の宗教が公的な地位を失い、それによって価値観や世界観は多様化します。その結果、人々は、同じコミュニティに属しているという感覚を持つことが難しくなります。
そうした社会では、宗教が社会全体の方向性を決めることはないどころか、むしろ、政治や教育といった公的な領域から徐々に排除されます。区が発行にかかわる刊行物に宗教的なコンテンツがないのは、そのためです。
では、宗教は社会のなかでどのように位置付けられるかというと、人類学者のルックマンは、「宗教表象の詰め合わせ」と表しています。

ルックマンの著書『見えない宗教』から引きます。

宗教表象の詰め合わせ。
ルーズな聖なるコスモスは、消費者によって、全体として内面化されることはない。そうではなくて、「自律的」な消費者は、いろいろな宗教的主題を、提供されている詰め合わせから取捨選択し、それらを、やや心もとない個人の「究極的」意味体系にまとめ上げる。かくして、個人の宗教意識は、もはや「公的」モデルの複写ないし相似形とはならない。

つまり、特定宗教の共有がなくなった世俗化社会では、宗教は人々が個人的に振る舞ううえで参考にするために、その都度、任意に選んで購入する商品のようになる、と、彼は言っています。

その代表的なものは、おそらく、ヨガですな。
元来はインドの伝統的な宗教技法であったヨガは、70年代のスピリチュアル・ブームを経て、今では健康維持やダイエットのためにスポーツジムのプログラムとして提供されています。本格的な教義の勉強に進む人もいるだろうけれども、多くは、宗教とは無関係なものとして受け入れています。

さらに、このスピリチュアルという言葉がクセモノで、この言葉が用いられるときは、既存の宗教とはかかわりの薄い宗教性を指しているケースが多く、つまりは、スピリチュアリティとは、宗教の私事化の結果、伝統的な宗教組織の外側で生じた私的な信仰の多様性に対応する言葉、なのだと思います。

長々と社会における宗教の位置付けの変容について語ってきたけれども、聖地巡礼に戻ります。
現代の聖地巡礼は、これまで書いてきたような、宗教の私事化の影響を大きく受ける領域です。

伝統的に、聖地は、宗教制度や教団によって管理されてきました。聖地には、そこがなぜ特別なのかを語る物語が付属しています。宗教制度や教団は、そこにどのような物語を乗せるのかを決めることで、聖地の在りかたをコントールしてきたとも言えます。
どんな神社仏閣にもそれぞれに由緒があり、どのような経緯でその場所に神仏が祀られるようになったのかが、示されています。

たとえば、富士山は木花之佐久夜毘売命(このはなのさくやひめのみこと)とかかわる場所であり、山そのものが浅間神社のご神体です。
たとえば、高野山の奥の院には、山を開いた開祖・弘法大師を祀る廟があるけれども、真言宗では、空海は亡くなったのではなくて入定したとされ、今でも祀のなかで瞑想を続けていると信じられています。そのため、空海のための食事を廟に運ぶ生身供(しょうじんく)の儀式が、今でも毎日続けられています。
というように、聖地は、その場を管理する宗教集団の神話や伝承と結びつくからこそ、特別な場所になり得るわけです。
でも、私事化が進む社会では、宗教集団が掲げる物語は、その場所にまつわる数ある物語のひとつにすぎなくなってしまいます。宗教集団に属さず、伝統的な信仰を持たない個々人が、さまざまな物語を聖地に持ち込むからです。

僕がおこなっている西国三十三所巡礼や、僕の知り合いがおこなったサンティアゴ・デ・コンポステラもまた、信仰なき巡礼です。こうした、信仰なき巡礼こそが、私事化の帰結であると、僕は考えます。
現代の巡礼者たちは、聖ヤコブに関するカトリック世界の物語を歴史的事実として受け入れているわけではないですね。空海の超人的な逸話の数々を、そのまま受け入れているわけではない。でも、巡礼によって精神を高めたり、自己実現を果たしたいと考える人は、増え続ける一方です。つまり、場所と伝統的な宗教の物語が区別して捉えられている、ということです。

おもしろい例を挙げます。
札幌に、明治に創建された北海道神宮があります。もともとはロシアに対する北方防衛の象徴としての意味合いを持った、政治的な色合いの濃い神社です。敷地内には、北海道発展の基礎を築いた人々を祭神とする開拓神社、鉱山での殉職者を祀る札幌鉱霊神社、北海道拓殖銀行の物故者を祀る穂多木神社があり、北海道の歴史と地域と強く反映した場所です。
ところが、です。この神社がここ数年、北海道最大のパワースポットとなっています。恋愛成就や金運向上のために良いエネルギーをもらえる場所だと信じて訪れる人が、増え続けているといいます。
さらに昨今の観光施策によって、北海道全体に台湾人やタイ人の観光客が増えたことで、北海道神宮は、外国人旅行者の観光ルートに組み込まれ、タイ語で書かれた絵馬が数多く奉納され、台湾語のおみくじまで用意されています。
このように、人々は、神道とも北方防衛や北海道開拓の記憶とも無関係に、北海道神宮を訪れるわけです。
パワースポットして北海道神宮を訪れる人々は、雑誌やテレビで流布される、パワーがもらえる!といった惹句に触れ、エネルギーをもらうために、イチョウや杉の大木に抱きつき、手をかざします。そこには、「気」や「不思議な力」といった、べつの文脈にあった概念が、神道の世界と結びつけられています。

現代の巡礼者は、メディアを通じて雑多な宗教的情報を獲得し、そのなかから自分の好みのものを取捨選択して組み合わせます。宗教の私事化、です。

パワースポット・ブームの背景には、自分の趣味や嗜好を重視する新しい宗教的感性の台頭があるのはまちがいないだろうし、私事化社会では、人は、既存の宗教の在りかたには満足せず、自己流の信念や実践をつくり出します。パワースポットは、そのトレンドのわかりやすい例です。

さらに言えば、聖地巡礼は、個々人の関心や価値観が細分化された社会にあって、共同性を生み出す契機にもなります。ある場所が聖地とされることで、そこに暮らす人々やそこを訪ねる人々が、場所に根ざしたアイデンティティや帰属感を持てるようになるかもしれない。

その一例は、アニメにおける聖地巡礼に見ることができます。
聖地巡礼型の観光のなかで、漫画やアニメ、ゲームなどに由来するものが、ここ数年、脚光を浴びています。
「らき☆すた」の埼玉県鷲宮町、「朝霧の巫女」の広島県三次市、「おねがい☆ティーチャー」の長野県大町市、「ひぐらしのなく頃に」の岐阜県白川村、「かんなぎ」の宮城県七ヶ浜町などなど。いくらでも挙げることができます。
古い人は覚えているかもしれないけれども、昭和50~60年代の漫画「軽井沢シンドローム」に描かれた喫茶店(軽井沢市)を訪ねる行為は、まごうことなき、聖地巡礼です。

この、サブカルチャーに由来する聖地巡礼型の観光の最大の特徴は、巡礼者/観光客が、その場所や地域への強い愛着を持っているため、受け入れ側である地域住民とのあいだで、地域の持つ価値が共有されやすいことにあります。
そのため、観光客と地域住民のあいだが単純な消費者と生産者の関係とはならず、協働の仕組みが構築されやすい構図になっていて、新しい可能性すら孕んでいます。
実際、鷲宮町では、巡礼者向けの催しを開催するだけでなく、ともに地域のお祭りを楽しんだりする動きもあるようです。

とまあ、そのような巡礼と聖地であれば、宗教と真正面から向き合うことなく、編集できるのではないか、と、挑んだのが、つひまぶ今号の「GOGO!巡礼」です。

ほんまは、全体を俯瞰するこのようなテキストを書きたかったんですが、そのスペースは到底なく、その代わりに、それぞれの事例を紹介することで、現代の巡礼がどんなものかを把握できるような編集を目指したのでした。
残念なのは、サブカルチャーの巡礼事例を挙げることができなかったこと。これ、北区内では見当たらないのです。
かろうじて、堂山は、LGBTの聖地となり得るかもしれない。たしかに堂山は、性的にマイノリティーの人たちが集まっているまちだし、全国的に認知されている場所ではあるけれども、彼ら彼女らのアジール(避難所)にはなっていても、聖地と呼べるほど雑多な人たちを惹きつけているかというと、そうではないと思うのですね。

今号の「GOGO!巡礼」特集は、太古から続く熊野修験の奥駈にはじまり、最後はお気楽に御朱印を並べてみせるフェティシズム全開の企画です。
宗教行事なのか観光なのかようわからんのが、巡礼です。
なので、それぞれの心構えでおこなえるのが、現代の巡礼であり、むかしからその傾向があったのが、巡礼です。

春です。
巡礼に出てみてください。

あ、冒頭に書いた、つひまぶで宗教色のあるコンテンツをどうしてもやりたかった理由。
これは、また機会をあらためて書きます。キーになるのは、大阪は商業都市であるだけでなく宗教都市でもあるということを、あたらめて紹介したかったから。五木寛之、内田樹、中沢新一の各氏が述べていることは、僕の捉える大阪と、ほぼ全面的に重なっています。

写真は、今号の特集で登場していただいた、中崎の山伏である青山さんが山伏仲間とおこなった、道頓堀六地蔵の巡礼でのひとこま。5年前のこと。
この写真からも、巡礼が純・宗教行事である以上のことが見えてくると思います。

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