大津絵

あんまり賛同を得られないような気もするけど、僕は、アート作品を見るとき、現物よりも図録や冊子で見るほうが好きなような気がする。
展覧会でも、じっくりと現物を見たあと、家に帰って図録を眺めている時間のほうが長いし、その時間のほうが好きだったりする。そのほうが落ち着くと言ってもいいのかもしれない。
広い会場の壁に掛けられたものや置かれたものよりも、誌面という枠の中に閉じ込めたもののほうが、見ていて落ち着く。こだわってつくられた書物なら、なおさらだ。きっと、書物というマテリアルが好きなのだろう。
一点もののアート作品と違って書物なら所有することができるし、所有しているものなら、いつでもいつまででも眺めることができる。

アート作品も、一点ものよりも、むしろ、江戸時代以降の浮世絵版画などの量産されたプリントものに惹かれることが多いような気もする。同じ浮世絵でも、肉筆のものよりは版画のほうが、たぶん好きだ。版画であれシルクスクリーンであれオフセットであれプリントされたものが好きだというのは、きっと、自分の仕事が印刷にかかわる領域にあることと無関係ではないと思う。なんせ、その世界に30年以上はいるわけだし。
インクと紙の相関が好きなのかも。プリント特有の、版ズレとかモアレとかカスレとか、そういうバグも表現の一環でえーやんと思うときもあるし。

というわけで大津絵である。
大津絵はまさにプリントものやし、プリントものの宿命として、商業ベースにがっつり乗っかっている俗っぽさがある。チラシ、包装紙、ポストカード、ポスターなどなど。
宿命的に高尚さがない点は、大津絵が江戸時代に出現したことにもあると思う。表現の特徴が江戸時代特有のユーモラスなものになってしまっているのが大津絵だ。シリアスな大津絵というのは、ほとんど言語矛盾ではなかろうか。

こないだ、ヤフオクで初めて大津絵のポストカードを落札した。安くて、4枚で1000円もしていない。
きっと昭和の大津絵で、ヘタウマなりの味は物足りず、単純に下手な大津絵で、安いだけのことはあるけれども、緑の使いかたが気に入っていて、これはこれで手に入れてよかったと思っている。なんと言っても、1000円していないのだから。

題材はありふれたもの。
手前左が、無病長寿願いの福禄寿さん。
手前右が、良縁願いの藤娘さん。
後方左が、落とした太鼓を拾う雷神さん。くわばらくわばら。
後方右が、犬に褌を咥えられた座頭さん。意外なものに足元をすくわれないように。

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