キヨシロー

今日は、キヨシローの命日。
今、僕がここに辿り着くまでに、いろいろとあって、もちろん今もいろいろあるのだけれども、でも、今ここにいるこの僕の、多くの部分が、キヨシローと出会ったことで出来ている、と、今でも思っています。
中学3年生のころ、キヨシローと出会って、なにかを受け取って、その受け取ったなにかを胸に抱えて、その成れの果てが、今の僕です。
5年くらい前の夏のこと。
たしか、なにげにNHKを見ていたら、キヨシローのドキュメンタリーをやっていました。キヨシローを見たり聴いたりするのは、そのとき、とても久しぶりだったのです。
それは、キヨシローが、彼のルーツでもあるアメリカはメンフィスに飛んで、ブッカー・Tやスティーブ・クロッパーらとつるんでアルバムをつくる過程を追ったドキュメンタリーでした。
その番組を見ていて、ナイフを、ズブズブと突き刺さされたんです。
番組そのものは、メンフィス・サウンドとキヨシローの相思相愛の関係にフォーカスをあてたものだったのだけれども、僕の心に突き刺さってきたのは、そこではなくて、そこで披露された、ある新曲なのでした。
それは、『激しい雨』というタイトルで、こんな曲です。
季節外れの、激しい雨が降ってる、
というフレーズではじまるこの曲は、
クロッパーらしいタイトなリズムを刻みながら、
あちこちで起こっている厄災や悲惨な出来事を嘆いたり悲しんだり怒ったりするんです。
そして、最後、やはり彼の詩の世界は個人的な出来事に帰結していきます。
お前を忘れられず、世界はこの有様、

そしてそして、
必殺のフレーズが、出てくるんですよ。
oh 何度でも夢を見せてやる
oh この世界が平和だったころの夢を
RCサクセションが聞こえる
RCサクセションが流れてる

という歌。
なんとそこでは、キヨシロー自身が、自身の歌のなかに、RCサクセションを登場させているのです。それも、必殺の切り札として、必殺のフレーズとして。
あの時代、なにも20年まえのことを言ってるんじゃない。時代のことなんかじゃないですね。あの年齢のころ、若かったころ、ジタバタしてたし息苦しかったし、上手くいかないことのほうが多かったし、なんにもいいことなんてなかったけれども、それでも、今、いろんなことを諦めたり妥協してきたりして辿り着いた今に比べたら、なんぼかマシだ! それに、あんときは、RCがあったじゃないか!
そういう曲です。
平和だったころのこの世界というのは、いうまでもなく、キヨシローが見ていた世界のことです。キヨシローが見せて、僕が見ていた世界のことです。
同時に、これは、時代に抗う歌でもあります。
平和というのは、政治的な定義を持ち出すと、「戦争が行なわれていない状態」でしかありません。飢餓が起ころうが大地震が来ようが、戦争が行なわれていない状態なら、それは、政治的な、「平和」と呼ぶ範疇に入る状態です。
歌が、ロックが、それに対抗するには、キヨシローのように歌うしかないですね。
「夢を見せてやる」と。
それは、キヨシローが、あの声でもって、「RCサクセション!」と叫ぶことで現出する夢です。その夢を見る。それが、政治に対する、音楽の、歌の、ロックの、対抗手段です。
メッセージを言葉に乗せて歌う音楽ほどくだらなくてヤボなものはなくて、キヨシローは、そんなことしません。
音楽を奏でることそのものがメッセージであるような、そういう音楽です。
だからこそ、夢を見せてくれるのが、アメリカでも日本でも自民党でも民主党でも橋下でもなくて、「RCサクセション!」という、必殺のフレーズが、そこで叫ばれます。その叫びのなかに、キヨシローでしかありえないマジックが、生まれます。
キヨシローが、あの声で、「RCサクセション!」と叫ぶだけで、マジックが起こります。
そこで叫ばれる「RCサクセション!」は、けっして懐メロなんかじゃなくて、今も色褪せていない、というよりも、キヨシローが抗い続けることで、不断の意思を持ち続けることで、今もまだキラキラと輝いている、僕や僕たちの夢です。毎日毎日更新されて、永遠にまっさらの状態でピカピカに輝いている、朝陽のような夢です。
10代のころに持った初期衝動を、持ち続けること。
そのことを、テレビを見ていて、持ち続けているか?と、匕首を突きつけられたような気分になったのでした。
今日は、キヨシローがうんと若かったころの、『スローバラード』を聴いています。
ノイズもなにもかも、完璧。

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