さようなら、土居会長

土居年樹
長きにわたって天神橋筋商店街を活性化させ、キタでもミナミでもない、大阪を代表する顔のひとつにまで押し上げ、天神橋筋商店連合会(1・2・3丁目)の会長職を20年以上勤められた名物会長にしてカリスマ観光大使の土居年樹さんが、亡くなられました。

土居さんの功績は、もうここに書ききれるものではないけれども、主だったものだけでもピックアップすると、
・日本の商店街として初めての文化事業の拠点である「天三カルチャーセンター」(現在の「おかげ館」)創設
・日本初の「鳥居のついたアーケード」設置
・「星愛七夕まつり」実施
・「天満天神花娘」結成
・「天満天神繁昌亭」の創設
などが挙げられると思います。

全国各地で多くの商店街が衰退していくなか、天神橋3丁目商店街はの来街者は、1975年(昭和50年)頃には1日に8,000人前後だったのが、現在は25,000人とのこと。現在の賑わいをつくった中心人物こそが、土居さんでした。

商店街に「文化」を持ち込み、早くから「観光」を持ち込んだのも、土居さんでした。
今でこそ「攻めの観光」という言葉があるけれども、土居さんの戦略は、振り返ってみると、30年以上前から「攻めの観光」だったように思います。
「商店街から物販店が消え、飲食店だけになると、やがて衰退する」と僕に教えてくれたのも、土居さん。天神橋筋商店街は今でも物販店の多い商店街です。

土居さんの活動は一貫していて、「大阪らしさを大切に」「歴史と伝統を重んじる」「ふれあいと絆」がキーワードになっていました。
前述の壮挙を眺めていると、ソフトとハードの両面にわたって、施策を展開してこられたことが見てとれます。
ソフトを展開するには、知恵が要ります。
ハードを展開するには、おカネが要ります。
どちらかに特化した人はしばしば見ますが、ソフトとハードの両方で存分に力を発揮された方といえば、土居さん以外に思い浮かびません。
こんな人、もう出ないかもしれません。

平成25年、土居さんが「旭日双光章」を受章された際に、記念の冊子をつくるお手伝いをさせていただきました。それを引っ張り出してきて、いろんなことを思い出しています。
写真は、その冊子です。
冒頭の写真は、アラーキーが日本全国を飛びまわって撮影しまくった「日本人ノ顔」プロジェクトで撮影された、土居さんです。

最後のお別れをしに、今晩のお通夜に向かいます。

土居年樹

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