堂島の米相場

昨日、堂島のコメ先物取引の本上場が不認可になり、試験上場を打ち切る一報が流れましたな。

江戸時代の堂島の米会所のシステムは、世界でも超高度に発達した金融システムと言うし、なかなか理解が難しい。
僕の理解は以下の通りなのだけれども、これで正解なのかしら?
ちなみに、美味しんぼの京極さんは若い頃に堂島の米相場で大儲けしたらしいので、まあ、今も昔も金融投資で成功すると、巨万の富が築けるみたい。

堂島の米相場のシステムは、僕の理解では以下の通り。

まず、各大名のコメは中之島の蔵屋敷に運ばれる。
そこで売った買ったがおこなわれるのだが、取引されたのは実際のコメではなく「米切手」。
実際に米をもらっても保管が大変だし、重いし、嵩高いので、保管は蔵屋敷に任せて、実際には、「米切手」だけが堂島の米会所で売買されていく。
一方で、「米切手」を発行する側の蔵屋敷の役人や商人も、米に換える人が少ないのなら、米切手と同量のコメの在庫がなくてもええやん、と。むしろ、コメの実態よりも多くの「米切手」を発行すれば、そのぶん、現金が多く手に入ることになるんとちゃうん?となる。これを「空米切手」と呼ぶ。
「米切手」は欲しいけどコメは要らん仲介人と、「米切手」の発行で儲けたい蔵屋敷の思惑が一致して、「米切手」はいよいよ証券化していく。
空米切手が不渡りになる恐れは当然あるわけで、幕府が何度か規制しようとするけれども、発行は止まらず、やがて久留米藩が40万石もの空米手形を発行して市場を大混乱に陥れ…。

ほいで、その反省から生まれたのが先物取引の「帳合米」。
先物取引なので、現金と米切手の授受が取引ごとに発生せず、帳簿上だけで売買が記録され、将来的に決済がおこなわれ、その決済も、相場の変動による差額だけやし、少ない手数料のみで参加できたので、大量取引がやりやすかった、と。

で、先の「米切手」と先物取引の「帳合米」とを組み合わせることでリスクヘッジをおこない…、というあたりで僕の理解を超えていく。。。こっから先は正直言って、僕にはわからん。とにかく高度に発達した金融商品が堂島ではやりとりされていた、ということです。

この絵は『浪花名所図会』の「堂島米市の図」。
公式の取引が終了しても居残って取引を続ける人々を退散させるために、市場の関係者が水を撒いている。つか、取引は路上でおこなわれていたのか?
ゆるキャラさんは、ドージマ地下センターのマスコット堂島ちかちゃん。米俵型のヘアスタイルの幸福の福娘。
中之島ガーデンブリッジ北東詰には、従来、稲穂を持ったお子の像の「堂島米市場跡記念碑」が建ってたんだけど、いつのまにか、安藤忠雄さんによる米粒型のモニュメント「一粒の光」に置き換えられている。なんでそんなことするかなあ。。

スポンサーリンク
レクタングル(大)
スポンサーリンク
レクタングル(大)