近代都市の構築

一見、現代風の地図だけど、よく見ると、大正15年(1926年)の地図。
「大阪都市陸測図」(大正15年)
「大阪市パノラマ地図」(大正13年)
「最新実測大大阪明細地図」(大正14年)
の3つの地図をベースにしたものを現在の大阪市街地図の上に重ねていて、大大阪時代と現在を比べられるようになっているスグレモノ。

この地図に表現されている時代がどういう時代だったのかというと、日露戦争と第一次世界大戦で軍需が高まり、重工業の生産額が飛躍的に増加し、大阪市が「東洋のマンチェスター」と呼ばれるようになった頃で、市域拡張により「大大阪」を謳歌していた時代。
地図をまじまじと眺めていると、鉄鋼のみならず紡績の工場もすでに多く、重工業も軽工業も盛んやったことがわかる。天王寺動物園や市立の産院も見え、大阪市の福祉政策が厚かったことも窺い知れる。

大阪府立中之島図書館(明治37年)、日本銀行大阪支店 (明治15年)、大阪市中央公会堂(大正7年)、大阪倶楽部(大正13年)、中央電気倶楽部(大正2年)…、このへんは全部載っている。大阪瓦斯ビルヂングが載ってないのは、調べてみると昭和8年の竣工で、この地図には間に合っていない。
中之島の西側に倉庫が多いのは蔵屋敷の流用。

扇町公園は泣く子も黙る堀川監獄で、天満市場のあるぷらら天満は合同紡績、延原倉庫は電気分銅会社(のちに拘置所の候補地になった)で、天満堀川はもちろん水をたたえている。堀川監獄の北側にある中崎町の産院のマークは、もしかして大阪市が開設した本庄産院?

中之島と堂島に目を転じると、
堂島には米穀取引所があり、アバンザは毎日新聞で、北消防署は今も大阪駅前第一ビルにあって(茶屋町にはまだない)、天満警察署は若松町警察署で、裁判所は若松町分監(これは最終的には都島の拘置所になるのか?)で、大阪高裁は控訴院で、その北側の2号線沿いには北電話局逓信局があり(NTTのビルは今もあったっけ?)、その横に北区役所がある。
東洋陶磁美術館は大阪ホテル(これ、まったく知らなかった! 明治時代に川口居留地の自由亭が支店を出したのが大阪ホテルと改称し、煉瓦造りの洋風ホテルとなり、その後、東洋陶磁美術館が建設される)で、市役所の横には大阪城へ遷座する前の豊国神社(すでに中央公会堂の場所から遷座している)がある。
肥後橋の北側には朝日新聞がすでにあり、中央郵便局がその東に!

JR大阪駅の南北も変化が激しい。
済生会病院は北野中学校(北野高校)で、朝日放送の近くに見える関西商工学校は今は茨木に行ってしまった関西大倉学園。今のグランフロントに位置する工業学校は後の大阪大学工学部なので、この界わいは時空を超えた文京地区であり、知の集積地としてのDNAが受け継がれているエリアだとわかる。関西大学は千里山移転前のこの頃は江戸堀や京町堀にキャンパスがあって、この地図では福島にキャンパスが。
開業間もない阪急梅田駅はまだ大阪駅の南側にあり、新梅田シティの発動機会社はダイハツの前身。

大阪駅西南に西成郡役所があり、その隣に梅田入堀が見え、堂島川とつながっている。曽根崎川(蜆川)が西半分しかないのは、おそらく東側が北の大火で埋め立てられたからで、すぐに西側も埋め立てられるから、この地図は、西半分だけ川がある短い期間のものになっている。昭和に入って大阪駅から梅田貨物駅が分離・開業するから、この地図の後、梅田入堀は線路の北側へ延伸される。堂島2丁目の阿部邸って、どこの偉いさんやろか?

帝国ホテル大阪があるOAPは後の三菱マテリアルの三菱製錬場で、のちのち地下水汚染の公害問題が発生した。大川は淀川を名乗り(もちろん、今の淀川は新淀川を名乗っている)、源八橋も川崎橋もまだ渡しで、泉布観横の銀橋はこの当時は澱川橋で、泉布観前の実科女学校は大正天皇即位記念で開校(だから泉布観敷地が校地!)した桜宮高校の前身で、桜ノ宮神社東の冷蔵倉庫はスケートリンク→ゴルフの打ちっぱなしと業態を変えて今も生き延びる歴史ある会社で、その東側の高等工業高校は後の大阪工業大学か。西へ転じて天満宮近くの天満郵便局は今と似たような場所にあり、今橋の近くには三越が見える。

大阪城は陸軍に占拠されていて、偕行社や大阪砲兵工廠をはじめアジア最大の陸軍一大帝国を築いている。終戦前日の空襲でこの界わいは徹底的に破壊されて、戦後、アパッチ族が暗躍する。鯰江川も猫間川も健在。八軒家浜あたりには職業紹介所があったよう。源八橋や川崎橋はまだ橋が架かっておらず、渡し。

そして、大大阪といえば新世界。当時の最先端風俗の情報発信基地であった新世界は当然まちびらきされており、初代通天閣が建ち、そこから入り口までロープウェイが伸びていたはずの遊園地・ルナパークが建ち、天王寺動物園が開園していている。ついでにルナパーク南側には大阪相撲のメッカであった大阪国技館も健在。美術館はまだなく、後に美術館として寄贈することになる住友邸がある。

市内のあちらこちらに水路が巡らせてあって、物流のメインが陸運ではなく水運だということが視覚的にわかるし、なかなかの密度で点在する工場は東洋のマンチェスターそのもの。
地図は都市の性格を表現してくれるし、景観すら想像できる。

難波から天王寺にかけてや西側ベイエリアなどは詳しくないのでスルーしてるけれども、ここらもじっくりと見ていったら、きっと相当楽しかろう。
いやー、尽きないですわ。大阪くらしの今昔館で1100円で売ってます。

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