北野タダオさんの訃報について

アロー・ジャズ・オーケストラの創設者でジャズ・ピアニストの北野タダオさんの訃報が、朝刊各紙に載っていました。享年84歳。

https://www.kobe-np.co.jp/ne…/sougou/201810/0011706241.shtml

しかしこれ、音楽のことや当時の堂山界隈の音楽シーンのことをまったく知らん記者が書いてますね。どれもこれも。
あのね、こんなもんではないです。

北区堂山には、1958年(昭和33年)開業の東洋一のナイトクラブ「アロー」がありました。ここまでは、モノの本を調べれば出てきます。
ミナミにあったお茶屋「大和屋」が堂山に開業した高級ナイトクラブです。芝生の庭と、滝も流れる日本庭園はこのクラブのトレードマークで、当時は東洋一とまで言われたそうです。
このクラブの支配人は、古川益男(ターゲット・プロダクション代表)という人で、クラブのハウスバンド「アロー・ジャズ・オーケストラ」のリーダーとなったのが当時24歳の北野タダオさんです。今回、訃報が出たのは、この、北野タダオさん。
クラブでは、アイ・ジョージ、坂本スミ子、北野タダオ、古谷充といった関西の人気アーティストを抱え、ブイブイ言わせていきます。「硝子のジョニー」をヒットさせたアイ・ジョージをニューヨークの殿堂カーネギー・ホールの舞台に立たせたのも古川だし、東京で売れっ子だった新進気鋭の放送作家、永六輔を関西に招いたのも古川。この時代のキタの音楽シーンで中心的な役割を果たしていたのが古川で、その古川の牙城である「アロー」でハコバン「アロー・ジャズ・オーケストラ」を引っ張っていたのが北野タダオです。

1958年(昭和33年)「アロー」が開業した年の秋、「アロー」自慢の日本庭園で、3つのジャズ・オーケストラ、シャープス&フラッツ、東京キューバンボーイズ、アロー・ジャズ・オーケストラによるガーデン・コンサートが実施されています。
クラブ・アローにはエルニー&ダニーというフィリピン人の専属ダンサーがいて、オフビート・チャチャチャのショーをやっていたと言います。
オフビート・チャチャチャは2拍目と4拍目のアクセントに乗って踊るのですが、当時アローの美人ホステスだった古谷せつ子(通称「チャン姉」)と古谷充の嫁のペコが、ステップを踏むとき、アロー・ジャズ・オーケストラのコンガに合わせて何気なく「ドド、ンパッ」って口ずさんでいたんだとか。それを古川さんが聞いて、おもしろい!となり、生まれたのが「ドドンパ」です。そんなわけで、ドドンパのリズムを考えたのは、アロー・ジャズ・オーケストラなのですよ。
その後、「アローでドドンパ」という曲も生まれ、当時ラテン歌手として売り出し中のアイ・ジョージと坂本スミ子がデュエットで歌いました。ドドンパはクラブ・アローのひとたちが寄ってたかって盛り上げて、日本中を席巻したんです。それが、1961年(昭和36年)渡辺マリが歌う「東京ドドンパ娘」の大ヒットにつながっていきます。「東京ドドンパ娘」は、年配の方はご存じでしょう。

そんなわけで、ドドンパは堂山で生まれた偉大なリズムだし、それを生み出したアロー・ジャズ・オーケストラのリーダーが北野タダオです。
朝刊各紙に載った訃報はさらっとしたもんですが、まあまあ、大きな出来事ですよ、これは。

写真は、往時のクラブアローの日本庭園にて、アロージャズオーケストラ。

堂山が生んだ世界に通用する天才ピアニストが亡くなりました。じつは、そういう訃報なんです。

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