『異界彷徨』

異界は、ものごとの境界から立ち現れる。だから畳のヘリを踏むなと言うのだ。

人々はみな誕生、成人、結婚、死亡などの人生の重要な節目を通過する際、必ずその前の段階から次の段階へと移行するための通過儀礼をおこなう。割礼や抜歯、刺青など。
元服では、男子は、服装や髪型のみならず名前を変える。女子は成人仕様の着物を着て厚化粧する。
時間的な「独身→婚約→結婚」の場合もあるし、空間的な「遠征に出ていた兵士→帰還し凱旋門を通過→市民」へと移行する場合もある。
この通過儀礼は、時間的にも空間的にも「境界」をつくり出す。さて境界は、どっちつかずの曖昧で不安定な状況にあるので、通常、不気味で危険な場所と見なされ、そこにさまざまなタブーが集中した。逆に言うと、タブーが集中し、儀礼が要求される場所こそが「境界」ということになる。危ないぞ、気をつけろ。
畳のヘリだけではない、内と外、昼と夜、一年の終わりとはじまり、生と死など、ものごとの境界は、だいたい不安定で怪しい。
夕方の黄昏どきや深夜の丑三つどきは不気味な時間帯だし、橋のたもとや村の外れには怪しい話がまとわりついていて、祠やお地蔵さんが祀られる。お子を宿した妊婦は一人でも二人でもない、不安定な状態だ。だから妊婦は火事を見るな、見れば生まれてくるお子の顔に赤いアザができるとタブーが伝えられる。
節分もまた、年を分ける境界だ。危ない。季節の変わり目には悪霊が集まりやすい。そのために、厄災を祓うための作法である豆まきがおこなわれる。魔物に見つからないよう変装する〝おばけ〟がおこなわれる。

境界にはたちまち異界が現れ、異界に住まう妖怪や悪霊、神や仏が姿を現す。畳のヘリは踏んではいけないのだ。

大阪歴史博物館の特別展『異界彷徨』を見に行く。
https://ikai-houkou.com/

人々が異界をどのように認識したか、なにを異界とし、異界とはいかなる場所であったか。
動物の大量発生や不思議な天文現象、天変地異や疫病など人智の及ばぬ事象にどのような物語を授け、名付けたか。畏怖し、畏敬し、祈りの物語の表象である表現が数多く展示されていて、大阪のものだけでなく関西一円まで広げたあれやこれやを再編集して一堂に集めてくれている、とても見応えのある展示。

お稲荷さんの神棚、天狗面、河童図、甲羅を鬼面と見立てた魔除けとしての蟹の甲羅面、京都・広隆寺の奇祭・牛祭に現れる魔吒羅神の仮面、土佐張子の狐面、嵯峨狂言の張子の魔除面、京都・吉田神社の追儺式に現れる鬼を模した面、近江はムカデ山の百足(ムカデ)退治の言い伝え、犬の霊に憑依された男の罪滅ぼし、狐、百鬼夜行図、芥子面子、与謝蕪村が描いた妖怪絵巻、鬼、龍、天狗、ガゴゼ(元興寺)の根付け、道明寺の鬼と化した女が前立てに付けられた梵鐘型の兜、河童は近世以降に現れた妖怪、四ツ橋で投網にかかった河童、一角獣、人魚の肉は皮膚病に効く、ワニ、江戸時代の淀川に出現したサンセイウヲ、蝮、石虎、つつが虫、大阪市が震災調査広報に用いた鯰絵、津波を擬人化した高坊主、大鯰震源説を考える地震の虫、ガマの妖術を操る中国の盗賊・児雷也、児雷也の火消し半纏、祇園社の縁起にある蘇民将来の力を借りたグッズ各種、正月に縁起の良い初夢を見るための宝船絵、呪符木簡、木簡転用人形、人面が墨書された土器、土偶、ヒトガタ、流し雛、地鎮用の土師皿、犬形土製品、犬形木製品…。

たとえば、鬼は疫病をもたらす悪霊でもあった。
追儺式では、大晦日の夜、悪霊を祓う呪術師である方相氏の面を被り、鬼を追う所作をおこなう。室町以降、この儀式が民間に広まり、今日の豆まきとなった。

水路の開発は水難事故を誘発し、その被害と水辺での怪異が習合し、河童という妖怪が創造された。
人々は、いくつかの動物の部位を組み合わせた異様な姿の奇獣を創造したが、逆に言えば、自然界に存在する要素の組み替えでしか怪異を想像できていない。一角獣、人魚。

そもそも芸能は、祭りのうちから派生したものが少なくない。神の振る舞いを人々が懐職し挙納するという行為は、次第に「演者」と「観客」を生み、ショーとしての性質も帯びていった。見方を変えれば、信仰から離れた神事が、娯楽として人びとを楽しませるというかたちで、心を救う存在に変化した。
襲いかかる妖怪、世にも恐ろしい怪談、幻惑の妖術…、幻想の世界は人々の心を引きつけてやまないわけだが、幻想の世界はまず言葉で語られ、やがてイメージが醸成されていく。怪異現象や超能力は芸能のなかに取り込まれ、視覚化され娯楽として楽しまれていく。
後半の展示は、そういうものが中心だ。

般若面、山姥の阿波人形、四谷怪談お岩さんの文楽人形首、赤鳥居を描いた稲荷図、鐘馗さん、七福神の乗合船が描かれた絵馬、絵馬の原型、小絵馬、お蔭参りの柄杓、神札、天降剣先祓、御幣を持った猿の伏見人形、八咫烏が描かれた牛王宝印、護符、加藤清正の手形、道祖神、守刀、守袋、十二天像、曼荼羅、北辰星信仰に基づいた星曼荼羅、大阪の願掛けスポット図、節分に出現しやすい魔物たちをやり過ごすための変装〝おばけ〟、イワシの頭を提げたヤイカガシ、豆まきのチラシ、鬼子母神図、犬張子、妊婦手帳、雛膳、こいのぼり、宮参り着物、死絵、赤べこ、すすきみみずく、猩々の張子、大坂七墓、梅田墓の出土品、往生要集、神農さんの寅の張子、地獄変、バラモン凧、輪廻転生図…。
人々が幸福であれと編み出してきたまじないや民間信仰、神仏の姿、儀礼、祭祀のための器物、絵画、書、玩具、彫刻、着物など、祈りの諸相が一堂に会した圧巻の展示。

プラス、
妖怪学の第一人者・小松和彦先生の講演『異界を覗く』(5月13日)は、180名から250名に定員を増やしても、あっちゅー間にチケット即完売☆ よしみ姐さんともバッタリ☆

「異界」とは、人々が慣れ親しんでいる「こちら側(此界)」の生活領域・世界とは異なるオルタナティブな「向こう側(異界)」の領域・世界のことだが、こちら側の世界とは隣接しており、重複もしている。その隣接・重複している領域こそが「境界」で、境界とは、こちら側とあちら側が交渉する領域であり、通路でもあり、遮断するエリアでもある、と。
耳なし芳一の身体にビッシリと書かれた経は境界としての役目を果たし、怨霊の侵入を防いだが、経を書き忘れた耳は攻撃を受けた。
また、異界とこちら側の世界とでは時間の流れかたが違っており、たとえば浦島太郎伝説で、浦島は龍宮に3年間滞在したが、故郷に戻ってみると300年が経っていたというふうに、時間の流れかたが違う。
同様に空間の認識の違いもある、と。
さらに、異界は人間界の延長でもあり、妖怪はヒトの言葉を話すし、ヒトの姿で登場する。尻尾はあれど、狐の妖怪はヒトの姿を借りて登場する。
そんなことを、さまざまな絵巻や寺社の縁起を例に挙げながら語ってくださり、最後には『およげ!たいやきくん』を例に、異界から見た人間界の一例を示してくれ、とても刺激的な講義となった。

異界は、幻想世界であると同時に、生活の一部でもある。
境界はそこかしこにある。
畳のヘリは踏んではいけない。

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