高野山へ

高野山
熊野、高野山と行くと、紀伊半島が、日本列島の中でもっとも広大で年輪を重ねた樹海の中にあることが、わかります。
高野山は、言うまでもなく、平安初期に空海がひらいた場所です。
この海抜900mの山は、その頂の平地の周囲にもう一連の山岳を持つという二重構造になっていて、つまり、山でありながら盆地であり、盆地でありながら山であるという場所です。
そのことは、そこにいたる道のり、山を覆う雲、霧、そして見たこともないような急勾配を走る列車「天空」とカーブを切るケーブルカーを乗り継いで訪れると、よくわかります。
盆地の東の端には、空海の骨を納めている廟、つまり奥の院があり、そこに至る2kmの道すじとその周辺は、人家のない墓ばかりの世界です。千年来の、墓地。
土の中に埋もれたものや朽ちた無縁仏も加えれば、その墓地に眠る墓は、30万体を越すと言われています。世界でもこれだけの規模の墓地は珍しいでしょうね。
日本の墓はイスラムやキリストのそれのように個人単位ではなく家単位、共同体単位だから、その各墓には、複数の仏が納められているはずで、そのことを考えると、100万を越すのでは、と、推計します。
高野山には123の寺がありますが、それ以前に、このことを考えると、ここはれっきとした都市です。
この世にある、黄泉の国の都市です。
都市でいて、都市に固有にある嘘くささのようなものが、ここにはないですね。
枝道に入ると、中世、別所と呼ばれて、非僧非俗の人たちが集団で棲んでいた幽邃な場所があり、そこは寺よりもはるかに俗臭が薄い場所です。さらには林間に苔むした中世以来の墓地があり、もっとも奥まった場所である奥の院に空海がいまも生けるひととして四時、勤仕されている…。
そう書くと、嘘くささはなくとも、幻と現が交錯するような、境界線の曖昧なまどろみが、あちらこちらにありそうです。この空中都市は、空海が空に架けた幻影ではないかとさえ思えてきます。
日本で唯一の、異域ですね。
ここには、今でこそ珍しくなくなった、憤怒の表情をした仏がたくさんいます。
不動明王など。
ずいぶんと生臭そうな表情をしたお地蔵さんも。
微笑みをたたえた浄土からははみ出してしまう感情、表現、世界が、ここにはあります。他ならぬ空海が、そのような、浄土には収まりきらないものを持ち込みました。そうでなければ表現できないもの、救えないものがあるのだ、と。
鬼だな、と、思います。
あれらは、鬼です。
鬼とは、仏教的自然のいち変化です。
人はかつて悦楽と堕落の時代に鬼を必要とし、苦しみの時代に観音さんを見ようとしました。
今は、鬼だろうか、観音さんだろうか。
今の時代は、きっと、鬼を必要としているのかもしれません。
いや、観音さんかもしれない。
湧き出る水を蓄えた豊かな樹々、朽ちた墓、天に突き刺す卒塔婆、広大な空、あたりを浸食する霞、言霊を宿した梵字。
鬼、観音さん。
異域です、ここは。

高野山

高野山

高野山

高野山

高野山

高野山

高野山

高野山

高野山

高野山

高野山

高野山

高野山

高野山

高野山

高野山

高野山

高野山

高野山

高野山

高野山

高野山

高野山

高野山

高野山

高野山

高野山

Flickrに画像あります。
和歌山:高野山 奥の院〜金剛峯寺(2013.10.22)

高野山

和歌山県伊都郡高野町高野山132

スポンサーリンク
レクタングル(大)
スポンサーリンク
レクタングル(大)