『純情漂流』

朝起きたら、気温0度とかマイナス1度とか。
寒いけれども、昨日は午前中の雨と昼からの仕事の都合で走れずにいたので、今日はもう走りたい気分になっていて、習慣とはおそろしい。
川沿いはさすがに尻込みして、天満界隈の公園とグラウンドを10km、小1時間かけて走る。
去年は暖冬だったので、こういう厳しい寒さの中を走るのは、初めてかもしれない。走っている人はおわかりだろうが、走りはじめると、寒さはどこかへ吹っ飛んでしまう。手袋は必須だけれども、いつものようにハーフパンツで走っても、何の問題もない。
寒くはないが、鼻の奥が冷気でツンと痛くなり、鼻呼吸ができずどうしても口呼吸になってしまう。そのせいで、ラクに走れる距離なのに呼吸が少し苦しい。こういうことは、極寒のときに走らないとわからないことやね。
ツンとくる寒さに触れながら走っていると、アンデスの山をうろうろほっつき歩いていたときのことを思い出した。もう、30年以上も前のことなのに、ふいに思い出した。
30年以上前、バックパッカーだった僕が、インドから旅をはじめて最後に沈没していた場所が、南アメリカ大陸のペルーやボリビアを貫くアンデス山脈のなかだ。
海辺の砂漠にあるリマからバスや汽車を乗り継いで辿り着いた標高3500m以上のまちに降り立ったとき、空気が冷たくて、ツンとしていてね。それを思い出した。
その、ツンに慣れてくると、土の匂いやら唐辛子の匂いやら、草いきれやら、人や羊やリャマやアルパカの生きものや脂の匂いやら、太陽の匂いやら(あるのだよ)が不意に飛び込んできて、来たんだな!という、不思議な感覚に襲われるのだ。
アンデスでのことを思い出しながら走っていると、30年ぶりに太陽の匂いを嗅いだ気がした。不思議なものやね。感傷的になってる。
思い当たる節がある。
年末、古本屋さんを物色しているいると、僕は、夢枕獏さんの『純情漂流』に不意に出会ったのだった。もう、僕の手元にもないし、文庫本も単行本も絶版になっている本だ。だが、僕にとっては、最重要の部類に入る本だ。
平成のはじまりのころ、大いなる迷いの季節のなかにいた獏さんが、旅は物語であり、物語は旅であるととらえ、現実の旅では死ねないが物語を紡ぐ旅でなら死ねると、ひとつの結論を出すまでのプロセスが書かれた、文章論であり旅論でもある本だ。
ヒマラヤを越えていく鶴を見に行き、野田知佑とユーコンをカヌーで下り、天山山脈で三蔵法師の足跡をたどり、天安門事件があり、ベルリンの壁が崩壊し、モスクワで共産圏史上初のプロレスの興行がアントニオ猪木によっておこなわれた時間のうちの、獏さんの旅の物語だ。同時に、物書きとしての物語や言葉と格闘する姿を写しとった本だ。
旅をするように、とどまることなく物語を紡ぐ。ひとりの作家が腹を決め、腹を決めるために書いた、文章論と紀行文が交錯する、旅と物語が交錯する、エッセイ集。
僕は、アンデスで、この本に出会っている。旅の最中にこの本と出会って、貪るようにこの本を読み、ひとつひとつの言葉がことごとく刺さり、腱鞘炎になることも厭わず、夢中になって、僕はこの本を書き写してきた。何度も何度も書き写し、今でも身体に入っている。30年ぶりに読み返してみたけれども、やはり。隅から隅まで身体に入っていた。
僕の心身は、獏さんの『純情漂流』と、じゃがたらとキヨシローとチャボさんとブルーハーツと村上春樹と中上健次と開高健と、松本雄吉とその他そのときどきのおねーちゃんやその他もろもろでできあがっているに違いないが、ものを書くスタンスのみならず、そのニュアンス、トーン、色味…、それらはきっと、この獏さんの『純情漂流』を何度も何度も書き写すことで、僕のなかに沁みていったのだと思う。
楽器を覚えたたてのパンクキッズが、好きなミュージシャンの曲を完コピするようにして、僕は自分の好きな作家の作品をひとつずつノートに書き写していき、何度も何度も書き写していき、その文体やトーンを手に入れていった。それが、僕の、僕なりの文章修行だったのだ。修行というよりも、衝動だったようにも思う。
そんなことを思い出しながら、今日は気持ちよく走っていた。
大阪にも緊急事態宣言が発令されそうな気配になってきた。
昨夜の総理の会見を見ていると、
背中を見せて範を示すことができない偽リーダーたち、心を突き動かす言葉を微塵も持たない政治屋ばかりで、心底腹が立つ。自分だけは大丈夫と自分に都合よく正常バイアスをかけて今日は特別だからと飲み歩きはしゃいでいるバカどもにも心底腹が立つし、そういう連中がこの感染爆発を招いているのだと思うと、さらに腹が立つ。
腹が立つことばかりだが、走ると気持ちがいい。
この寒さは僕を不意に感傷的にしたけれども、それはともかく、この寒さでも走るとものすごく気持ちがいい。
生物的にも社会的に生き延びること。昨春からこっち、僕はブレずにそのこと考えている。走ることは、たぶん、そこともつながっている。

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