四天王寺 万燈供養

四天王寺で万燈会がはじまっている。
お盆の行事だ。
供養のロウソクを灯し、一心に祈りを捧げている人、無心に火や火のなかに映る自身の心と向き合っているたくさんの人の姿を見ていると、このお寺が、今もまだ現役のお寺として機能していることがよくわかる。

夏の行事であるお盆はもちろん盂蘭盆会の省略形だが、そもそも、盂蘭盆会がよくわからない。

若いころ、夏を挟んで何ヶ月かインドを旅していたとき、各地のお祭りにもたくさん参加したけれども、盂蘭盆会に類似するような行事には出くわしたことがない。たぶん、インドには盂蘭盆会という行事は、一般的にはない。聞いたことがない。
中華文化の道教には、旧暦の七月を鬼月とし、朔日(1日)に地獄の釜が開き、15日に釜が閉じるという、釜蓋朔日の伝承がある。中華文化に広くある中元節は、この言い伝えを元にしている。盂蘭盆会がこの中元節と姻戚関係にあると考えるのは、それほど無理筋ではないように思う。
仏教は文明の一種でもあるから、拡散していくなかで、各地の土着の文化を取り込み、場所ごとに変容していく。どんな文明も、拡散先の土地の文化と交わり、変容することは、避けられない。日本人がどれほど黒人音楽を真似てみても、それは日本人の黒人音楽であって、黒人の黒人音楽とは違うように、そのように変容せざるを得ない宿命を、文明は持っている。
そのような変容のなかで、盂蘭盆会は日本の仏教行事として立ち現れ、定着していったのではないか。

調べてみると、盂蘭盆会は、サンスクリット語の「ウランバナ」の音写語だという。
祖先信仰と結びついていて、人間の宿る魂のうち、最も神聖な部分を差す言葉なのだという。もっともこれは、元来の仏教にある概念ではない。仏教以前の、インド一帯に土着の、ゾロアスターやヒンドゥにある文化だ。
日本には、7世紀、推古天皇の時代に、この言葉が入ってきている。先述した道教の中元節などとセットで、仏教周辺の諸々のこととして、あるいは変容した仏教として、推古朝の元に届けられたのではないだろうか。

さらに調べてみると、
推古朝から下ること100年ほど先の聖武天皇の時代、天平の時代には宮中の恒例仏事として、毎年7月14日に盂蘭盆会供養が執り行われている。以後、緩やかに、宮中の外、庶民の隅々にまで、この行事は広まっていったようである。
明治5年には、京都で盂蘭盆会は風紀上よくないとして一切の停止命令が明治政府より出されている。廃仏毀釈の乱暴な措置は、こんなところにまで及んだ。

葬式仏教の起源が室町時代あたりの中世にあることを考えると、盂蘭盆会の風習は、意外に古い。

それにしても、だ。この、火だ。
昨今流行のキャンドルナイトの対極にある、この、火だ。
荒々しく、神々しい。
火によってつくり出される闇もまた、この火と同様に、荒々しく、神々しい。
人は古くから火とともに生きてきた。人々は火に祈り、恵みを授けられ、同時に火を畏れ、襲われもしてきた。そう思えば、火は、日本の古くからの神々となんと似ていることか。火は、日本人の心の有り様のなんと深いところにあることか。

このような行事が行われること自体、またそこに多くの人々が集うことそれ自体が、四天王寺が今も現役の生きたお寺であることの証左ではないか。

四天王寺

四天王寺

Flickrに画像あります。
四天王寺 万燈供養(2014.8.11)

四天王寺

大阪市天王寺区四天王寺1-11-18
http://www.shitennoji.or.jp/

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