江戸期の天満〜伏見を結ぶ淀川三十石船の航路図「大川便覧」

 

淀川便覧001

江戸期、大阪の天満と京都の伏見は、淀川三十石船で結ばれていました。
水運として、伏見の酒をはじめ、多くの物資が淀川(今の大川ね)を往来していて、大阪・天満発展の歴史は、これ抜きには語れません。

もちろん、伏見で終わるんじゃなくて、伏見で荷揚げされた荷物は高瀬川を走る高瀬舟に乗せて、京の町まで運ばれます。高瀬川は、京都の二条から鴨川の水を引いてつくった運河で、1614年(慶長14年)、角倉以了が拓いてます。彼を祀る菩提寺が嵐山の大悲閣千光寺で、僕はこのお寺さんが大好きなのですが、それはまたべつの話なので、ここでは省略(笑) じつにいいお寺さんなのですがね、ここは☆

三十石船は、ご想像の通り、米を三十石(米俵にして75俵)積める容量(56尺×8尺3寸=約17m×約2.5m)があったことから名付けられているわけですが、三十石船は物資を乗せたのではなく、人を乗せた、旅客専用の船です。乗船定員28人~30人、船頭さん4人の船。
別名を過書船と言います。過書というのは、関所を通過するときの交通税の免除状のことで、淀川三十石船は、江戸幕府から淀川水系の特権的な営業権を与えられていたので、過書船と呼ばれたわけです。

当時、大阪には八軒家、淀屋橋、東横堀、道頓堀の4つの船着場があり、だいたい、早朝に出て、夕方には伏見に到着していたようです。これが、上り船。もちろん、水流に逆らってるわけなので、棹をさしたり綱を引いたりして川を上ったわけです。これが約45kmなので、大変な労働ですわ。

一方、下りは、夜に伏見を出て、早朝には大阪に着くというパターン。
こちらは川の流れに乗るので、ラクです。

船賃は、享保のころで、上り172文、下り72文。幕末には、どちらも数倍に値上がりしてます。幕末は、インフレの時代でもあったからね。

この、淀川三十石船は、最盛期には、162隻が就航し、一昼夜で上り下り合計320便、1日約9,000人が往来したというので、大動脈ですよ。衝突とかなかったのかな。

さて先日、伏見の月桂冠大倉記念館に立ち寄った折、おもしろいものが展示されているのを見つけました。

「大川便覧」です。
天保14年(1843年)に描かれた、伏見と天満を結ぶ、淀川三十石船の航路絵図です。
絵図の序文に、「樋はことごとく印をつけ、磁石をふり、東西の方向を知らしめ…、そのほか大樹の目印まで洩らさず…」とあるので、距離や川幅だけでなく、目印になるものがいくつも記されていています。

なるほど、もちろん、こういうものはあっただろうし、こういうものがあれば、衝突のリスクも抑えられていたでしょうな。

現在の大川の箇所のみ、ピックアップしてみます。
「南ナガラ」「国ブンジ」「鶯ヅカ」「堀川通」と現在の地名とともに、「源八ワタシ」の記述が見えます。源八の渡し船があったところですね。90間の距離だったことがわかります。

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中之島になると、その北側、現在の西天満や曽根崎にあたるところに、軒がたくさん連なっていて、それぞれに名前が振られています。
「小クラ」「ツ山」「丸カメ」「高松」…、たくさんありますが、これ、各藩の蔵屋敷ですね。
そして、中之島の東橋が、まだ、なにわ橋に届いていないこともわかります。中之島が東に伸びていくのは、このあとですね。

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梅田界隈はこの時代もちろんまだ未開拓の地ですが、「北ノ天神」「タイユウジ」「フドウ寺」「ツナ天神」の記述が見えます。
それぞれ、「露天神社」「太融寺」「太融寺不動堂」「綱敷天神」のことでしょうか。
「カン山寺」はちょっとわからないのだけれども、現在の兎我野町に「寒山寺モータープール」があるから、もしかしたらここにお寺さんがあったのかしれません。つか、大川便覧に描かれているんだから、あったのでしょう。

見ていて、飽きません。

さて、その淀川三十石船も、明治の半ばには大半が姿を消します。日本中で水運が衰退して鉄道がのし上がってくる時期と、ピッタリ一致します。
昭和初期までは、細々と、石炭貨物として生きながらえてはいたみたいですけどね。

浪曲の「清水次郎長伝」に、「石松三十石船道中」のくだりがあって、淀川三十石舟が登場します。次郎長に頼まれて石松が刀を四国の金比羅さんに奉納してくる道中、酒断ちを言われてるのにもかかわらず、三十石船で酒を飲んでしまってエラい目に遭うという話。

幕末のころには、諸国から京へ集まる勤王浪士たちも三十石船で京と大阪を足繁く往来したといいます。さすがは大動脈、というところですな。

伏見で天満のことが書かれたものに出会うとは思ってなかったけれども、考えてみれば、伏見と天満は淀川三十石船で結ばれていた場所。伏見にだってたくさん資料があるはずで、でも、そんなこと考えたこともなく、これはちょっと迂闊でした。
そっち方面からも調べたら、いろいろ出てくるかもしれません。
この「大川便覧」も、ずーっと見飽きることのない航路図で、こんなのにたくさん出会いたいもんです。

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