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日本最大の三門の迫力を体感せよ
法然上人が浄土宗を開き、その生涯を閉じた地に立つ知恩院。法然上人が30有余年にわたって念仏の教えを説いた京都東山の地、吉水の草庵がそのはじまりである。法然上人滅後23年、文暦2年(1234年)、弟子の勢観房源智上人が報恩のために伽藍を建立し、四条天皇より華頂山知恩教院大谷寺の寺号を賜り、法然上人の御廟、念仏の根本道場の基礎を築いた。豊臣秀吉や徳川家康など、時の権力者から庇護を受け、現在に至るまで栄え続けている。現在の寺観は徳川家によって整えられたもので、大小106棟の伽藍からなる壮大な名刹である。本堂や三門、大方丈、小方丈は江戸初期の技法を用いており、いざというときに備えて戦用の城郭としても使用出来るように造られたという。室町時代にかかる諸堂最古の勢至堂や、日本現存の木造建築の門のなかで最大の規模をもつ三門をはじめ、経蔵、御影堂、大方丈、小方丈、勅使門、大鐘楼、集会堂、大庫裡・小庫裡などはいずれも重要文化財となっている。
知恩院 浄土宗総本山華頂山 知恩院 (chion-in)
京都市東山区新橋大和大路東入る3丁目林下町400 拝観/9:00-16:00 大人400円##

北政所ねねの菩提寺
高台寺は、太閤秀吉の妻、北政所ねねの墓があるところである。相次いで亡くなった秀吉と養母を弔うために、ねねが出家し、秀吉が眠る東山の峰のひとつの麓に建てた寺である。工事を全面的に担当したのは、徳川家で、慶長10年(1605年) 、酒井忠世・土井利勝を高台寺造営御用掛、京都所司代板倉勝重を普請奉行、堀監物直政を普請掛に任じ、財を惜しまず協力したといわれている。北政所の存在は、徳川家康にとって非常に大切な存在であったのだろう。福島正則・加藤清正・浅野長政等の北政所にとって子飼いの大名たちも働いた。寺町から康徳寺の移転が完了し、伏見城から化粧御殿と前庭 (現在の圓徳院) の移転が整い、北政所は化粧御殿に移り住む。以後、北政所はこの地に76歳で没するまで住み、明けて慶長11年(1606年)、鷲峰山高台寺が落慶した。
清水寺 臨済宗建仁寺派鷲峰山 高台寺 (kodai-ji)
京都市東山区高台寺下河原町526 拝観/9:00-17:00 大人600円###

平安以来の選ばれし一大観音道場
宝亀9年 (778年) 、延鎮上人の開創で、崖のうえに仏堂を建立したのは、平安の征夷大将軍・坂上田村麻呂。清水の舞台は、このときに出来た。また、田村麻呂が蝦夷地へ赴いたとき、観音の化身である毘沙門天と地蔵菩薩が守護したといい、田村麻呂はお礼に十一面千手観音像と毘沙門天像、地蔵菩薩像を奉納した。
霊験あらかたなり、と清少納言、紫式部、関白藤原道長らがこぞって参拝した当時、すでに門前市が賑わっていたという。源義経の母、常磐御前も観音信者で、平家に追われて奈良へ逃れる際に清水寺に身を隠し、一泊したといわれている。
清水寺 北法相宗音羽山 清水寺 (kiyomizu-dera)
京都市東山区清水1 拝観/6:00-18:00 大人300円##

小督が最後に赴いた場所は
802年(延暦21)紹継法師が開創。高倉天皇の寵愛を受けた小督局(こごうのつぼね)がここで尼となったと伝え、山門を入ったところに、その供養塔がある。境内の要(かなめ)石から眺めると、視界が扇形に広がる。紅葉の名所。
清閑寺 真言宗智山派 清閑寺 (seigan-ji)
京都市東山区清閑寺山ノ内町 拝観/随時 志納##

六道世界への入口
京都では、「六道さん」の名で親しまれ、お盆の精霊迎えに参詣する寺として名高い。山号を大椿山と号し、臨済宗建仁寺派に属する寺である。開基は、奈良の大安寺の住持で弘法大師の師にあたる慶俊僧都だと言われ、平安前期の延暦年間(783年-805年)の開創である。古くは愛宕寺(otagi-dera)とも呼ばれた。しかし当寺の建立には、諸説があり空海説や小野篁説をはじめ、一説には宝皇寺の後身説もある。宝皇寺とは、東山阿弥陀ヶ峰(鳥辺山)山麗一帯に住んでいた鳥部氏が建立した寺で、鳥部寺とも呼ばれていたが、鳥部氏の衰微により寺もなくなり今はその遺址も明らかでない。
しかし、かって境内から奈良時代の瓦を出土したこともあり、平安遷都以前すでにこの付近にあった古い寺を継いでいることはほぼ間違いない。またさらには、承和3年(836年)の平安前期に当地の豪族であった山代淡海等が国家鎮護の道場として建立したなど、この寺の起源には多くの説がある。
この珍皇寺はもと真言宗で、平安・鎌倉期には東寺を本寺として多くの寺領と伽藍を有していたが、中世の兵乱にまきこまれ荒廃することとなり、南北朝期の貞治3年(1364年)、建仁寺の住持であった聞溪良聰(monkei ryousou)により再興・改宗され、現在に到っている。
境内には薬師三尊像(昭和53年、京仏師中西祥雲作)を安置した本堂ほか、閻魔堂(篁堂)、地蔵堂、鐘楼等があり、また昭和51年には、重要文化財の永久保存のために収蔵庫が建設され、本尊薬師如来坐像重文・平安時代と地蔵菩薩、毘沙門天像が安置された。
六道珍皇寺 臨済宗建仁寺派大椿山 六道珍皇寺 (rokudo-chinno-ji)
京都市東山区松原通東大路西入 拝観/9:00-17:00 無料###

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