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宗派宗教を超えた仏陀の母なる山
山号は比叡山、全山に広大な寺域を持ち、東塔・西塔・横川(yokawa)・十六谷を擁し、これらを綜合して延暦寺という。
最盛期には三千もの堂宇を持った日本最大級のスケールを誇る大寺院であり、なかでも東塔の根本中堂・西塔の釈迦堂・横川の横川中堂は三大堂と呼ばれて延暦寺の中核を成し、特に1200年にわたる不滅の法燈を燈す、国宝・根本中堂は徳川家光の再建で外陣・中陣・内陣にわかれ、内陣の宮殿には秘仏とされる薬師如来が安置されている。
宗祖は伝教大師最澄。785年、現在の根本中堂のあたりに一乗止観院と名乗る庵を建て、自身が信仰する薬師如来を安置した。
804年、空海とともに入唐し、天台知?(tendai-chigi)より7代目の道邃(dousui)に学び、天台法華宗を興す。823年には詔を受け、年号にちなんだ延暦寺と名乗ることを許された。
しかし、延暦寺の全盛期を構築したのは円仁(三代天台座主)・円珍(第五代天台座主)であり、真言宗との対抗上、密教色を強めて日本仏教界の最大勢力となる。この後、武力・財力を備え政治をも動かす権力機構に変貌してゆく。室町幕府の時代になると、南朝をバックアップしたことなどもあり荘園を減らされ、さらに織田信長に全山焼き討ちに遭うが、秀吉・家康の援助で復興を果たす。
10世期末頃に慈覚大師、円仁派宗徒と智証大師、円珍派宗徒の対立が激化し、円珍派は三井寺(園城寺)を拠点として寺門派を形成する。信長の焼き討ちで堂宇・寺宝多数を失うが、現在に於いても多くの文化財を残しており、堂宇も現在は三塔十六谷に七十余を持つ。
また延暦寺は多くの人材を輩出し、浄土宗・浄土真宗・真宗・臨在宗・曹洞宗・日蓮宗など鎌倉仏教の基点ともなった。
延暦寺 天台宗総本山 延暦寺  (enryaku-jo)
滋賀県大津市坂本本町4220 拝観/8:30-16:30 大人550円###

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