松岡慧祐さんの博士論文に「YesPa!」が取り上げられました

松岡 慧祐

松岡 慧祐

関大で講師をされている松岡さんが、大学院生時代の博士論文「地図による社会表彰の断片化と再構築 – 地域社会における<マップ>の想像力の可能性」に、僕がつくった北区の駐輪場mapサイト「YesPa!(イェスパ!)」を取り上げてくれたのでした。
この論文は執筆期間5年、A4版で200ページを超す力作で、地域社会における空間の森羅万象を新たな方法で縮減し、空間的秩序を再構築するための視覚的なツールとしての「マップ」について、じつに数多くの実例を紹介しながら、考察が展開されてます。
さらにですな、このたび、関大大学院の学術誌「人間科学」に、「YesPa!(イェスパ!)」の事例を抜き出して再構成した論文「クリエイターによるコミュニティ・マッピング – 「大阪市北区駐輪場マップ」を事例として – 」が、ドロップされました。
なんか…、自分の仕事がこうやって学者さんの研究対象になるなんちゅーのは、こそばゆいかぎりなのですが、僕らの仕事は数字がすべてだったりもするので、数字以外の「言葉」で、意義や意味や分析が語られるのは、とってもありがたいことでもあります。
松岡さん、ありがとう☆
僕は、仕事で地図や案内図をつくることは多々あるんですが(今現在も、3件くらいある…)、ただただ、ユーザーをイメージして、どう表現すれば、発信者の情報が目減りすることなくユーザーに届くか、ということだけを考えています。
これは、わかりやすさ、という言葉に置き換えてもいいのだけれども、まあ、それ以外は考えてないですよ。もっとも、そこに注ぐ心血というのは、デカいですけど。
だから、意義や意味というものは、ほとんど考えないです。
生きる意味や意義よりも、生きる術を考えるほうが大切なように、「術」ばっかり考えてます。それが仕事だからな。
もっとも、この駐輪場map「YesPa!(イェスパ!)」については、仕事の発生過程には意義も意味もあったので、そこは思うところがあるけれども、マップの存在そのものの意義や意味なんてコトは、意識したことすらありません。
だからこそ、彼の論文は、新鮮だったのですね。
彼と付き合うようになって、マップが持つ意味や意義を少しは考えるようにもなり、教えられることが多いですね。
コミュニティ・マッピングは、基本的に複数の人々による協同的なプロジェクトとして展開されていき、それによって地図づくりという活動自体が人々のネットワーク形成の契機になりうると同時に、そうしたネットワークを通じてマップに関する情報やマップそのものがより広範囲に拡散されていく可能性は、参加する個々のクリエイターのモチベートに繋がるはずだ、
と、彼は述べます。
このあたりのことは、彼によって教えられたことですね。
僕はクリエイターで、主業務のひとつに、デザインがあります。
デザインというものは、なにもイラストをちりばめたり、ポップにしたりすることではなくて、じつは、「伝えたい情報を効率よく伝えるために構築する」作業全般を指します。
むしろ、「構築」することがデザインです。
組織をデザインする、といえば、効果的な人事を行なうことです。それがデザイン。その組織図を描けば、それは、松岡さんのいうところの「マップ」になりますな。
というふうに考えると、松岡さんのいうところの「マッピング」と「デザイン」は、とてもよく似ています。ほぼ、同義です。
だから、この論文は、僕の仕事全般において、ある示唆を与えてくれるのかもしれない。
少しずつしか読み進めてないけれども、そういうことを考えながら、最後までじっくり読みたいと思っています。
松岡さん、ありがとう☆
以下は、僕が「YesPa!(イェスパ!)」をドロップしたときのブログを再掲。
————————————————————————————————————
かねてから予告していたとおり、携帯版 北区の駐輪場mapサイト「YesPa!(イェスパ!)」をリリースしました。
以下のような構成になっています。
トップページ(エリアのリスト)

エリア内の駐輪場mapと駐輪場リスト

個別の駐輪場の詳しい説明
●拡大map
●駐輪場の写真
●だいたいの所在地(駐輪場はの多くは路上なので、番地がありません)
●利用時間
●利用料金
●収容台数
●駐輪形式
●ミニバイク・自動二輪の利用可 / 不可
7月12日に大阪市よりプレスリリースしてもらったので、各種マスコミに情報を投げてあります。
7月14日、大阪市北区商店会総連合会のHPに、QRコード、サイトの案内を掲載します。
7月15日発行の大阪市北区役所広報誌「わがまち北区」の1面に掲載されます。
7月15日、大阪市のHP内北区のページに、QRコード、サイトの案内を掲載していただきます。
このサイトは、大阪市北区商店会総連合会(長ったらしいので、以下、北区商連)という北区内の商店街で構成する任意団体が、集客のためのイベントや商店街振興のイベントだけでなく、ゼニカネを離れたところで地域の利益になるような事業を行うことで、安全で安心できる住みよいまちを目指す取り組みを行うことで賑わいを取り戻そう、という考えのなかから、生まれました。
この考えが、大阪市の平松市長や北区長が提唱する「いっしょにやりまひょ!」の考えとマッチし、北区商連という民間の任意団体と行政とが「協働」することで、このサイトが生まれました。
通常、駐輪場map作成のような公共性の強い事業は、行政が主体となって進めるものです。行政が企画し、予算をつけ、コンペを行って民間に委託する、という流れです。
でもこれは、商売人の集まりが、利益を度外視して、純粋に地域に奉仕するための事業に予算をつけ、自発的に取り組んだ。さらに、行政に、一緒にやろうよ!と呼びかけた。通常の逆です。このあたりの事業発生の経緯は、なかなかレアなケースだと思います。
外側からの評価はこれからですが、内側での評価は、そうやって取り組んだ事業であるという、意義が評価されているようです。
以上が、公式発表した今回のおおまかなカバーストーリーです。
大阪市役所のHPのトップページ右サイドにある「報道資料」に、経緯が書かれています。僕が書いたものではないけれども、興味がある方は、どーぞ。
http://www.city.osaka.lg.jp/hodoshiryo/kita/0000087582.html
さて、僕は広告屋だし広報屋だし、通常、裏方でゴソゴソやる場所に籍を置いている人間です。
クライアントのために働いて、クライアントに利益を上げてもらうことでゼニをもらっている人間なので、クライアントを差し置いて、表に出てはいけない立場の人間です。
でも今回は、公式のカバーストーリーからはこぼれてしまう思いのようなものがありすぎるので、ここで、思うところを書いておこうと思っています。
この駐輪場mapサイトは、たったひとり、僕の心のなかでともった灯りを、あきらめずにともしつづけたことによって生まれたんだ、と、僕は断言することができます。そりゃ、最終的にはさまざまな人たちを巻き込んでいったんだけれども、そこに至る道のりには、砂を噛むような苦みが、いくつかありました。
昨年の5月から、ひょんなことから、僕は、梅田の放置自転車撲滅キャンペーンというものにかかわってきました。
これは、地元のオジィやオバァたちが集まって、駐輪マナーを守ろう!と呼びかけたり、不法駐輪の自転車に黄色や赤のタグをくくりつけたりして、警告を与えたりする運動です。
キャンペーンを引っ張るのは大阪市建設局と、梅田の場合は曽根崎警察署です。不法駐輪車両の撤去作業それ自体は、彼らがやります。オジィやオバァは単なるいち民間人、いち民草なので、なんの権限も持たされてません。不法駐輪車両を移動させる権限すら、いっこも持たされていません。あくまで、マナーアップを呼びかけるところまで。
参加しているのは、オジィやオバァたちだけじゃなくて、地元企業の方も参加されてます。梅田にある、誰でもが知ってるような名の通った企業さんの多くが参加していて、社員さんを出してくれてます。企業による社会貢献の一環、ですね。流行りの言葉でいうと、CSR=Corporate Social Responsibilityの一環ってやつですかね。
まあ、でも、憎まれ役ですよ。
チャリユーザーからは撤去の片棒担いでることで憎まれ、地元住民からは、不法自転車をどーにかしてよ!と、文句ばっかり言われ、挙げ句の果てに、そんなことやってて効果あるの?と、白い目で見られたりもする。
それでも、地元企業の社員さんは本来業務ではないとはいえ給料もらってるなかで参加されてるし、行政の人たちは、それこそが本来業務です。でも、オジィやオバァたちは、まったくの無償です。生まれ育った地元を愛し、少しでも住みよいまちにしたいと願うからこそ、無償で、ボランティアで、汗をかくことを厭いません。そもそも、自分たちを育ててくれた土地のためになにかをするのに、お金をもらって、という発想がありません。しごく真っ当な感覚です。家のまえが汚れてるから掃除しておこう、ついでに隣の家のまえの道も掃除しておこう、そういうことの延長でされている。
もう少し書いておくと、こういうことに参加する人というのは、いつでもおなじ人と相場が決まっていて、そういう人は、すでに福祉や防犯や防災なんかの役も掛け持ちしているから、もうね、生活を犠牲にしています。仕事はどうしてるの?家の用事は?と、こっちが心配したくなるほどに、なんやかんやと時間を割いて、誰かがやらなければならない役を、引き受けてらっしゃいます。
そのすべてが、無償。報酬、ナシ。むしろ、持ち出し。名誉、ナシ。場合によっては、憎まれ役。頭が下がりますよ、本当に。
僕はね、こんなオジィやオバァたちと触れ合うことになってから、まちの見方が変わりました。
地域の人たちとおつきあいするようになって、ほんの少しだけれどもまちづくりにかかわるようになって、こういう人たちの不断の取り組みがあってこその、まちづくりだと、思うようになりました。
何度も何度も書いているけれども、この人たち、モノ言わずして、ただただ縁の下で汗をかかれている人たちの存在を抜きにして、どんなまちづくりもないと思っています。
おもしろいイベントがどーたら、人の流れがどーたら、まちのシンボルがどーたらこーたら、果てはスローライフだとかフェアトレードだとか、文化だとか伝統だとか、そりゃそういうのは楽しいし僕も嫌いじゃないけれども、でも僕は、そっちは、もういい。若い人たちが、四肢をいっぱいに伸ばして、無理も背伸びもして思いきりやってくれたほうが、全然うまくいくと思っています。
僕は僕で、モノ言わずして汗を流しているオジィやオバァたちに寄り添っていくし、そのほうが、楽しい。それぞれが楽しいと思える場所に身を置くのが一番だと思うから、僕はそこにいます。そして、僕の役割は、そんなオジィやオバァたちに、少しでもいいから、光をあてること。少しでもいいから、お化粧してあげて、きれいなおべべを着せてあげて、晴れやかにしてあげること。僕の役割って、それだなあ、と、今、思っています。
この、「大阪市の北区をぐるぐる巡るブログ」なるブログを運営している理由のひとつには、じつは、そんなこともあったりします。
さて、駐輪場mapです。
そんな、憎まれ役になってしまっているオジィやオバァたちが、なんで憎まれ役になってしまっているのかというと、ひとつには、不法駐輪問題を解決するのには特効薬がなくて、地道に問題に取り組んでいくしかないんだけれども、そのせいで、成果がなかなか見えてこず、チャリユーザーや地元の人たちのストレスの矛先がオジィやオバァたちに向けられてしまっていることにあります。
もうひとつは、不法駐輪問題と謳いながら、やっていることは撤去にかかることのみで、チャリユーザーの視点から問題に取り組むという発想がまったく抜け落ちてしまっていることが、挙げられます。
簡単にいえば、撤去ばっかりバンバンやりやがって、駐輪場はないし、どこにあるのかもわかんないし、どないせえっちゅーねん!という、すべてのチャリユーザーが抱えているだろうストレスに、まったく応えてこなかった、ということです。
置いてはいけないところに、好き好んでチャリを置いているわけでは、ないんですよね。
駐輪場が、圧倒的に少ない。そもそも駐輪場がどこにあるのかすら、よくわからん。他ならぬ僕自身が、そう思うんだから!
僕こそがチャリを3度も撤去されてるし、それこそ、キャンペーンに参加するために乗ってきたチャリを、キャンペーンに参加しているあいだに、別働隊に撤去されたことすら、あります(←もちろん、路上にチャリを駐輪してキャンペーンに参加している僕が悪い。笑)
やい建設局!持っていったオレのチャリを返せよ!って文句言っても、もちろんダメ(笑)
駐輪場は、もちろん増やしてくれないと、困ります。
困るけれども、駐輪場をつくるとなると土地問題もあれば莫大なゼニもかかってくるし、法的な問題すら絡んでくるので、これはこれで障害も多くて、すぐにできるものではない。
でも、とりあえずは、今年の5月、1,000台分の駐輪場が大阪駅前ビル周辺を中心にできたし、今後も、今年度中に、中津、茶屋町の新御堂筋沿い、堂島、曾根崎の176号線沿いにオープンさせることが計画されてます。来年以降だと、現在建設中のJR大阪駅北ビル周辺にも新たに駐輪場をつくることが計画されています。
まだまだ焼け石に水状態だけれども、それでも増えていってます。
そんときのエントリーは、こちら。

「梅田で30ヶ所、合計1,000台分の駐輪場がオープン!地元のオジィやオバァたちの活動が陽の目を見て本当によかったと思う件」
なら、やっぱ、駐輪場mapですよ。
ないんですよね。
あればね、キャンペーンのときに、不法駐輪やめましょう!のチラシじゃなくて、駐輪場mapをまくほうがよほど有用だし、オジィやオバァたちも、喜ばれる。
そうしたいんですよね。でも、mapがない。
委託しているところもあるけれども、最終的には行政が運営責任者のはずの公営の駐輪場のmapが、ない。なにごとか!と思うんだけれども、ないんですよ…。
だから、行政にお願いするんだけれども、検討しまーす!みたいなことを言われて、お茶を濁される。もうね、暖簾が揺れること揺れること!押しても押しても、暖簾は翻るばかりで。。。
でね、ないのなら、行政が悪い!と言ってしまうの簡単です。責任の所在をはっきりさせて、悪いのはあいつら、サボってるのは行政、そう言ってしまうのは、とっても簡単なことです。でも、それでは、なんの問題の解決にもならん。僕は相も変わらずチャリを撤去され続けるだろうし、オジィやオバァたちは憎まれ役のままです。あいつが悪い!と叫んでみたところで、状況は、なんも変わらん。駐輪場map作成を公約に掲げてくれる人を選挙に担ぎだして、託すか?(笑)
そういう状況のなかで、誰もつくらんのだったら、オレがつくったる!と、腹をくくったのが、昨年の11月です。なんの権限も持たない、いちチャリユーザーでしかない僕が、腹をくくった。きわめて忙しいんですけどね。。。。
そっから約半年、おカネを出してくれるところを探しましたです。
ありとあらゆるところで、駐輪場mapつくるからゼニを出してくれ!と言い続けましたです。でも出してくれるところがなかなかなくて、しまいには、僕の顔を見れば「駐輪場mapのルイス」なんて言われる始末で(笑)でも、ゼニの出所がないんですよね…。
景気は悪いし、ときの政権の事業仕分けよろしくコストカッターみたいなのはあちこちにいるし、まあ、ありとあらゆるところに声かけしてみたけれども、色よい返事はなく…、もしかしてオレが妄想しているだけで、じつは大阪には駐輪場mapのニーズはないのではないか?と、疑念すら頭に浮かぶようにもなり…。
ただ、ここで躓いているだけだとラチがあかないので、ゼニの算段は今後も探るとして、見切り発車でつくりはじめちゃえ!って思ったんですよね。
時間を見つけてボチボチつくりはじめて、つくってる最中にどっかゼニを出してくれるところがあれば、それをもらおう!ってことにして、つくりはじめることにしたんですよ。それが、今年の3月。
で、公営の駐輪場のリストだけでもほしいなあ、まとまったリストがないならバラバラでもいいから資料だけでもほしいなあと思って、いつもキャンペーンで顔をあわせてる建設局の人に連絡して、駐輪場mapつくることにしたから、資料提供して!って、お願いしたのでした。
そしたら、だ。いち市民の声として上にあげときま~す、って…。出さないんですよ。公営の、誰でもが利用できる駐輪場の資料を。
武士の情けで名前は出さずにいてやるけれども、結局のところ、不法駐輪の撤去を主な業務としている建設局のそのセクションの人間は、撤去さえできればいいと思っているだけで、不法駐輪問題を解決しなければならないとは、思ってないんですよ。だから、撤去以外の、余計な仕事はしたくない、と。
こんな連中とつるんでキャンペーンに参加しているのかと思うと、アホらしくなってきてね。なんか、この時期って、闇夜の原っぱであてどなく石を投げてるような感覚だったなあ。。。
事業規模自体はそんなに大きいものじゃなく、むしろ小さな事業だし、データベースさえ整っていれば、作業そのものは、そんな大変なものではない。どっかで、楽勝☆と思っていただけに、ゼニは出てこない、データベースも出てこないとなると、これは長期戦になるのか?と、思いはじめていたのが、今年の3月です。
そっから、北区商連さんとの幸福な出会いがあって、冒頭に書いたカバーストーリー、コトが動き出したのが、今年の5月。
そっからはトントン拍子もあり紆余曲折もありでコトは進んでいきます。
そこの具体的な経緯はもうこれ以上は書かないけれども、ここでも幸福な出会いがあって、それがなければ、このmapの作成は、きっと、もっともっと時間がかかる仕事になったはずです。そういう出会いが、あった。
行政の人なので名前は出せないから、仮にフミさんとします。
お子さんがすでに家を出てらっしゃるくらいの妙齢の、かつ美しい女性です。
そのフミさんもまた、自転車問題に取り組むなかで、僕とおなじような思いを抱いていて、せめて駐輪場mapを!と考えていたそうです。
ところが、さまざまな事情があり、なかなかそういったものをつくることができないでいたのでした。
僕が僕の場所で孤軍奮闘していたように、フミさんもまた、フミさんの居場所で、巨石にスプーンで穴をあけるような非力さで、ひとりで闘っておられた。
そういうふたり、いち市民(←行政用語でしかないこんな言葉は大キライだけれども…)でありいちチャリユーザーである僕と、自転車問題を担当する行政のいち職員であるフミさんが、似たような時期におなじような想いを抱え、それぞれが協力できると知らずに、それぞれの場所で旗を掲げ、掲げた旗を汚されまいと、それぞれの両腕だけをひろげて守りつづけた。
そうすることで、ふたりが出会った。そうしてきたからこそ、ふたりは出会うことができた。どちらかが旗を降ろしていたら、出会うことはありませんでした。そして、この出会いがあったからこそ、この駐輪場mapは誕生させることができた、と、僕は思っています。
おたがいの持っているスキルは、おたがいがおたがいをピタリと補完しあうかたちに特化していて、これほどうまくピースがはまることはなかなかない、という組み合わせが、ここで誕生しました。
そして、この、市民と行政が手を携えて事業を推進させる、行政用語で「協働」というらしいのですが、この方法論こそ、平松市長以下行政が目指している「いっしょにやりまひょ!」の具現化で、僕とフミさんが組むことによって、その具体例が、ひとつ生まれるわけです。しかも、民間の側から行政に向けて協働を呼びかけたかたちで、事業がスタートします。
だからか、僕とフミさんが組んで駐輪場mapを作成すると決まってからの、行政上層部の反応たるや、大太鼓を無数のバチで打ち鳴らすがごとく、でした。
これが、5月の下旬のこと。
ふたりが組まなかったならば、行政の上層部が動かなかったし、行政の上層部が動かないことにはこの駐輪場mapを誕生させることは難しかっただろうし、僕とフミさんが、胸のうちにともした灯りを消すことなく、それぞれの場所で援軍を与えられずとも奮闘してこなければ、出会うことがありませんでした。
このエントリーで、僕は、
この駐輪場mapサイトは、たったひとり、僕の心のなかでともった灯りを、あきらめずにともしつづけたことによって生まれたんだ、と、僕は断言することができます。
と、書きました。
クライアントを差し置いて、表に出るべき立場にいない人間が、公開されているこのような場で、そのように言うのは、反則もいいところです。
それでも僕は、反則はスリーカウントまでは許されるというプロレスの愛すべきルールが適用されることを信じて、ここに書いておきます。
この駐輪場mapは、僕のものです。
この駐輪場mapは、フミさんのものです。
なぜ、反則を犯してまでこのように書くのかというと、この事業が、顔も名前もある個人の胸のうちにともった想いが出発点となり、そのおかげで世界の朝を迎えるような出会いがあり、それをきっかけとしてたくさんの人を巻き込むことができ、ひとつの事業として実を結んだその意義を、ここに記しておきたいからです。
会議のなかから、責任の所在のはっきりしない合議のなかから出てきたものではなく、市民や行政といった抽象名詞でもなく、顔も名前もある具体的な個人の想いが出発点となって、個人を個人として明確に登場させることのできる物語性を有している事業になったことの意義は、小さくない、と、僕は思っています。
あれをやりたい!こんなことができたらいいなあ!そのような、誰しもの胸のうちにポッとともった青い炎も、その大半は、ちょっとした風が吹けば消えてしまう。大半どころか、そんなことがほとんどです。
でも、そうではあっても、風のまえに立って、自らが衝立となって立ち続ければ、炎を燃やし続ければ、想いを叶えることは、できます。
できないかもしれない。がんばっている人全員に女神が微笑んでくれるわけではないから、それでもできないことは、たくさんある。
でも、篝火を焚きつづけているかぎり、可能性はゼロではない。ゼロではないという可能性に、どれほどかの想いを込め続けることでしか、コトは前に進んでいかない、と、僕は思っています。
可能性は、ゼロではないんだよ。個人の想いを叶えることは、できるんだよ、ということを、身をもって示すことができたと思っています。この事実が、若い人たち、とびきりキュートなメッセージがプリントされたシャツを着た人たち、まっさらでピカピカで傷ひとつついていない夢も希望も詰め込んだ心を持っている若い人たちに、ほんの少しでもいいから、勇気を与えるものになってくれたらなあ、という思いで、僕は、反則を犯しつつ書いています。
あれをやりたい!これもほしい!そんな、個人の想いや夢や希望が、コトのはじまりであるべきだと、僕は思っています。
傍観者ではなく、当事者となって、自らの胸のうちにともった灯りを自らで引き受けて、コトをはじめる。
志があるなら、夢があるなら、願いや祈りがあるなら、それを実現させるための理屈は、おカネは、人は、武器は、その熱にあてられた誰かが、きっと運んできてくれます。
自らの想いを自らの責任で引き受けていく、当事者となってコトに向かっていく。そうやってできあがる仕事が、この日本中でひとつでもふたつでも増えていけば、ずーっと停滞している日本社会を再起動させることは可能だ、と、僕は思っています。
この駐輪場mapは、小さな小さな事例かもしれないけれども、そういうことの膨大な積み重ねこそが、日本社会を再起動させるんだと、僕は信じています。
おもいをカタチに、という、一見、柔らかで口当たりのいい優しいフレーズを耳にするけれども、そのことの本当の意味は、そういうことなのではないですか? 僕は、そう思います。
なにはともあれ、北区の駐輪場map携帯サイト「YesPa!(イェスパ!)」は、本日オープンです。
便利なんで、奮ってお使いくださいませ。
そして最後に、この事業にかかわってくれたたくさんの方々に、こんな場所でではあるけれども、深々とお礼申し上げます。ありがとうございました。

コメント

タイトルとURLをコピーしました