仏像の基礎知識
紀元前5世紀、北インドで生まれたゴータマ・シッダールタは29歳で出家し、修行を積んだ末に、35歳で悟りを開き、仏陀(=釈迦・釈尊・釈迦牟尼)となった。
仏像とは、本来この仏陀を表した像、如来のことを指す。
それ以外のものは、化仏(化身)と呼ばれ、後世の人間の想像上の産物による。如来の超人的なパワーの一部を特化し、具現化したものである。
仏像の種類は、一般的には、如来、菩薩、明王、天、その他の仏像の5種類に分類される。
如来
悟りを開いた者。最高位の仏。「真実から来た者」。釈迦如来、阿弥陀如来、薬師如来などがある。
菩薩
悟りを求めて修行している者。如来の慈悲行を実践して衆生を救う者。「悟りを求める者」。観音菩薩、地蔵菩薩、弥勒菩薩などがある。
明王
如来の化身。如来の命により一切の魔障を屈服させる。「真実を伝える者」。明王の「明」は、神秘的な力を持つ言葉、真言を意味する。不動明王、愛染明王、孔雀明王などがある。

仏法を護る神。超人的な力を持った神。梵天、帝釈天、吉祥天などがある。
諸尊
羅漢、十王、祖師などがある。

如来 nyorai

如来は、最初は釈迦如来だけだったが、釈迦入滅後、大乗仏教の成立により 仏教の教義が多様に展開した結果、多くの如来が考え出された。
また、各如来には、多くの菩薩が従って修行している。

薬師如来以外は基本的に持物をとらず、大日如来以外は、一枚の衣をまとうだけで、装飾品は身につけない。
髪の毛は螺髪(らほつ=小さくカールした髪の毛)で、如来独特のものである。

三十二相(三十二の超人的な特徴を備える)、八十種好(八十の小さな特徴がある)と言われる特徴がある。また、身体の周りに一丈ほどの光、光背を放っている。


釈迦如来 shaka-nyorai / kyamuni

仏教の開祖となり神格化された釈迦が永遠に衆生を救済する仏として崇められるようになったのが、釈迦如来。東南アジアでつくられる仏像のほとんどは、この、釈迦如来である。

法隆寺に代表される、右手を施無畏印、左手を与願印に結ぶ例が多い。飛鳥時代には、左手の小指と薬指を曲げている作例(法隆寺金堂、室生寺など)もある。ただし、禅系では、禅定印の像が作られる例が多い。
その他、初転法輪を表す説法印や、悪魔を追い払った時の降魔印を結ぶ例もあるが、日本での作例はあまりない。
また、インド、中国、日本の三国伝来とされる京都清凉寺の釈迦如来(清凉寺式釈迦如来)は、栴檀の木造で衣服のひだが細かく彫られ、胸の周りは同心円状である。この釈迦如来を手本として、以来数多くの釈迦如来がつくられた(西大寺、唐招提寺、西明寺など)。

釈迦三尊の場合は、一般的に左に文殊菩薩、 右に普賢菩薩を伴う(薬王菩薩・薬上菩薩、観音菩薩・虚空蔵菩薩、梵天・帝釈天などの組み合わせも見られる)。さらに文殊・普賢の脇侍に、十大弟子の迦葉、阿難の二尊を加えた五尊形式の例もある。

八部衆(釈迦に教化された異教の神々)や十大弟子(釈迦の主な弟子)を従える例もある。


阿弥陀如来 amida-nyorai / amitarba

無限の寿命を持つ者。無量寿如来あるいは無量光如来とも呼ばれる。
日本では特に鎌倉時代に入って、浄土宗や浄土真宗の台頭により大いに信仰された。
阿弥陀如来は西方極楽浄土の教主で、死に臨み「南無阿弥陀仏」を唱えれば、阿弥陀如来が迎えに来て極楽往生出来るとされている。阿弥陀如来は、その修業時代(法蔵菩薩)に四十八願と呼ばれる誓いを立て、このうちの十八番目を、王本願(おうほんがん)または弘願(ぐがん)または念仏往生願と言い、「念仏を唱え阿弥陀にすべてを任せた人々を救う」とされている。これが浄土系宗派の他力本願の元になった。

九品来迎印と呼ばれる、両方の手の親指と人差し指または中指、薬指で円をつくるのが一般的。

阿弥陀三尊の場合は、左側に観音菩薩、右側に 勢至菩薩を伴う(密教系は逆)。

二十五菩薩を従える例があり、平安時代中期以降信仰を集めた。


薬師如来 yakushi-nyorai / baishaji-guru

無限の寿命を持つ者。無量寿如来あるいは無量光如来とも呼ばれる。
日本では特に鎌倉時代に入って、浄土宗や浄土真宗の台頭により大いに信仰された。
阿弥陀如来は西方極楽浄土の教主で、死に臨み「南無阿弥陀仏」を唱えれば、阿弥陀如来が迎えに来て極楽往生出来るとされている。阿弥陀如来は、その修業時代(法蔵菩薩)に四十八願と呼ばれる誓いを立て、このうちの十八番目を、王本願(おうほんがん)または弘願(ぐがん)または念仏往生願と言い、「念仏を唱え阿弥陀にすべてを任せた人々を救う」とされている。これが浄土系宗派の他力本願の元になった。

正式には薬師瑠璃光如来と称し、東方浄瑠璃世界の教主。現代に置き換えると、医師を意味する。
十二大願(薬師如来が修業時代に、自分が仏になったら何々のことをしようという「誓い」を十二個立てた)の現世利益を説き、主に病気平癒を願って古来多くの人々から信仰を集めた。奈良時代には薬師如来を本尊として諸国に国分寺が建立されたことからも、信仰の厚さが伺える。

飛鳥〜奈良時代のものは、持物である薬壺がなく、座像、立像とも右手は施無畏印、左手は与願印を結ぶ。多くは釈迦如来と区別しにくい。
平安時代のものは、病気平癒の御利益が浸透して薬壺を持つ。右手は施無畏印を結んで、左手に薬壺をのせた座像もしくは立像。あるいは両手で法界定印を結び、その上に薬壺をのせた座像が一般的である。薬壺を持っていなくても、右手の薬指が前に出ているのが特徴であり、物を持つ如来は、この薬師如来だけである。

昼夜を問わず、病で苦しむ人々を見逃さないようにするため、日光菩薩・月光菩薩を従える。

また、十二大願に対応して、薬師十二神将を従える例もある。


七仏薬師 shichibutsuyakushi

薬師如来の光背に七体または六体、あるいは七体同じ大きさの像、あるいは大きな薬師如来のまわりに小さな六体の像として表現される。これは七仏薬師と呼び、薬師如来がご利益を発揮するときの化身、分身とされている。


毘盧舎那如来 birushana-nyorai / vailochana

「光があまねく広く照らす」、「太陽」の意味。
略して盧舎那仏とも言われ、光明遍照とも訳されます。
広大な仏教世界の中心に位置するのが毘盧舎那如来で、密教における大日如来は毘盧舎那如来をさらに発展させた仏法の宇宙そのものとされている。
釈迦が伝える真理の源が毘盧舎那如来であり、華厳経では、三千世界の中心である。

もっとも代表的な奈良東大寺の大仏は、右手は第三、四指をやや曲げた施無畏印、左手を左膝上に置いて上を向けた与願印を結び、大仏座という蓮華坐上に結跏趺坐している。
唐招提寺の毘盧舎那如来も東大寺の大仏と同様の造りだが、右手の中指と人差し指で輪をつくっているのが特徴。

如意輪観音、虚空蔵菩薩を従える。


大日如来 dainichi-nyorai

毘盧舎那如来が密教教義の中でさらに発展し、特に真言宗系密教では最高仏とされ、釈迦如来や菩薩、明王などすべての仏は大日如来の化身とされている。
一般的に蓮華座に結跏趺坐し、宝冠をかぶり、瓔珞(ようらく)、臂釧(ひせん)、腕釧(わんせん)を身につけている。

なお、大日如来には、金剛界と胎蔵界の二つがある。それぞれは、法界定印で表されている。
曼荼羅は大日如来の世界を表したものであり、それぞれ胎蔵界曼荼羅、金剛界曼荼羅といい、合わせて両界(両部)曼荼羅と呼ばれている。


五智如来 gochi-nyorai

密教の中心である大日如来を囲んで、東西南北に四体の如来を安置する。これを総称して、五智如来と呼ぶ。

本来は金剛界の五仏を五智如来と呼ぶが、胎蔵界においてもそれぞれ同体であると解釈されている。
五智は仏の五つの智慧を表し、大日如来の宝冠を五智宝冠と呼ぶことから、五智如来の名がついた。


阿閃如来 ashuku-nyorai

鏡のようにすべてを映し出すという意味で、「大円鏡智」と呼ばれる智を表わす。病気を治す者。
薬師如来が密教にないのは、この阿閃如来と同等と考えられたためである。

左手で納衣の端を握り、右手は降魔印を結んでいるのが特徴。


不空成就如来 fukuujouju-nyorai

ご利益を与えるために、するべきことを成就させることで、「成所作智」と呼ばれる智を表わす。不空とは、空っぽではない充実したことを指す。
右手は施無畏印を結び、左手は手のひらを上にして足に置いている例が多い。


宝生如来 houshou-nyorai

あらゆるものは平等であるという精神を説く。宝も福も叶えますという意味で、「平等性智」の智を表現している。
右手で与願印を結んでいる例が多い。


仏頂・仏母

密教の最高仏である大日如来から派生した諸々の仏。仏頂とは、仏の頭の頂は普通の人々には見えない尊いものなので、仏のなかでも最高の仏尊のことを指す。


一字金輪仏頂 ichijikinrin-buccho

仏頂のなかでも最も優秀な仏尊。一字とは仏や菩薩がこの一字に帰することから、また金は古代インド神話による最高の位を表すことから名付けられた。金剛界の曼荼羅に描かれるほか、彫像としては岩手中尊寺に遺っている。


大仏頂 daibuccho

如来の三十二相のひとつ。肉髻相の功徳を神格化したもので、胎蔵界曼荼羅に描かれている。


仏眼仏母 butsugen-butsumo

あらゆる眼力をそなえた仏眼を尊格化し、また諸仏を生じさせる母であることから、仏眼仏母と呼ぶ。 単独の画像として描かれるほか、胎蔵界の曼荼羅に描かれることから、金剛界の一字金輪仏頂に対応するものと考えられている。


菩薩

大乗仏教の展開により多くの如来が考え出されるうち、それらの如来に従って 多くの菩薩が如来を目指して修行をしているという考えかたが生まれ、さまざまな 菩薩が生まれた。その、菩薩の修行は「六波羅蜜」と呼ばれている。

出家する前の釈迦の姿をモデルにしているので、上半身は裸、左肩から右脇にかかけて条帛をかけ、天衣を肩や腕に絡ませている。下半身は裳(裙)をつけるのが一般的である。また、地蔵菩薩を例外として、髷を結い、宝冠や頭飾をつけ、身体には瓔珞(ようらく)、臂釧(ひせん)、腕釧(わんせん)などを身につけている。
怒った顔の馬頭観音を除いて、ほとんどは女性的な柔和な顔をしている。

多面多手像が多いが、大勢の人々に相対するには顔がたくさんあったほうがよく、救いのために差し伸べる手も数が多いほうが便利であるとの考えから、そのようになっている。


観音菩薩(観世音菩薩) kannon-bosatsu / avarokiteashuvalla

仏の慈悲の「非」をもって、現世の生活に悩む人の苦しみを救い、阿弥陀如来の化身と考えられている。

「観世音」とは、世間の人々の救いを求める声(音)を感じると、ただちに救済の手を差し伸べるという意味で、救いの要請があれば、千変万化の相を表して人々を導き、大きな慈悲を行う。密教ではこうした観音菩薩の、場に応じた多彩な慈悲の働きを、多面多臂(多くの顔と腕)という形で強調した変化観音として登場させた。

変化観音は、すでに奈良時代、千手観音・十一面観音などがつくられ、平安時代に体系的に密教が導入されると、曼荼羅のなかに描かれ、種々の観音が加えられるようになった。変化観音に属さない2臂の観音は、観音の基本形ともいうべきもので、聖(正)観音と呼ばれているが、飛鳥時代につくられた法隆寺の百済観音や救世観音など、伝承にもとずく名称を持つ観音像もある。


聖観音(正観音) seikannon / avarokiteashuvalla

すべての観音の基本となる菩薩。単独で祀られるほか、勢至菩薩とともに阿弥陀如来像の脇侍となることもある。
頭上に阿弥陀如来の化仏をつけ、蓮華のつぼみや水瓶を持っているのが一般的である。一面二臂像で、右手に蓮の花、左手に水瓶を持つ作例が多く見られるが、持物については経典の記述も像例もまちまちで、一定していない。
化仏は観音菩薩のシンボルで、准提観音を除くすべての観音につけられている。


十一面観音 juichimen-kannon / eakerdashamuka

人々のさまざまな苦難に対応するため、すべての方向に顔を向けた観音で、変化観音のうちもっとも早く考え出されした。頭部に十一の顔を表し、それぞれ人々の苦しみを救う力を秘めている。

平安時代以来、民間信仰と結びついて観音信仰の主流を占め、観音=十一面観音と考えられるほどに広まった。
頭上の十一の各面には、阿弥陀仏の化仏を付けた宝冠を頂いている。左手に水瓶を持ち、右手は前に向けて開く施無畏印の二臂像が多いのだが、密教の経典には四臂や八臂の像も説かれている。


千手観音 senju-kannon / saharah's Buja

千の手を持つ者。正しくは千手千眼観自在菩薩と言い、大悲観音とも言われる。千の手にひとつひとつ眼があり、その眼で人々の苦悩を見て、たちまちのうちに救いの手を差しのべてくれる。
日本では、平安時代に平清盛により京都蓮華王院(三十三間堂)が造営されたのをはじめとして、最もポピュラー的な存在となった。後世には十一面観音とともに圧倒的な支持を得るようになり、全国に多数の作例が残されている。ちなみに、西国三十三番札所の本尊は、その多くが千手観音である。

唐招提寺金堂や大阪葛井寺の千手観音は本当に千本の手があるが、通常は合掌する二本の手と四十本の小さな手で構成されており、小さな一本の手で二十五の願いを聞き届けてくれるとされている。この四十本の手に、錫杖、宝珠など他の仏がそれぞれ持っている持物を一人で持っている。
頭は十一面で、っすべての方向を注視し、すべての人々を救う十一面観音の救済の意志に加え、千本の手で救済の具体的な手段を表現している。ただし、本面の眉の間に縦に第三の眼があるのが十一面観音と異にするところである。

二十八部衆、風神・雷神を従える例がある。


馬頭観音 batou-kannon / hayagrivah

平安時代から信仰が盛んになり、近世には民間信仰とも結びついた観音さま。馬を守る仏と考えられ、農耕をはじめ交通・運送用の馬の安全を願って、路傍の石仏として各地で盛んにつくられた。衆生の無知や苦悩を断じ、あわせて諸々の悪を破壊消滅させる。
忿怒の表情をしていることから、八大明王にも数えられ、馬頭明王、馬頭金剛明王などと呼ばれることもある。手ごわい煩悩を駆逐するためには、優しい慈悲の表情では手に負えないと考えられるからである。

頭上に馬頭を頂き、胸のまえで馬頭印とよばれる特殊な手の組みかたをしている。赤が基本の色とし、恐ろしい忿怒の表情をしている。
最も多く見られるのは三面八臂像だが、密教の胎蔵界曼荼羅では三面二臂像に描かれている。


准胝観音 juntei-kannon

密教の女性尊で、真言系では観音に属し、天台系では准胝仏母として如来に分類されている。聡明、夫婦愛、他人敬愛、求子安産、延命治病などのご利益があるとされ、とくに求子は、醍醐天皇の御願によって祈ったところ、朱雀、村上両帝が誕生になったこともあって、信仰が寄せられた。

一面三目十八臂像が一般的で、観音の標識である化仏のある宝冠を被る。ただし、作例によって化仏がないものもがあるが、これは観音像としては異例のことである。斧を持つ作例もある。


如意輪観音 nyoirin-kannon

如意とはすべてのことを意のままにできる如意宝珠を、輪は煩悩を打ち砕く法輪を意味し、物質的、精神的な願望を成就させると言われている。

一般的には一面六臂像で右第一手を頬にあてて思惟(人々をどうやって救おうか考えている)の姿をとり、左第一手は垂下させ、他手には宝珠・念珠・蓮華・輪宝などを持ち、右膝を立て両足裏を合わせる輪王坐という姿勢をとる。また、奈良時代には、一面二臂の半跏像が主流であった。


不空羂索観音 fukuukensaku-kannon

インドでは早くから盛んにつくられ、現在でも多くの像が残されているが、日本では十一面観音や千手観音のような目立った信仰は見られず、作例もあまり存在しない。

一面三目八臂像が一般的で、第二手が合掌し、与願印を結び、他手に羂索・蓮華・錫杖・仏子などを持つ。羂索は、戦いや猟で用いる端に環のついた投網のことで、苦悩するすべての人々をもれなく(=不空)救いとる。


六観音 roku-kannon

六道を教化して人々を救済する。天台系では、聖・千手・馬頭・十一面・如意輪・不空羂索を、真言系では不空羂索の代わりに准胝観音を充てる。また、聖・千手・馬頭・十一面・如意輪・不空羂索・准胝をまとめて七観音と呼ぶ。


三十三観音 sanjusan-kannon

法華経や観音経において、観音菩薩がその姿を変えて人々を救済するという、三十三応現身にちなんでつくられました。 白衣を着て髪を高く結い上げ、首飾りをして持物を持つか手を衣に隠しているのが共通点である。


弥勒菩薩 miroku-bosatsu / maitoleya

慈悲から生まれた者とされ、転じて、慈氏と呼ばれる。
釈迦の後継者で、釈迦入滅後56億7千万年後に如来となり衆生を救うとされている。
未来に必ず成仏することから、未来仏、当来仏とも呼ばれ、菩薩でありながら、弥勒如来や弥勒仏と呼ばれることもある。

奈良時代以前に多くつくられた半跏思惟像、兜率天で瞑想に耽るさまを示す菩薩形、釈迦の次代を担う仏となったさまを示す如来形につくられる場合もある。

半跏思惟像としては、京都広隆寺の像が有名。椅子に腰掛けて右足を左足の膝の上に乗せ、左手を右足の足首の上に置いています。右手は曲げて指先を軽く頬に触れて、思惟のポーズをとっている。これは将来、私たちの住む娑婆世界に降りたときに、どのようにして衆生を救済するかを考えている様子を表現したものである。

菩薩形は、一般的には、宝冠を冠り、持物として小さな仏塔を持つ。膝の上に組んだ手の上に小塔を載せたものと、手にもった蓮華の上に小塔を載せたものとがあり、この小塔は「地・水・火・風・空」の物質の五要素をかたどった五輪塔の場合が多く見られる。また、このかたちは、鎌倉時代に多くつくられた。
ただし、如来形の場合は、与願印・施無畏印に組み、装飾品を身につけないので、釈迦如来像と見分けがつきにくくなっている。

また、布袋が中国では弥勒菩薩の化身と考えられて大いに信仰され、日本にもその信仰が伝えられた。京都の黄檗山萬福寺には大きな布袋の像が安置されている。


勢至菩薩 seshi-bosatsu

大勢至菩薩とも呼ばれ、衆生の無知を救う仏の智慧を表す。
単独で信仰されることはほとんどなく、もっぱら、観音菩薩とともに阿弥陀如来の脇侍となり、阿弥陀三尊を形成する。

観音が宝冠の正面に阿弥陀化仏を標識としてつけるのに対し、勢至菩薩は水瓶を表す。手は合掌するものが多いが、右手に蓮華を持つ作例もある。


地蔵菩薩 jizou-bosatsu / kushiti-garvah

大地の母胎という意味。釈迦入滅後、弥勒菩薩が成道するまでの無仏時代に、いわゆる六道の衆生を救うために派遣された者とされている。地蔵菩薩は私たち日本人に最も親しまれている菩薩である。
なお、あの世とこの世の境である六道の入口には地蔵が立ち、衆生を教化すると考えられ、六地蔵が生まれた。


延命地蔵 enmei-jizou

片足を踏み下げた半跏像の形式は、安産や延命の利益があるとされている。

普通の僧侶の姿をしている。
左手に宝珠、右手を施無畏印を結ぶ像と、左手に宝珠、右手に錫杖を持つ像がある。錫杖はすべての人々を救うために俗界を遍歴することを示し、宝珠は人々の願いを叶えることを表している。
これに対し、曼荼羅のなかの地蔵菩薩は、またべつのかたちをしている。胎蔵界曼荼羅では地蔵院の中央に描かれ、左手は拳を作って腰にあてて、上に宝幢というのぼり幡のようなものがついている蓮華を持って、蓮台に座っている。金剛界曼荼羅では、宝生仏の親近である金剛幢菩薩と同体の一尊として、両手に幢幡を持った姿に描かれている。


文殊菩薩 monju-bosatsu / majushurih

サンスクリット語を音写して文殊師利または曼殊室利などと言い、実在した人物であるとされている。普賢菩薩とともに釈迦如来の脇侍として従う。
文殊菩薩は数ある菩薩の中で最も優れた智慧を持つ菩薩であり、そのことは、「三人よれば文殊の知恵」の諺にも表現されている。
釈迦の弟子たちが、非常に聡明で大乗仏教の奥義に通じた維摩居士に議論を挑んだが、次々とやりこめられた。しかしただ一人、文殊菩薩だけは、対等に論議することが出来たとのエピソードもあり、奈良法隆寺五重塔、興福寺東金堂には、その問答を表現した塑像がある。
この文殊菩薩の智慧は純粋に理性的なもので、ものごとをまったく主観を交えないで判断することが出来る、いわゆる悟りの智慧と言われている。

獅子にまたがり、右手に剣、左手に経巻を持つのが一般的とされているが、必ずしも一定していない。経巻は智慧の象徴、剣はその智慧が鋭く研ぎ澄まされているさまを、獅子はその智慧の勢いが盛んであることを表現している。獅子にまたがる像は、平安中期に盛んにつくられ、それ以降の模範となった。
また密教では、右手に梵篋(多羅樹の葉に経文を刻んだもの)、左手に金剛杵などを持つ。
髪は、一つ、または五つ、六つ、八つの髷を結っており、密教では陀羅尼を唱えることによって、ある特定の御利益を得ようとする。この陀羅尼は一文字から数文字の短い文句だが、この文字数と文殊菩薩の髷の数とが一致している。つまり一文字の陀羅尼を唱えるときは、髷が一つの文殊菩薩を本尊とし(これを一文字文殊または一髷文殊と呼ぶ)、五文字、六文字、八文字の陀羅尼を唱えるときは、それぞれまげが五つ(五文字文殊、五髷文殊)、六つ(六文字文殊、六髷文殊)、八つ(八文字文殊、八髷文殊)の文殊菩薩を本尊とする。それぞれ、増益、敬愛、調伏、息災などのご利益がある。


稚児文殊 chigo-monju
稚児のような純粋無垢で執着のない智慧であることから、子供の姿につくられる例も多く、これを特に童形文殊または稚児文殊と呼ぶ。

僧形文殊 sougyou-monju

僧侶の日常生活の手本とされたことから、僧のかたちに似せる例もあり、僧形文殊と言われている。


五台山文殊 godaisan-monju
眷属として善財童子や優でん王、仏陀波利三蔵、最勝老人を従える、五尊形式の作例もあり、五台山文殊と言われる。五台山とは、中国山西省にある地名で、文殊菩薩の聖地とされる清涼山と比定して信仰された場所である。五台山信仰は天台宗を中心に盛んになり、高知竹林寺、奈良安倍文殊院などに作例として遺っている。

渡海文殊 tokai-monju

五台山信仰が発展し、雲に乗って海を渡り五台山に向かうとされている。


普賢菩薩 fugen-bosatsu / samantabadrah

行(修行)の代表で、文殊菩薩とともに釈迦如来の脇侍として、慈悲を司り、堅固な菩提心を持ち、また女人往生をも説いて広く信仰された。
仏教では智慧と実戦的な修行がバランスよく行われることを理想としているが、文殊菩薩の智慧と普賢菩薩の行の両方が備わることによって、仏教の教えは完全なものとなり、釈迦如来の無限の慈悲も真の輝きを表すことが出来ると考えられている。このようなことから、文殊・普賢の両菩薩を脇侍とした釈迦三尊像が作られるようになった。

また、仏教では、女性は男性とは比べものにならないほど煩悩が深く、成仏出来ないとされていたが、法華経はこのタブーを破ってはじめて女人成仏を説いたことから、とくに女性の信仰が篤かったと言われている。眷属として十羅刹女を従え、雲に乗って飛来する仏画が好んで描かれた。

合掌し白像の背上の蓮華座に結跏趺坐するものが多く、まれに蓮華や如意・経典などを持つ場合も見られる。密教系では、左手に剣を立てた蓮茎をとるか、あるいは左手に五鈷鈴、右手に金剛杵を持つ例が見られる。また、古い時代には象に乗らない像もある。
また、密教では普賢菩薩の悟りを求める心が金剛不壊(固くて絶対に崩れない)であることから、金剛界曼荼羅の中心的な菩薩である金剛菩薩と同一視されるようになった。この場合、左手は握って拳を作って腰にあて、右手には剣を持っている。
胎蔵界曼荼羅では、弥勒・観音・文殊の諸菩薩とともに四菩薩の一つに描かれ、左手には蓮華を持っている。剣をもつのは、この菩薩の悟りを求める心が固いことを表している。

天女形の十羅刹女(尼藍婆・毘藍婆・曲歯・華歯・黒歯・多髪・無厭足・持瓔珞・皐諦・奪一切衆生精気)が従い、それぞれ、独杵や念珠、花などを独杵や念珠、花などを持つ。
十羅刹女は、法華経の陀羅尼品にも説かれ、人を騙して食うという悪鬼だったが、仏教に帰依してその守護神となった。


普賢延命菩薩 fugenenmei-bosatsu

普賢菩薩には延命のご利益があると言われ、この像を本尊として延命を祈願するようになった。


虚空蔵菩薩 kokuzo-bosatsu / arkarsha-garbah

虚空というのは空間的な広がりのことで、宇宙の果てまで果てしなく広がる大空のことを指す。虚空蔵菩薩は、この虚空のように広大無辺で、破壊されることのない福徳と智慧を兼ね備えている。主として密教で発達した菩薩で、曼荼羅に描かれるとともに、大日如来を中心とする五大虚空蔵菩薩などが多くつくられている。
また、偉大な記憶力を授けてくれる菩薩として信仰を集め、虚空蔵菩薩を本尊とする求聞持法という修法が盛んに行われた。

求聞持法の像では、満月を描いたなかに蓮華上に半跏し、左手に如意宝珠のある蓮華を持ち、右手には五指を垂れた与願印を結び、頭に五仏冠と呼ばれる五体の化仏のついた宝冠を冠る。
胎蔵界曼荼羅では、五仏冠を冠り、右手は曲げて宝剣を持ち、左手は如意宝珠を載せた蓮華を持つ。金剛界曼荼羅では、宝珠のついた蓮華を右手に持ち、左手は拳をつくって腰にあてている。


五大虚空蔵菩薩 godaikokuzo-bosatsu

五大金剛虚空蔵とも呼ばれ、大日如来を中心とする金剛界五仏が変化したもの。
法界虚空蔵(中方)、金剛虚空蔵(東方)、宝光虚空蔵(南方)、蓮華虚空蔵(西方)、業用虚空蔵(北方)の5尊を言い、増益や除災を願って行ずる修法の本尊で、とくに辛酉年の除災修法の本尊とされている。
宝冠を冠り、左手に鈎を持つが、身体の色や台座、持物、印などは一定していない。


日光菩薩・月光菩薩 nikko-bosatsu gekko-bosatsu

日光菩薩は、日の光で人間の煩悩を照らして無知を打ち破る仏の英知を表し、月光菩薩は、月の光のような優しい慈しみの心、仏の慈悲を表す。
単独で祀られることはなく、主に薬師如来の脇侍として造られる。東大寺三月堂の像は、不空羂索観音の脇侍として祀られてる。

日光菩薩は右手を上げて左手を下げ、月光菩薩はその逆であるように、対称的に造られる例が多く、下げた手(または両手)で輪をつくる例も多くある。一面二手で、蓮華を持ったり、合掌したりと、その姿はさまざまである。持物が色分けされ、金か赤なら日光菩薩、銀か白なら月光菩薩。また、手にした円盤に彫られた動物が烏なら日光菩薩、蛙や兎なら月光菩薩である。
太陽のもとでも月の光のもとでもあまねく照らして、病苦に苦しむ人々を見逃さないようにしている。


薬王菩薩・薬上菩薩 yakuoh-bosatsu yakujoh-bosatsu

釈迦如来の脇侍として祀られ、薬をもって人々を救うとされている。薬王が兄で、薬上が弟の兄弟。法隆寺金堂の釈迦如来は、この菩薩を脇侍として従えている。

薬王菩薩は薬草・薬壺、薬上菩薩が薬壺を持つが、一定していない。また、二十五菩薩中の一尊にも加えられている。


金剛薩た菩薩 kongohsatsuta-bosatsu

金剛は仏の知が堅固なことを象徴し、その威力であらゆる煩悩を破壊するとされている。密教において、一切の衆生が菩提心を起こすきっかけをつくる菩薩で、大日如来の教えを衆生に伝授する役割を担い、人々の発心を促す、重要な仲介者でもある。
密教では、大日如来の教えを受けた密教第二祖として崇敬されているほか、大日如来の母たる存在としても信仰され、普賢菩薩と同体ともされている。

右手に五鈷杵、左手に五鈷鈴を持つ作例が多く、また左手で拳をつくり、右手は胸の前にあげて三鈷杵を持つ作例もある。


五大力菩薩 godairiki-bosatsu

五大力吼、五方菩薩とも言い、鎮護国家を祈って修せられた仁王会の本尊で、五千の大鬼神の王とされている。 五大力さんとして名高い醍醐寺の仁王会は、毎年二月二十三日に修され、参拝者には五大力菩薩のお札が授与され、盗難除けや災難身代わりの護符として祀られる。

菩薩でありながら分怒相を示すものが多く、秋篠寺には四尊が片足をあげて蹴り上げる像がある。


般若菩薩 hannya-bosatsu / plajunyaparamittah

あらゆる物事を一瞬のうちに悟る直感的な智慧を持ち、仏教ではこの智慧を得ることによって悟りを開くことが出来ることから、これを最高のものとし、この智慧を獲得することを至上目的としている。
彫像や塑像はつくられないのであまりポピュラーな存在ではないが、密教の胎蔵界曼荼羅では、その中心に描かれる重要な菩薩である。胎蔵界曼荼羅の持明院の中央尊として三目六臂の般若菩薩が置かれ、また虚空蔵院にも二臂の般若仏母として表されている。

宝冠を冠り、さまざまな装飾品を身につける。甲冑や羯磨衣を着け、手に経典を象徴する梵篋(経箱)を持つ者や、智慧を表す剣をとる者がある。また、六臂のものは、六波羅蜜を象徴したもので、 左手の一本には経文を持ち、胸の前で支え、他の五本の手はそれぞれ異なった印を結んでいる。


大随求菩薩 daizuigu-bosatsu

大自在と同義の菩薩で、随求菩薩とも言う。この菩薩の真言を唱える者は、さまざまな苦難を逃れることが出来るとされている。息災・滅罪をはじめ広い効用があるが、なかでも求子の効能が喜ばれて、平安時代以降、人々の篤い信仰を得てきた。口で真言をもっぱら唱えることが先行して、本尊像としての造像に結びつかなかったため、現存する作例は京都清水寺の坐像、大阪観心寺の画像のほかはあまりない。

慈悲円満相で八臂、右手に五鈷杵・剣・斧・三股戟、左手に輪宝を乗せた蓮華・索・宝幢・梵篋を持つ。宝冠中に化仏があり、蓮華に座っている。


二十五菩薩 nijuugo-bosatsu
阿弥陀如来の来迎に従って、これから往生しようとする者を浄土へ迎える。仏像としての作例はほとんどなく、阿弥陀来迎図などの仏画に描かれることが多い。菩薩の名称と持物、特徴は必ずしも一定しない。

明王

密教では真言を唱えると、種々の祈願が 成就するという信仰がある(真言宗の名はこれに拠る)。そしてその力の最も絶大なるものを明王と言い、明王の明は、真言を 表している。その多くは、ヒンズー教の尊像の表現を源としている。

如来の教えに従わない者を、調伏、救済するために、如来の命を受けて怒りの形相で表現される。
孔雀明王を除いて、髪を逆立てた焔髪、忿怒相。背中に煩悩を焼き尽くす燃え盛る火炎を背負っている像が多い。
上半身は裸で、条帛を肩からかけ、下半身は裳(裙)をつけ、身体には瓔珞、臂釧、腕釧などを身につける。
さまざまな武器を手にしているのも特徴で、この持物により仏像を見分けることも出来る。

如来や菩薩の静に対して、明王は動の仏である。


不動明王 fudo-myouoh / acharah

古代インドでは、シヴァ神を意味するものだったが、仏教に取り込まれてからは、密教において、大日如来の化身として、明王のなかでは最高の位を与えられ、また五大明王の中心となっている。不動明王は大日如来の命を受け激しい忿怒の表情をし、常に火焔のなかにあって、その燃えさかる炎であらゆる障害と一切の悪を焼き尽くす。
日本へは空海によって密教とともに伝わり、信仰を集めた。また、千葉成田山新勝寺の本尊である不動明王は平将門の乱を平定するために祈願されたと言われている。しばし国家安泰を祈願し多くつくられ、軍神としても信仰され、最近では家内安全、商売繁盛、交通安全といった現世ご利益を祈るようになった。

最もよく見られるのは一面二臂の座像で、童子形という子どもの体型をしている。これは、ひとたび煩悩を断ち切って仏道に精進する者に対しては、子どものように素直で従順であることを示している。
瑟瑟座もしくは岩座に座し、火焔光背を背に右手に剣、左手に羂索を持っているのが一般的だが、左右の持物が逆であったり、蓮華座に座すものもある。髪の毛を束ねて左側に垂らし、頭の上で髷をつくっている。
また、天地眼(右眼を見開き、左眼を半開きにした形)と呼ばれる眼で、左右の眼で天と地を同時に見ているが、これは世の中すべてを見通している証でもある。あるいは、上の歯で下唇を噛んだり、下の歯で上唇を噛み、上の歯で下唇を噛んでいる例もあります。これらは、平安時代末期以降に多くつくられた。
東寺講堂の像が現存最古のものとされているが、特に関東地方で信仰され、成田不動、深川不動、巣鴨不動などで有名である。

矜羯羅、制多迦の二童子を従え、この二童子を脇侍として配置されることが多い。さらに六童子を加えて八大童子を従える場合もある。
経典によっては、倶利迦羅龍王をはじめとする四十八使者を従えると説くものや、三十六童子を従えるとするものある。


五大明王 godai-myouoh
不動明王を中心に、左右に二体ずつの明王(下記)を配すのだが、五大堂はこの五体を祭っている。真言系では、不動・降三世・軍荼利・大威徳・金剛夜叉を配し、天台系では金剛夜叉の代わりに鳥枢沙摩明王を配す。さらに前者では大威徳を除きすべてが立像であるのに対し、後者ではすべて坐像となる。
代表的例としては、空海自らが構想した東寺講堂の五大明王像が有名である。この東寺講堂の五尊は、以後の日本での五大明王像の像造に際して多大な影響を与えた。

降三世明王 kouzanze-myouoh

阿閃如来の命を受け、不動明王に次いで格の高い明王。過去・現在・未来の三世と、貪(=欲望)・瞋(=怒り)・痴(=無知)の三毒(煩悩)を降伏させるので、降三世と名がついている。 金剛薩た菩薩の化身とも言われている。

三面八臂、または四面八臂が一般的である。顔は忿怒の表情で、四面の場合、正面が青色、右は黄色、左は緑色、後ろは紅とされている。胎蔵界曼荼羅には一面二臂像で描かれている。
胸前において左右第一手で降三世印を結び、他手には戟・弓・金剛索・金剛杵・矢・剣を持ち、左足で外教の最高神・大自在天(シヴァ神)を、右足でその妃・烏摩を踏まえる姿が多く遺っている。


軍荼利明王 gundari-myouoh

宝生如来の命を受け、さまざまな障害を取り除いてくれる。甘露を入れる壺という意と、髑髏を巻く者の意のふたつがあるとされ、それゆえに、甘露軍荼利の別名もある。五大明王のひとつとしてつくられるほかに、平安時代には単独で信仰されたこともあり、遺例に滋賀金勝寺像、埼玉常楽院像などがある。

一面三目八臂が一般的で、大瞋印または跋折羅印と言われる中心の二本の腕を、胸のあたりで交差する。身体に蛇を巻きつけている例も多くあり、身体の色は青色で、白蓮華で両足を受けているか、あるいは片足を宙に浮かして躍動する姿が多い。曼荼羅のなかでは、一面二臂像で蓮華座に座った座像として描かれている。


大威徳明王 daiitoku-myouoh

阿弥陀如来の命を受け、悪の一切を降伏させる。死の神ヤマを倒す者の意で、また六本の足を有することから六足尊の別名もある。

水牛にまたがっている。これは水牛が田んぼの泥水の中を自由に歩きまわるように、この汚れた娑婆世界であらゆる障害を乗り越えて自在に進んでいくことを表している。三面または六面六臂六足が一般的で、六つの顔にはそれぞれ三つの眼がある。弓・矢・剣などを持物としているほか、中央の二手は檀陀印と呼ばれる印相(小指を薬指の内側に入れて絡ませ、中指を立てて合掌する)を結ぶ作例が多い。六足の像は大威徳明王の証である。
醍醐寺像や唐招提寺画像のように、水牛の背に明王が立つ珍しいものもある。


金剛夜叉明王 kongouyasha-myouoh

不空成就如来の命を受け、さまざまな悪を打ち砕くとされている。金剛杵の威力を持つ夜叉という意からこの名がついている。もっぱら五大明王の一尊としてつくられ、単独の像は作られなかった。

三面六臂が一般的で、中央の顔に五つの眼(眉間に一つ、その左右に一つずつ)がある。中央の手に金剛杵を持ち、ほかに五鈷杵、金剛鈴、弓・箭(矢)、宝剣と宝輪を持ち、蓮華座に立つ。

胎蔵界曼荼羅にはこの明王は描かれることはなく、もっぱら金剛界曼荼羅にのみ描かれる。

烏枢沙摩明王 ususama-myouoh

世の一切の穢れと悪とを焼き尽くすとされている。不浄金剛などとも呼ばれ、禅宗では東司(便所)に多く祀られる。
全身が火炎で覆われ、二臂、四臂、六臂、八臂などの作例が見られる。代表例としては京都国立博物館本の六臂像。


八大明王 hachidai-myouoh

不動、降三世、大笑(大咲=軍荼利)、大威徳、大輪、馬頭、無能勝、歩擲の各明王の総称。日本では定着せず、醍醐寺の「八大明王図像」として遺されているのみである。不動、降三世、軍荼利、大威徳、金剛夜叉、鳥枢沙摩、無能勝、馬頭のことを指す場合もある。


愛染明王 aizen-myouoh

人間の持っている愛欲をそのまま菩提心に変える。大日如来の化身、あるいは金剛薩た菩薩の化身とされている。

赤塗りの忿怒相、一面または三面三目六臂で、獅子冠を冠っている。五鈷杵、五鈷鈴、弓、矢、蓮華などの持物をとる。
異形像も多く、左右第二手が手にする弓に矢を引いて、天空上に向けて射ようとする天弓愛染や、不動明王と愛染明王が合体した両頭愛染(不動明王が金剛界曼荼羅を、愛染明王が胎蔵界曼荼羅を代表する)などがある。立像はつくられず、坐像のみがつくられた。


太元帥明王 taigensui-myouoh

太元明王とも呼ばれ、もとは林に住み子供を食い殺す悪鬼であったが、仏教に教化され、国土を守護する明王になった。

十八面三十六臂、六面八臂、一面六臂の立像が基本で、身体に蛇を巻きつけ、金剛杵や剣を持つ忿怒相で表される。彫像としては、異形像に奈良・秋篠寺大元堂像しか遺されていない。


孔雀明王 kujaku-myouoh

孔雀を神格化したもの。古来、インドでは孔雀は毒蛇を食し、恵みの雨を呼ぶ吉鳥とされており、息災と雨乞いのご利益があるとされている。また、一切の恐怖・災悩をなくし、安楽を得させるものとされている。

一般的に四臂で孔雀の上の白い蓮華に結跏趺坐して座り、孔雀の尾羽と蓮華、ザクロの実などを持ち、光背には 大きく広げた孔雀の羽がある。他の明王と違って、菩薩のような穏かな表情をしているので、孔雀仏母菩薩と呼ばれることもある。
彫刻よりも、画像が圧倒的に多く遺っており、画像としては東京国立博物館本、彫刻としては快慶作の和歌山・金剛峯寺孔雀堂像がある。


天

ほとんどがバラモン教やヒンズー教などの異教の神で、のちに仏教に取り入れられて、仏法を守護する護法神とされた。如来、菩薩、明王が衆生(人間や諸々の生きもの)を救済するのが目的なのに対し、天は仏法を守護する役割がある。

仏法守護の観点から、如来や菩薩の脇侍、あるいは眷属として、本尊の脇や周囲に安置されることが多い。

大きく特徴を分けると、甲冑に身を固めた武人像、女性の姿をした天女像、 怪異な形相の鬼神像の三つに分けられる。
天女像…天女形で女性的で菩薩のような表情をするか、中国風の衣服をまとった貴族風の姿をしている。
武人像…神将形で外敵から身を守るために忿怒相をして、甲冑を身につけ、武器を手にするのが一般的である。
鬼神像…鳥や象の頭を持つ像など、非人間的な姿を特徴としている。


梵天 bonten / baraphman

帝釈天とともに天部の最高神。ヒンズー教では宇宙創造の最高神とされていたが、仏教に取り込まれて守護神となった。悟りを開いた釈迦を、人々に説法するように促したのが梵天である。

密教に取り込まれる以前の一面二臂の立像の伝統を伝えるものと、密教化されて四面四臂で趺坐するものに大別出来る。前者は奈良時代まで遡り、代表作には東大寺法華堂像などがある。後者は、鵞鳥の背に趺坐することが規定されている。
帝釈天と一対で表される場合が多く、一般に、如来や菩薩に随侍する三尊像のひとつとしてつくられてきた。また、密教に取り込まれてからは、十二天のなかに再編された。


帝釈天 taishakuten / indrah

仏法の守護神として、梵天と同じように釈迦の成道の際に力を貸した話や成道後の教化を助けたことなどが説かれている。音楽神乾闥婆の娘をめぐって阿修羅と戦い、これに打ち勝って阿修羅を仏教に帰依させたのは有名な話である。
独尊としての信仰よりはむしろ、梵天と一対、もしくは梵天・四天王とひと組に表されて、仏法の場を守護することを目的に作造された。

甲冑を身につけ、金剛杵、香炉などを持つ二臂像が主流だが、密教に取り込まれてからは一面三目二臂像が主流で、金剛杵を常に持ち、白象に乗って半跏踏み下げとするものが主流になった。
しばしば梵天と区別がつかないことがあるが、帝釈天と梵天とは、仏教では同格として扱われているためである。また、密教に取り込まれると、十二天のひとりとして再編された。


四天王 sitennoh

もともと東西南北の方位を護るインドの神として信仰されていたものが、仏教に取り入れられた。帝釈天の部下として、須弥山の四門を護るとも言われている。
日本へは、仏教伝来とほとんど同時に伝わったと考えられており、大阪四天王寺は、聖徳太子が仏教の定着に反対した物部氏を滅ぼすために、四天王像を作って祈願したと言われている。その後、飛鳥、天平から鎌倉時代にかけて多くつくられるようになり、国家護持の守護神として天皇や貴族に信仰されたり、戦勝祈願の武将にも信仰された。

インドでは上流貴族の姿に、中国では威厳ある武人の姿につくられ、それが日本にも伝わった。中国風の甲冑を身につけ、武器を持って忿怒の表情をして邪鬼を踏みつけている。邪鬼を踏みつけるのは、四天王が仏教に対する邪悪なものを打ち負かすことを表現したもので、この邪鬼を一般的に天邪鬼と呼んでいる。
持物は一定しないが、多聞天は宝塔を持っている作例が多く遺っています。法隆寺金堂の四天王像は、現存する最古の作例として有名である。


持国天 jikokuten / doritarahshtrah

東方を護る。
乾闥婆、毘舎遮を眷属として国を支え持ち、大威徳があると言われている。
右手に剣、口を閉じた忿怒の表情、邪鬼を踏みつける。


増長天 zouchouten / billdakkah

南方を護る。
鳩槃荼、薛茘多を眷属とし、超人的な成長力をもって仏教を守護する。
右手に長い棒を持ち、叫ぶように口を開け、邪鬼を踏みつけ、眼を大きく見開き忿怒の表情をしている。


広目天 koumokuten/ billparkshah  

西方を護る。
諸々の龍を従え、浄天眼をもってこの世を観察し、仏の教えとそれを信じる者を護る。
右手に筆、左手に経典を持ち、邪鬼を踏みつけ、口を閉じ、はるか遠方を見渡す。


多聞天 tamonten / vaishulavanah

北方を護る。
北方の他、同時に他の三方も護るとされており、四天王の中でも中心的な地位を占めている。多聞天が単独で祀られる場合の呼び名が、毘沙門天。
諸々の夜叉を率いて、仏教の教えを多く聞いて精通しており、仏教を守護する。日本では、毘沙門天として単独でも信仰され、また七福神の一人としても信仰を集めている。
右手を高く上げて宝塔を持ち、左手は金剛棒を持ち、口を閉じて、遠方を見つめ、邪鬼を踏みつけている。


金剛力士・仁王・執金剛神 kongourikishi nioh shukongoushin

寺の山門の両側に立ち、睨みつけているのが仁王である。仏と寺を護る。
もとは執金剛神という神だったが、のちに金剛力士に発展したものと考えられている。執金剛神は金剛杵(最強の武器)を持つ者という意味で、金剛杵を持って仏教に害するものを撃退すると言われ、金剛力士はその分身、化身とも考えられている。一般的に、一体の場合は執金剛神、二体の場合は金剛力士と見なされる。
執金剛神像はほとんど作例がなく、東大寺法華堂のものが有名。


吉祥天 kisshouten / shulih mahah devih

古代インドの福徳の神で、仏教に取り込まれて、美および福徳神としての性格を継承しながら、鬼子母神の娘、毘沙門天の妻とみなされるようになった。

日本では奈良時代から盛んに信仰され、一種の福神として信仰を集めていたが、同時に美しい女神としての性格も伝えられた。のちに美人の代名詞となり、吉祥天にまつわるさまざまな物語も伝えられている。鎌倉時代になると、人気を弁才天に奪われ、その信仰は衰え、現在ではあまり目立った信仰は見られない。また、密教系では、功徳天とも呼ばれてる。もともとは七福神の一人だったが、今では 福禄寿にとって代わられている。

中国・唐代(七世紀〜十世紀)の貴婦人の姿につくられることが多い。二臂像で、中国風の優雅な衣装を身にまとい、宝冠を冠り、華やかな装身具を身につけている。一重まぶたに切れ長の目をした下ぶくれの顔は、当時の美人の典型だったと思われ、高松塚古墳の壁画などにも見られる。左手には宝珠を持ち、右手は施無畏印や与願印を結ぶか、蓮華をもっているものもある。


鬼子母神(訶梨帝母) kishimojin (kariteimo)

もとは鬼神・般闍迦の妻で五百人から一万人の子供を持っていたとされ、はじめは他人の幼児を捕らえて食う鬼女であったが、釈迦が彼女の子供のひとりを隠して、子を失う母親の苦しみを悟らせ、以後改心して安産と子供を守護する善神になった。

天女形で、左手で幼子を抱き、右手で吉祥果(ザクロ)をとって宝宣台に坐して右足を踏み下げるもの(訶梨帝母経)と、宣台に腰掛けるもの(訶梨帝母真言経)の二様がある。


韋駄天 idaten

バラモン教の神で、仏教に取り込まれてからは、特に禅系で信仰され、増長天のもとで伽藍の守護神として重んじられ、庫裏に祀られるようになった。

俊足の持ち主として、釈迦涅槃の折りに鬼神が仏舎利を盗んだのを知って、これを追いかけて取り戻したとする俗説とともにその信仰が広まった。

一般的には甲冑を身につけ、合掌して宝剣を捧げた姿をしている。


歓喜天(聖天) kangiten (shouten)

古代インドでは、仏道修行の邪魔をする神であったが、仏教に取り込まれてからは、あらゆる障害・困難を排除して仏法を守護する神となった。そのため、密教(特に真言系)においては各種の修法が行われる際に、その成就を願い聖天壇を設けて勧請が行われるようになった。大半が秘仏とされている。

夫婦和合や子授けの神として信仰を集め、奈良・宝山寺(生駒聖天)像や京都・等持院像などが有名である。

条帛・裙(裳すそ)を着けた象頭人身の異形の姿で表される独尊像のほかに、男天と女天の夫婦二神が抱きあう双身像がある。像の種類の豊富さは他に類を見ない。


摩利支天 marishiten

サンスクリット語のマリーチの音写で、インドの民間信仰から仏教に取り込まれた。陽炎を神格化したものとされ、特に密教系では必勝祈願の神として信仰され、近世以降は特に相撲界において、必勝を祈願して信仰された。眼に見えない速さで移動出来、さらに大きな神通力を持ち、あらゆる困難から免れるとされている。
なお、甲斐駒ヶ岳、木曽御嶽山は摩利支天を祀る山として有名。

天女形で左手に扇子を持つ二臂の坐像と、猪の背に置かれた三日月の上に立ち、刀やうちわ、弓、矢、槍などを持つ三面六臂または八臂像などがある。


閻魔天・閻魔大王 enmaten / enmadaioh

閻魔天は、中国において道教の冥界思想とも融合し、閻魔大王となった。その結果、日本には閻魔天・閻魔大王の両様がもたらされることになった。
閻魔天は平安時代に密教の流入とともにその像の形が知られるようになり、十二天のひとりとして受容されたほか、単独の信仰として延命・除災・除病などのご利益があるとされている。
また閻魔大王は鎌倉時代以降、浄土教の隆盛とともに、冥界の十王のひとりとして十王信仰の浸透とともに受容されるようになった。閻魔は地蔵菩薩と深い関わりを持っており、地蔵菩薩は地獄で閻魔の裁きを受ける人を、地獄と現世との堺に立って助けてくれる。死後、地獄に墜ちるか天国に行けるかは、地蔵と閻魔の話し合いにかかっている。

閻魔天は、菩薩形で一方の手に半月形の上に人頭を付けた人頭幢を持ち、他方の手の掌を仰ぐかもしくは腰に当てて、水牛の上で一方の足を踏み下げて座っている。
閻魔大王は、いかめしい顔をして右手に笏をもち、ゆったりとした衣装をつけて座っている。これは、閻魔が地獄に墜ちた亡者の生前の罪状を厳しく取り調べているさまを表現している。


大自在天 daijizaiten

ヒンズー教の最高神のひとつであるシヴァ神の異名で、伊舎那天と同体と言われている。降三世明王像では、大自在天とその妻の烏摩が足下に踏みつけられているが、これは仏教の明王が、外教のヒンズー教の最高神より優れていることを表しているためである。

三目八臂の忿怒形が一般的で、八本の手には、それぞれ刀、三叉戟、法輪などの持物を持ち、白牛の上に座ります。また、二臂像や三面四臂像などの作例もある。


羅刹天 rasetsuten

神通力をもって人をひきつけ、それを食う悪鬼であったが、仏教に取り込まれてから守護神となり、十二天の一人に数えられる。

画像に表されることが多く、甲冑をつけて刀を持ち、白獅子に乗る。


荼吉尼天 dakiniten

サンスクリット語のダーキニーの音写で、神通力で人の死を六ヶ月前に察知し、死者の心臓を食べると言われ、神通力を得ようとする修行者の信仰を集めた。

白狐にまたがる天女形で、右手に宝珠・左手に剣を持つ二臂像と、右手に剣・矢・鉢・未開敷蓮華、左手に摩尼宝珠・弓・錫杖を持ち、左の残り一手は施無畏印とする八臂像がある。
白狐に乗ることから、稲荷信仰と混同されるようになり、愛知県・豊川稲荷では荼吉尼天 を祀っている。
また南北朝以降、同じ福徳神の大黒天・弁才天・聖天などとも結びついて、さまざまな異形像が次々と出現した。


伎芸天 gigeiten

美しい姿で音を奏でたことから、伎芸を成就させる神とされている。

天女形で、左手で花を盛った皿を持ち、右手は裾を掴んでいる。奈良秋篠寺が作例として遺されているが、これが伎芸天である確証はないと言われている。他は仏画として描かれている。


十六善神 juurokuzenshin

大般若経および、この経を読誦する人を守護する護法神。般若十六善神・十六薬叉将・十六夜叉神・十六神王などの別称があり、その尊名は諸経において一定せず、四天王と十二神将とを併せた総称と解するものもある。日本では、もっぱら大般若会の本尊として安置される釈迦如来、もしくは般若菩薩を守護する眷属として登場する。


七福神 shichifukujin

仏神混交の民間信仰だが、もともと仏教で信仰されていたものである。


弁才天 benzaiten

古代インドの河の名前を神格化したもので、重要な女神として崇拝されてきた。のちに仏教に取り込まれ、日本古来の水神信仰と結びつき、池や湖沼などに棲む魔物を鎮める力があるとされて、各地の水辺に弁才天を祀る弁天堂が造られた。近世になり金運の神としての性格が強まり、弁財天とも書かれるようにもなった。

二臂像と八臂像があり、二臂像は密教系の形で、通常、琵琶を奏でる菩薩形坐像として表され、その典型を胎蔵界曼荼羅のなかに見ることが出来る。この姿は、室町時代以降、七福神の一人として親しまれることとなる弁才天の原形でもある。八臂像は、金光明経系の形で、東大寺法華堂像は、日本におけるこの姿の弁才天の現存最古の作とされている。八臂の弁才天は、鎌倉時代以降、福徳神としての性格が強調されるにつれて、持物の一部を宝珠・鑰(鍵)・宝棒に改められ、髻に老相の人頭蛇身(宇賀神)を付けるようになる。

江ノ島、琵琶湖に浮かぶ竹生島、広島県の厳島を通称三弁天と呼び、古くから信仰を集めた。


大黒天 daikokuten

身体の色が黒いことから大黒天と呼ばれ、もとはヒンズー教の最高神であった。古代インドでは戦闘の神であったが、中国に伝来してからは寺院の守護神、豊穣の神、財宝の神とされた。大自在王の化身であるともされている。

六臂像と二臂像があり、六臂像は、荷葉座に坐し、古代インドにおいて仏教に取り入れられる以前の戦闘神としての性格を残している。二臂像は、寺院守護神として、神将形で右手に小さな袋包みの口を握り、左手に宝棒を持って岩座に坐るものと、狩衣を着て左肩に袋を肩から下げて立つものとがある。


寿老人 juroujin

長い髭を持ち、杖をついた老人。巻物を持ち、鹿を連れた像もある。なお、寿老人と福禄寿は同一神とされている。


福禄寿 fukurokuju

頭が長い。経巻を結び付けた杖を持って、鶴をしたがえる場合もある。


布袋 hotei

中国の唐時代に実在していた契比という禅僧だと言われており、大きな布の袋(布袋)を担ぎ、布施を受けたものはなんでもその袋に入れたということから、布袋と呼ばれるようになった。日本では主に財福の神として信仰を集めている。


恵比寿 ebisu

漁民のあいだで信仰され、海上交通の護り神として商家などにも信仰が広がった。釣り竿と鯛を持っている。


毘沙門天 bishamonten

須弥山の中腹に住む、北方を護る守護神。多聞天が単独で祀られる場合の呼び名で、北方の他、同時に他の三方も護るとされており、毘沙門天は、四天王の中でも中心的な地位を占めている。

甲冑を身につけ、中国の武人の姿につくられる。右手に宝棒もしくは鉾、左手に宝塔を持つのが一般的で、二体の邪鬼を踏みつける。平安時代には、北方を護ることから、特に東北地方で盛んに信仰された。室町時代以降は七福神の一人として、福徳、財宝の神として信仰された。
また、上杉謙信が旗印に「毘」の字を書いたのは、自分が毘沙門天の生まれ変わりであると信じていたためとされている。
京都鞍馬寺の毘沙門天立像(平安後期、木造、国宝)は、左手を額にかざして、遠くを見つめる、独特のポーズで有名である。

吉祥天、善膩師童子を従える。


兜跋毘沙門天 tobatsubishamonten

毘沙門天の異形像で、地天が両腕で毘沙門天を捧げ、尼藍婆、毘藍婆の邪鬼を従える。東寺の同像は王城守護のため平安京の羅城門の階上に安置されていたものと言われている。


別尊

如来、菩薩、明王、天の四つの分類に入らない仏像。


薬師十二神将 yakushijuunisinshou

薬師如来の眷属で、薬師如来の十二の大願を成就すると言われている。一体がそれぞれが七千の眷族を従えているとされていて、甲冑をつけた忿怒相で、頭に十二支の動物の首をつけたり、十二支を踏みつけたり、顔そのものが十二支になっていたりする。


十王・十三仏 juuou juusanbotoke

六道の入り口で人間の行為をチェックし、次の生まれ変わり先を決める裁判官。人間は六道のなかで輪廻するので、どの世界に連れて行かれるかは、この十王(十三仏)の判断に委ねられている。泰広王から五道転輪王までを十王、不動明王から虚空蔵菩薩までを十三仏と呼ぶ。十三仏は十王の発展形と考えられ、室町時代以降、特に禅系、密教系で信仰された。

中国的な道服を着て、忿怒形の作例が多くつくられている。

裁判は、死後七日目から七日ごとに行う。初七日にはじまり、四十九日まで法要があるのはこのためである。百日、一年、三年、七年、十三年、三十三年は再審査と考えられている。
十王(十三仏)すべてを彫像した作例はないが、画像の作例は多く遺されている。


羅漢 rakan

釈迦の弟子で、十六羅漢や五百羅漢などのようにたくさんの呼び方がある。主な十人を十大弟子と呼び、ほとんどが僧侶の格好をしている。


八部衆 hachibushu

仏教に帰依した異教の神々の総称。古代インドで生まれ、のちに仏教に 取り込まれ、仏法を守護する護法善神の性格を与えられ、八つの部族に再編成された。


二十八部衆 nijuuhachibushu

千手観音に従う眷属。千手観音を信仰する者を守護するとされている。尊名や持物には諸説あり、一定してない。
京都蓮華王院(三十三間堂)、滋賀常楽寺の二十八部衆が特に有名である。


賓頭盧尊者 binzurusonja

十六羅漢の第一尊者である賓度羅跋羅惰闍のこととされている。

中国では、寺院の食堂に賓頭盧を安置、聖僧として祀られた。日本では仏堂の外陣や外縁に安置し、病者が患っている箇所と同じ部分を撫でると治るという撫仏としても信仰されたが、不特定多数の人々が尊像を撫でては自分の患部を撫でるため、かえって伝染病を媒介することになった。とりわけ、眼病流行の際には像の眼を撫でて、自分の眼を撫でるため眼病が大流行し、このため、撫仏の俗習は禁止され、多くの賓頭盧尊者像は手が届かないよう金網や柵で囲われることになった。


迦陵頻迦 karyoubinga

ヒマラヤ山中にいるといわれる伝説の美声の鳥で、阿弥陀経では、この鳥は極楽浄土にいて美声を発、教えを説くと言われ、浄土曼荼羅には人面鳥身に描かれている。また、寺院の欄間や華鬘に、迦楼羅に似た姿で表されることもある。


祖師 soshi

祖師とは、宗派を興した宗祖や宗派を隆盛した人たちのことで、弘法大師空海や日蓮、親鸞などの像をまとめて祖師像として分類している。


維摩居士 yuimakoji

出家せず在家のままで修行、仏教の教理に詳し、釈迦の高弟などとも堂々と法輪を展開出来る人のことを指す。法隆寺五重塔には文殊菩薩と法輪を展開する維摩居士像がある。


天邪鬼 amanojaku

四天王などが、足下に踏んでいるのが天邪鬼である。仏教の教えとそれを信じる人々に害を与える邪悪なものを象徴しています。人と反対のことを言ったりしたりして周囲に迷惑をかける人のことを天邪鬼と言うが、人の心に棲みついて邪悪なことを行わせるものを具体的に表したのが、毘沙門天が踏みつける天邪鬼である。
つまり天邪鬼は、人間の最大の敵である煩悩の象徴でもあり、毘沙門天などがこれを撃退してくれるというわけである。

もともと天邪鬼は水神の名前で、毘沙門天のベルトの中央についている鬼の顔がその原形とされている。


曼荼羅の基礎知識

曼荼羅とはサンスクリット語のmandalaの音写である。通常、「本質」や「精髄」を意味するmandaと、「〜を具有する」という意味をもつ接尾辞laの合成語とされ、本質、精髄をもつもの、つまり仏の悟りそのものを意味する言葉とされている。
また、単に、円、輪、集合体という意味もあり、漢訳としては「壇」(仏を招き供養するための聖なる場所)、あるいは「輪円具足」と訳されている。あらゆるものを包摂し、しかも円輪のごとく秩序を保ちつつ個性の発揮される、調和と共生の世界を説くのが、曼荼羅の精神であると言える。

曼荼羅の原形は、古代インドにおけるバラモン教やヒンドゥー教の儀礼に見られる。

それは土壇であり、壇上には白い粉でさまざまな幾何学文様や神像が描かれ、天上の神々を招き、供養して祈願する聖なる空間であった。
これが仏教に取り入れられ、壇上には仏、菩薩が描かれ、諸仏を勧請供養し、護摩や灌頂などの儀式が行われるようになった。
チベット仏教では現在でも、五色の砂で曼荼羅を壇上に描いてさまざまな修法や儀礼が行われており、インド仏教の原形を今に伝えている。
これらの土壇は、儀式が終了すれば壊されて川に流される。日本において目にする絹本や壁などに描かれた曼荼羅のように、本来は常設的なものではない。

曼荼羅には、性格表現方法によっていくつかの種類があるが、日本で最も親しまれている曼荼羅は、図絵による大曼荼羅である。

曼荼羅は、空海によって日本にもたらされた。その代表として、胎蔵曼荼羅と金剛界曼荼羅がある。

それぞれがインドの異なる時期に、異なる地方で成立した密教経典に説かれている。胎蔵曼荼羅は大日経に、金剛界曼荼羅は金剛頂経に説かれている。

これらの二つの経典は、インドから中国への流伝ルートも伝持者も翻訳者も異なるが、空海の師である唐長安青龍寺の恵果阿闍梨によって一対のものと見なされた。そして、胎蔵曼荼羅と金剛界曼荼羅を一対一具のものとして空海に伝えたので、後世、これらを一括して両界曼荼羅と呼ぶことなる。
恵果阿闍梨による両部両界の思想は中国古来の陰陽五行思想などの影響が大きく、密教教理を二元論的に解釈するうえで両界曼荼羅を対照的に位置付けながら、同時にそれらは本来一つのものであるという金胎不二という理念を生むにいたった。

たとえば、胎蔵曼荼羅は、宇宙の物質的生成原理である五大の世界に視座を置いて説いていることから理(客体、客観世界)の曼荼羅と言われる。

一方、金剛界曼荼羅は、精神的原理としての識大の世界に視座を置いていることから智(主体、主観世界)の曼荼羅と呼ばれ、ここに金胎理智不二という理念が両界曼荼羅の規範となっていることが理解される。この関係は、五輪の塔婆図によって示されている。


金剛界曼荼羅
金剛界曼荼羅

金剛界曼荼羅は、七世紀末〜八世紀初頭、南インドで成立したとされる金剛頂経「一切如来真実摂大乗現證三昧大経王経」に説かれる曼荼羅である。
金剛とは金剛石(ダイヤモンド)に由来し、なにものによっても砕けることのない堅固なるものを意味し、それは絶対普遍なる仏の智恵を表わしている。
金剛界曼荼羅は智の曼荼羅と言われるように、大日如来の智恵の働きと、それに基づく悟りの世界を図像化したものである。
その構造は、西を上にして、九つの方形の小曼荼羅(九会)から成り立っており、全体に大小の白い円形が幾何学文様のように配置されている。これは智恵を象徴する満月輪であり、全尊がそれら月輪内の蓮華座に坐す。
九会のうち、その中心となるのが中央の成身会であり、その下方(東)に三昧耶会、その左(南)に微細会、上(西)に供養会と四印会、さらに右まわりに順に、一印会、理趣会、降三世会、降三世三昧耶会と続く。


退蔵界曼荼羅
退蔵界曼荼羅

胎蔵曼荼羅は七世紀中頃、西南インド地方で成立したと言われる大日経「大毘廬遮那成仏神変加持経」に説かれる曼荼羅で、詳しくは大悲胎蔵生曼荼羅と呼ぶ。
母親が胎児を慈しみ育てるように、仏が大悲の徳をもって衆生の心のなかに本来具わる仏性(菩提心)を育て、あたかも蓮の種が芽をふき、華開き、実を結んでゆくように、悟りの世界へ導いてゆく様子を図絵化したものである。
その構造は、中央の大日如来を初めとして四百九尊の仏、菩薩、明王、天部の諸尊がグループ別に十二院を構成している。
その十二院の構造については、いくつかの分類法があるが、大日経の説く三句の法門である「菩提心を因とし、大悲を根とし、方便を究竟とす」によって分類すると、
因 ──菩提心──中台八葉院
根 ──大 悲──中台八葉院と最外院を除く全院
究竟──方 便──金剛部院(最外院)
このように、大日如来の大悲の徳が同心円的に外に向かって泉が湧き出るように拡がり、衆生済度をしてゆく様子が図絵で示されている。またこれは逆に、迷える衆生が大日如来の大悲の徳に導かれて、悟りの世界である中心へ向かって収束してゆく構造をも示している。


別尊曼荼羅

大日如来の個別の徳を、他の如来、菩薩を主導として表現したもの。具体的で分かりやすいため、中世以降盛んに信仰されるようになった。


法華曼荼羅 hokkemandala

法華経に基づく息災祈願の本尊で、釈迦如来と多宝如来を中心とする。写真参照


阿弥陀曼荼羅 amidamandala

極楽往生を願い、阿弥陀如来を中心とする。


釈迦曼荼羅 shakamandala

説法印の釈迦如来を中心とする。