鶴満寺の八角楼

鶴満寺

京都と奈良の境の木津に、蟹満寺という、非常にそそる名前のお寺さんがあるのでした。

そこはかつて奈良時代以前に一瞬だけ都が置かれた場所でもありますから、その時代のお寺さんである可能性が高いのですよ。詳しいことはわかっていないのですが、周辺の発掘調査から飛鳥時代の創建と推測されていて、本堂に祀られている釈迦如来像はもちろん国宝で、白鳳時代の逸品です。
流行りの阿修羅像を持ち出すまでもなく、この時代の仏像は軽やかに仕上がっているものが多く、ここの釈迦如来像も、清々しくも軽やかな姿をしているらしいのですね。

らしい、というのは、じつはまだ見たことがないのですよ。
行こう!となった、昨秋、お寺さんの改修工事がはじまっていて、拝観できなくなっており、再度オープンするまで、しばし待たねばなりません。
白鳳時代の仏像や建造物がそのまんま残っている例は少ないので、これはいつか、必ず拝みたいもんです。

創建がはっきりしないのですが、それでも、今昔物語集に創建にまつわる「蟹満寺縁起」があります。

この縁起では、むかし、このあたりで観音経を信仰する善良な娘さんがいらっしゃってですな、あるとき、村人が蟹をたくさん捕らえて食べようとしていることに心を痛め、その蟹を買い求めて、草むらへ逃がしてやったのでした。

一方、これまたとある日、この娘さんのお父さんが畑を耕していると、カエルが蛇に飲み込まれてしまいそうになっていたのですね。で、このお父さんが、カエルを助けてやりたい一心で、蛇に向かって、なんと、もしカエルを放してやったら娘を嫁にやろう!と、言ってしまったのですよ。

言ってから大変なことを言ってしまったと悔やむお父さんなのですが、後悔先に立たずです。

数日後、立派な男性に化けた蛇が娘さんを嫁に迎えるべくやって来たのですが、とりあえずは、嫁入りの支度を理由にその日は帰ってもらい、その後もずるずるとなんやかんやと理由をつけては、会わずに逃げていたのでした。そしたら、だ。男は本来の蛇の姿に戻って、暴れ出すわけです。

娘さんは、ひたすら、観音経を唱え、観音さんに救いを求めていました。
すると、観音さんが現れてですな、あなたたちは慈悲深い行いをしただけなのだから、私が救って差し上げよう、と、告げたのでした。

するとですな、しばらくすると、暴れまくる蛇の音が消えたので、夜明けを待って戸を開けてみると、輪切りにされまくった蛇の肉片と、無数の蟹の死骸が、そこに残されていたのですね。

蟹が娘さんの身代わりとなってくれたのですね。
で、この親子は、観音さんに感謝し、蟹と蛇の霊を弔うためのお堂を建て、聖観音菩薩を祀ったのでした。

これが蟹満寺の縁起です。
このあたりは木津川が流れてますから、蟹はもちろん、川の蟹ですね。

さて、勢い余って、蟹満寺の話を書いてしまいましたが、今回、書きたかったのは、蟹満寺ではなく鶴満寺なのでした。。。。

鶴満寺。

国分寺から長柄にかけて、お寺さんが密集している地域でチャリを走らせていると、珍しいかたちをしたお堂があって、近づいてみると、鶴満寺、とあったのでした。

鶴満寺

つるまんじ、じゃなくて、かくまんじ、ですね。

上方落語に桜の名所として鶴満寺が出てきますが、そーでしたか、こんなところにありましたか。今では、四方をマンションやらビルが取り囲んでいますが。。。
このブログの冒頭に置いた絵は、「浪花百景」に登場する「覚満寺之夕景」です。
100選に選ばれるほどの絶景だったようだけど、その面影は今はありませんな。

縁起を見てみると、

奈良時代に円仁(慈覺大師)が河内の国に創建したと伝えています。大阪のお寺さんは、どこも意外と古いんですよね。もともと「覚満寺」と称していたのは、創建された慈覚大師から取ったものと思われます。
その後廃れ、南方村(西中島)に移転再興したのが、漁師の瓦林鶴林。長年の殺生を悔いて、再興したのだとか。「覚満寺」から「鶴満寺」に寺名変更したのは、このときではなかろうかと思います。
で、再び荒廃。その後、詳細は不明なのですが、金持ちの豪商の発願で、寛延3年(1750年)、長柄のこの地に移転してます。江戸時代の中期ですね。京都の上善寺の僧忍鎧を招いて宝暦3年(1753年)堂宇を完成させたとのことです。
そんときは伽藍がたくさんあって広々としていて、境内は桜の名所として知られ、樹下に各地の巡礼所の観音仏を安置して百体観音と称し、崇敬を集めていたそうです。「浪花百景」に描かれたのは、そのころの模様ですね。
その後、明治18年(1885年)のキタの大洪水を契機に衰退します。昭和に入ってから、当時の住職さんが財政再建に乗り出して、墓地やらなんやらを売っぱらって寺域を縮小し、リストラ敢行。余った土地で借家経営をはじめて、なんとか持ち直した、と。大阪大空襲のときも、被害を免れてます。

今、老人ホームやら保育園やらを経営して、お寺さんを維持しているらしいです。

近年、淀川リバーサイド計画と天満橋筋の延長道路拡幅のため、境内の主要部分が道路予定地に含まれてしまい、保育所用地を道路西側に残し、堂舎は建ったまま道路の東へ引越した、なんて話も残ってます。

釣り鐘がなかなかの逸品で、高麗時代初期の中国銅鐘の名品です。重文指定、受けてます。どういう経緯で日本に渡来してきたのか不明なのですが、毛利藩が土木工事をしているときに山口で発見され、鶴満寺に寄進されたんだそうです。

見どころなのは、観音堂の屋根にしつらえられた八角楼ですね。

鶴満寺

屋根のてっぺんに八角楼が見えます。
ほれっ!

20090618_536639鶴満寺

寛延3年(1750年)、長柄のこの地に移転してきた際、豪商がスポンサーになっているのですが、そうしたスポンサー筋を満足させるため、きっと、百観音巡りができる八角楼のような変わり種を建てたんだと思います。観音堂の屋根の上に載せるところがすごいですけどね。
円形、もしくは円形に近い多角楼は、聖徳太子で有名な法隆寺の夢殿を持ち出すまでもなく、神聖なセンスをかんじさせるものと仏教界ではなっとりますので、ありがたいかんじがあったんでしょうな。
これはなかなか見応えのある楼で、機会があれば、登ってみたいもんです。

鶴満寺

大阪市北区長柄東1-3-12

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