『流転の海』全9巻読破

『流転の海』全9巻読破。
物語はいいなぁ。最近は読み応えのある物語が少なくなってノンフィクションばかり読んでいるけれども、力のある物語に出会ったときの心の動きようというのは、ちょっと他に代え難い。読んでも読んでも終わらないような、長い長い物語に没入しているときの幸福感というのは、もっともっと!という気持ちと、あぁあと少し…という寂寥感がせめぎ合って、これまた喩えようもない。
『流転の海』は書きはじめから完結までに37年の時間を要した、文庫で全9巻の圧倒的な物語の海だ。
この物語を僕はずっと、横目で見ながらも読まずにこれまで来た。普通の人の人生が描かれた物語であることは知っていたし、若い頃は、自分は特別だと思う気持ちが強いから、普通の人の普通の物語などには、目もくれないものだ。いつしか自分も歳をとり、自分は特別でも変態でも変人でもなく、ありふれた凡庸な人間であると気付き(というか、どーでもいいやん、そんなことは)、普通であり続けることの難しさや尊さも少しはわかるようになり、そうであるようなそうでないような自分の分も少しはわかり、そうなって初めて、この物語の海に潜ってみようという気になった。
この物語にあるのは、人間の業であり、業と業が入り乱れる群像劇であり、骨太の幹から伸びた無数の枝葉に無数の真実が宿り、激動の世界史と日本史(歴史はいつだって激動だ)が個人史と重なり、あらゆる森羅万象を総動員した全体小説にすらなっていると思う。夫婦の情愛の物語であり、親子の物語であり、企業小説であり、終戦から高度経済成長までの風俗を写しとった通俗小説であり(物語は僕の生年の直前で終わる)、仏の道が説かれた人生訓であり、民族問題が横たわり、持つ者と持たざる者の軋轢の物語であり、政治があり、恋慕があり、銭金がある。なにもかもが群れをなして、全編、無数のスピンオフが折り重なって一枚の緞帳が織られているような、万華鏡のような、と言えばいいだろうか。
GWを挟んで一気に読んだけれども、もとより、そんなふうにして読むような類の作品ではない。年齢に応じて、これからも何度かは読み返すだろう。そのときは、ゆっくりと時間をかけて、読んだり読まなかったりするのだろう。舞台は、僕が住む天満や扇町、梅田、兎我野町、中之島、福島、尼崎など、目を瞑っても歩けるような場所が大半だ。
自伝的大河小説だから、熊吾の息子の伸仁が宮本輝で、37年かけて、父の後半生を描いたことになる。すごい仕事をやってのけたのだな、宮本輝さんは。ひとつの作品に37年も没入できるというのは、苦しみもすごかっただろうが、幸せだったに違いないだろう。

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