『大阪新電車地図』

最初は古地図を紹介する本を読んでいたのが、いつの間にかレプリカの古地図を買うようになり、ついに、原本に手を出してしまった。。。
いや、レプリカがない地図だったし、なんか古本屋で見つけてしまったし、意外とめっちゃ安かったし(相場とか知らんけど)。

『大阪新電車地図』というもので、市電の路線図ですな。A3よりひとまわり小さくて、字も細かいから、僕の目だと虫メガネがないと見れない。

で、虫メガネ片手に隅々まで見てると、いろいろ発見があって、おもろい。

四角囲みが停車場で、丸囲みは、乗り換えができるかんじ?
赤線上にない独立した丸囲みはランドマークかな。

北区界わいに虫メガネを当ててみる。

あたりまえやけど、市電ルートは今のバスルートにダブる。そして市電の駅が結構細かい。
「扇橋」→「太融寺町」→「阪急電車前」って10分も歩かんけど、でも、今もこの順番でバス停がある。
「阪急電車前」→「梅田駅前」→「阪神前」→「櫻橋」も、なかなか細かい。
大阪駅は「おほさか」と記載されている。
「おほさか」のすぐ下にある市電の「梅田駅前」は、どういうことやろか? 大阪駅は別名が「梅田すてん所」なのでその可能性もあるし、地下鉄御堂筋線「梅田駅」が昭和8年に開業しているので、その駅前を指している可能性もあるけれども、それにしては位置が微妙にヘン。
「櫻橋」の東の停車場に「曽根嵜上四」とある。曽根崎の地名は「崎」やし、この停車場だけ「嵜」を使っていて、これは初めて見た。まあ、「阿倍野」と「阿部野」が混在してるし、「町」が「田+丁」になってるところもあるし、意外と表記が適当なので「嵜」も描いてる人の気分なんかもしれんけど。ちなみに川崎町や川崎渡も「川嵜町」「川嵜渡」と記載されている。
昭和初期なので、すでに梅田の貨物駅があって、堂島側からの運河が国鉄の線路を超えてさらに北側まで伸びている。梅田入堀は線路の北側にもある。
「中央郵便局」は西梅田にはまだ来ておらず「渡辺橋」のたもとにある。
阪急梅田駅の近くの芝田町はまだ小深町と芝田町に分かれている。
南へ下って本町あたりに「商品陳列所」とあるのは、今のマイドームおおさかやね。

裏面は「大大阪案内記」になっていて、名所旧跡が載っているのだけど、なかでも「皆様に對する大阪市民の希望」という項目が奮っているので、引用してみる。(旧字変換するの大変!)

國内的には日本一の大都市、まつた大臺所、商工の中心點、對外的には東洋のニューヨーク或ひは
マンチェスターとしての大阪市。されは日夜間斷なく旅客の出入、貨物の集散、商取引の活況等實にすさまじき物である。又一名を水の都、煙の都と呼ばれる事久しき物だが、現在では自動車、演劇、鮮烈なる享樂刺戟の都として目まぐろしく廻轉してゐる。
日光を見ずして結構を云ふなとは古来の言ですが、又茲に大阪を知らずして日本の富と文化を語る莫れと云はなければならぬ。されば皆様は大阪の數少き名所古蹟を見學せし事を以て能事足れりとせず、進んで商取引の活況その他如上の大阪の特長を縦横に詳細に觀察して將來の御参考となして貰ひ度ひ物である。

東洋のマンチェスターと呼ばれたことは後年の僕らにも知られているが、ニューヨークにも喩えられていたことは知らんかった。喩えられている所以は、工業だけでなく、「鮮烈なる享樂刺戟の都として目まぐろしく廻轉して」から読み取れる。
さらに、名所古跡を観光するだけでなく商取引の様子まで観察してください、と書かれている。モノだけでなくコトを見てくれと、今の観光に通じることを言っている。今に通ずる観光のスタイルが、この時代にすでに提唱されていることにびっくり!

でも考えてみたら、そもそも、「観光」の2文字に含まれる「光」とは、「風物」であり「文化」のことのはず。それも単に風光明媚であるということではなく(東洋のマンチェスターに風光明媚な場所などないし)、その地方独特の良い味わいや香りを指す。昭和初期のこの時代の観光案内パンフが、すでにそう言っているやん。

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