僕の巡礼

震災の夜

ここ5年くらい、1.17の5:46の三宮・東遊園地を目指して、大阪から神戸までを夜通し歩きます。
と言っても、そう決めているわけではなくて、歩く当日までは、今年も歩こかな、いや、どーしよかな、と、わりとグズグズと迷っています。決め事にはしていなくて、だいたい、夕方くらいになって、やっぱ歩こ!となるのです。
歩くようになったのは、映画「その街のこども」を見てからのこと。
夜の三宮と御影を往復する。それだけの映画。でも、そこには、神戸の震災を消化できずに、あるいは消化したふりをして、かつがつと生きていこうとしている若者の心情が、夜の神戸のまちなみと重なるようにして、心象風景とともに描かれています。

考えてみれば、震災からこっち、僕が覚えている神戸は、すべて、夜です。
かつての相方と、知り合いの人たちを迎えに行ったとき、昼すぎに大阪を出たのに、神戸に着いたのは真っ暗な夜だったのでした。
そこで知り合った長田の人たち、ウチナンチューや在日コリアンの人たちと仮設を掃除したり家具を運び込んだりしたのも、どういうわけか夜でした。
ソウルフラワーの別働隊、モノノケサミットが長田神社で演奏会をやったのも、篝火をたいた夜です。
月が出ていたり、雪が舞っていたり…。
そのあと、オジィやオバァを連れてルミナリエに行くようになったけれども、これももちろん、夜。あのとき、僕は、大阪から神戸に向けて、何度も歩きました。
目を背けたくなるような光景を何度も見たし、その後、澱のように胸に溜まっていくような邂逅を、何度も繰り返しました。
そういう、夜を、何度も何度も、過ごしたのでした。
怒りに震えながら、膨大すぎる何かを目前にして途方にくれながら、ワンワンと大泣しながら、泣きながら笑いながら、歩いていたのでした。同世代の若い連中のあいだで、その狭い世界で、エラそうな跳ねっ返りのガキが、どういうわけかオジィやオバァと触れ合うようになって、共通言語を強制的に変更させられて、根源的なことを考えざるを得ない場面が、たくさんありました。
そういう夜を、僕は何度もやり過ごしてきました。そういうことを思い出しながら、星になった人たちのことを思いながら、歓びやら悲しみやら、怒りやら、歌やら詩やらをしたがえて、歩いたのでした。
偶然だけれども、ちょうど、甲子園球場を横目に見るあたりで、50歳の最初の夜を迎えました。

見た世界、聴いた音楽、読んだ本…、憧れやら共感やらで影響を強く受けてきて自分自身のアイデンティティをつくってきたものが、そこがはっきりとした区切りではないけれども、震災以降は、邂逅やわかれがそのままダイレクトに自分を構成するものになっていったように思います。
あのあたりからこっち、頭で考えるということは、あんまりしなくなったなあ。
出会い、わかれ、邂逅と離散を繰り返していくなかで、そのことで自分が勝手に変わっていく。その変化に身を任せる。なにをどうしたところで、行きたいところにしか行かないのだから、縁を大切にして、その縁によって自分が勝手に変化していけばそれでいい、と、僕は思うようになりました。

そうやって、僕は、いろんな邂逅を繰り返してきました。
今年もまた、邂逅を繰り返していく。邂逅のなかで、ドキドキしたり、戸惑ったり、破顔一笑になったり、浮かれたり調子に乗ったり、泣いたり怒ったり…、ときどきに表出する現象を大切にしながら、今年もまた、いろんなものを噛みしめて、歩いていきます。

夜の神戸を歩いているあいだ、50歳になりました。
なにやら、東遊園地で受けたインタビューがTVの全国ニュースで流れたらしく、騒がしい1日となりました(笑)
夜は、ええもん食べてきました。誕生日だからね。
ありがたいことに、いろんな方からメッセージをいただいておりますが、まだ返信できていません。ボチボチと、返信させていただきます。

震災の夜

震災の夜

震災の夜

震災の夜

震災の夜

震災の夜

震災の夜

震災の夜

震災の夜

 

Flickrにも画像たくさんあります。
1.17の夜(2016.1.16-17)

東遊園地

神戸市中央区加納町6-4-1

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