昭和26年〜50年のあいだ「京都遊覧御案内」と「大阪遊覧」

表が「京都遊覧御案内」、裏が「大阪遊覧」。
仕事をいただいている年配のお客さんから、いただいた。
京阪交通社の駅前案内所等、京阪関係の拠点がマッピングされているので、京阪が発行したものかな。
発行年ははっきりしないけれども、太秦撮影所が載っているので、1951年(昭和26年)の開所から太秦映画村になる1975年(昭和50年)のあいだというのは推測できる。
八瀬の瑠璃光院が載っていない。近年になって一般公開して人気になったお寺さんなので、当時は観光スポットにはなり得ないですわな。
六角堂、錦市場が載っていないのも今では考えられないが、観光スポットとしては不人気だったのかもしれない。どちらも、ハレの場所というよりもケの場所やと思うし。
随心院、車折神社、城南宮が載っていないのは、次点扱いですかね。
その一方で、妙法院、日野法界寺、霊鑑寺あたりが載っているのは、作り手の主観なのかな。
当時の拝観者数ランキングとかがあれば、ぜひ、見てみたい。
あとはだいたい載ってるし、宝ヶ池競輪場、西京大学(後の京都府立大学)、西京極球場など細かいスポットまでフォローされている。
地図左下に定期遊覧バス案内が載っていて、「お一人でも乗れる〜」とある。この時代にも、「おひとりさま」は一定数存在していたのだろうか。
裏返して大阪を見てみる。
信濃橋付近に「本町四丁目バスセンター」、内本町付近に「京阪急行バス」とある。
これ、民営鉄道系バス5社が乗り入れていた、今はなきバスターミナルのメインとサブセンターかと。写真ですら見たことないけど、ここにバスターミナルがあったことは、知ってる。たぶん、それ。
年表を調べて見ると、
1953年(昭和28年)バスセンター開設
1968年(昭和43年)環境変化により各社の撤退が相次ぐ
1970年(昭和45年)バスセンター廃止
近鉄本町ビルを経て、現在は本町セントラルビルになっている。(本町4-2-5)
北から見ていくと、西宮球場、天満の大阪プール、北浜の三越、四ツ橋の電気科学館、大阪球場、日生球場、松坂屋…、すでに消滅してしまっているものの多いことよ。
朝日新聞社や南海ビルなどは、生まれ変わっている。
こうして見ると、京都は神社仏閣がメインなので今も残ってるが、大阪は都市の近現代施設なので50年後には消えてなくなっている、という事実が見えてくる。近現代のものは耐久性がない。この地図には載っていないが、莫大小会館もなくなる。
大阪の東に奈良が付け足しのように雑な地図で描かれているのが笑ける。。
この地図、ずっと保管してたら、それなりにお宝になるやろか?

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