1.17の夜

この5、6年、1.17の5:46の三宮・東遊園地を目指して、大阪から神戸までを夜通し歩きます。
と言っても、そう決めているわけではなくて、歩く当日までは、今年も歩こうかな、どーしようかな、と、わりとグズグズと迷っています。今回も、やっぱ歩こ!と決めたのは、夕方も暗くなってからです。

あれから22年か。
12月のルミナリエのあたりからこの時期までは、例年、あのときのことに想いを馳せることが多かったのだけれども、それも減ってきました。
長田に行くことも、減ったな。

それでも、歩こうとは思うのです。今年も、やっぱ歩こう、と決めたのでした。
歩くことで、寒さや、辛さや、痛みが襲ってきて、自分が生きている世界やこの肉体は、かぎりがあるものだということを、思い知らされます。
たったの33kmです。それでもね、普段歩かない50すぎのおっさんの身体は、悲鳴をあげます。
寒くはないのです。ごはんを食べて、着込んで、歩き通していると、身体はポカポカとしているのです。汗すらかきます。それでも、この肉体は悲鳴をあげ、かぎりがあるんだなということを、思い知らされます。

このかぎりのある肉体が、夜の道すがらで思うことは、やっぱりあのときのことです。

かつての相方と、知り合いの外国人たちを迎えに行ったとき、昼すぎに大阪を出たのに、神戸に着いたのは真っ暗な夜でした。
そこで知り合った長田の人たち、ウチナンチューや在日コリアンの人たちと仮設を掃除したり家具を運び込んだりしたのも、夜でした。
ソウルフラワーの別動隊、モノノケサミットが長田神社で演奏会をやったのも、篝火を焚いた夜でした。
月が出ていたり、雪が舞っていたり…。
そのあと、オジィやオバァを連れてルミナリエに行くようになったけれども、これももちろん、夜。

そういう刷り込みがあって、阪神・淡路大震災は、僕のなかでは、夜のイメージと分かちがたく結びついています。
映画『その街のこども』を初めて観たとき、これは僕じゃないか!と、僕は思ったのでした。

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この一年、僕の周辺では、何人かの大切な人が、星になりました。
まだ消化しきれていない出来事でもあるし、しんどい気分になることもあります。
それでも、こうやって、毎年のように歩いて、自分なりに弔い、向き合う時間をつくってきてよかったなあと思うのです。
しんどいし、消化もしきれていないけれども、こうやってきたおかげで、僕は、日常を崩すことなく、そのしんどさをやり過ごすことができているようにも思うのです。

おそらく、日常を崩さぬよう、そのためにこそ、僕は、毎年、この日に歩いているような気がします。
今年は特に、そう思うようになりました。

今から14年前のイラク戦争のさなか、僕はまもなく戦火に包まれる直前のバグダッドにいました。
妻を殺した戦争というものの正体を少しでも知りたいという思いで、僕は、戦場記者として、現場に赴いていました
日に日に緊張が増すバグダッドにあって、たとえばヨルダンへ向けて避難する人たちが慌ただしくまちを後にします。バグダッドからはどんどん人がいなくなり、そのせいもあって、まちはいよいよ緊張を増すわけです。(今、僕の大好きなアレッポのまちが、そういう状況下にあります)
そんななかにあって、いつまでも、いつまでも灯りをつけて営業を続けているネイルサロンがありました。妙齢の女性オーナーが、人の歩いていないまちで、来るあてのないお客のために、店を開け続けていたのでした。

私はここで生まれ育って、このネイルサロンで生計を立ててきた。それが私の日常だから、今日も店を開けている。私の日常を奪う権利は、アメリカにも、誰にもない。

彼女のその言葉は、今でも僕の、わりと深いところに残っています。

ベトナム戦争を取材した開高健は、『ベトナム戦記』で、戦火のホーチミンにあって、ひとり川べりに腰掛けて静かに釣り糸を垂らし、戦争を蚊帳の外に追いやっていた老人に視線を向けています。
『模倣犯』で犯罪被害者や加害者の家族が直面する地獄を描いた宮部みゆきは、作中、孫娘を殺された豆腐屋の老店主である有馬義男に、日常を大切にすることで自分の生活を守ることの重さを語らせました。
『この世界の片隅に』もまた、焼夷弾が降るなかですら、日常を愛おしく思う人たちの姿が、いきいきと活写されていました。

僕もまた、毎日やっていることを、昨日やったことを、今日も、明日も、どんなことがあっても続けていく。そんなことを大切にしています。
大事が起こったとき、僕はまず、メシの段取りを考えます。忙しさにかまけて、毎日のメシを忘れぬように。まず、そのことを考えます。寝食を、忘れぬように。
イチローがそうであるように、ルーティンを大切にして、無気力を近づけぬように。ルーティンは、モチベーションに左右されることなくコトを前に進める数少ない方法だということを、僕は知っています。

そうやって、昨日やったことを今日もおなじようにやり、明日もやっていく。ルーティンを繰り返すことで、コトを前に進めていく。しんどい思いは、そうやって乗り越えていく。

仕事をし、仲間と語らい、うまいもんを食べて、いい音楽を聴く。
いい表現と出会い、いい言葉と出会い、自分もまたそういうものを生んでいく。
求められる場所で仕事をし、求めてくれる人がいることに感謝し、この世界に自分の居場所があることに歓ぶ。

5:46
今年も無事に歩ききることができました。
神戸に集まったたくさんの人たちの想いと泣き笑いのなか、誕生日の朝を迎えました。
ピース。
ピース。
ピース。

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