庚申堂とさるぼぼ

庚申堂

庚申堂

奈良の興福寺の近くのオサレスポット・ならまちの真ん中には、やたらとさるぼぼがいます。
さるぼぼは飛騨高山の名物だけれども、奈良のはじつは正確にはさるぼぼではなくて、身代わり猿です。飛騨高山のさるぼぼは四肢を伸ばして大の字で、奈良のは身体を屈曲させていて、ちと違う。
これ、庚申信仰と密接に繋がっていて、事実、ならまちには青面金剛像を祀る庚申堂があります。で、青面金剛の使いの猿を模したものが、魔除けとして、この界隈の軒先という軒先に吊るされているわけです。吊るされ方は大小さまざま、数もさまざま。その家の家族構成にあわせて吊るすんだとか。
ちなみに、町内から転出した家族のぶんの猿は、庚申堂に預けられて、転出者と土地の精神的な繋がりを保つ仕組みにもなってます。
災いを変わりに受けてくれることから「身代わり猿」、あるいは、背中に願い事を書いて吊るせば願いが叶う「願い猿」と、ニッポンの神様的な万能プレイヤーぶりなのですね。
庚申信仰は京都や大阪にもあるし、わりにあちこちにあるのだけれども、ならまちでの庚申信仰の起こりは、平城遷都直前の時期まで遡ります。そのころに流行した疫病を祓おうと元興寺の僧が祈祷していたところ、青面金剛が現れて、疫病を祓うぜ!と言い、その予言通りに疫病騒ぎが収束したのが、コトのはじまり。
ただ、縁起を見るとそのように書かれてはいるのだけれども、庚申信仰というのはじつはそうひと筋縄でいく代物ではなくて、「庚申」つまり、十干・十二支の「庚=かのえ・猿=さる」から来ているのを見ても陰陽五行の思想がそのまま名付けられているし、そもそも庚申信仰は古くは道教の説く「三尸説(さんしせつ)」(←解説はググってね)にルーツを持つし、そこに元興寺の僧、つまり仏教は絡んでくるわ、青面金剛なんていう修験道(山伏さんたちね)の神さまも登場するわ、庚申の猿は猿田彦だというから神道も入っているし、猿なんだから「見ざる、言わざる、聞かざる」の三猿まで駆り出されてるし(これは世界中に共通して点在する人類の原始宗教的叡智)、三尸は呪術や医学の登場人物だしで、日本固有・外来問わず登場人物がオールスターで、じつにじつにカオスな風俗となっとります。調べれば調べるほど、迷宮に迷い込んでしまうようなかんじ。
まあ、でも、ならまち界隈でのコトの起こりは、平城遷都直前なので、つまるところ、仏教が日本の国体のフレームを固めはじめたころの、まだ、いろんなものが溶解している文化のスープ状だったころに遡ることができるので、あれもこれも!って、そこらじゅうのもんが絡み合ってできたんだと思うのですね。
そっから先、明治の廃仏毀釈まで、仏教と神道は境界を曖昧にしながら共存し、あるいはひとつになりしてきたのが日本の宗教文化でもあるので、そうした特性の一番色濃いところを、この、庚申信仰は今も残していると言うことができますわな。
森羅万象、膨大な具象に囲まれた日本という土地が必然的に育んだ感覚って、強烈な抽象的絶対物を好まず、あれもこれも、といった相対的複眼的重層的な感覚を好んだんだろうな、と、僕は漠然と思っていて、そういうのって、この、庚申信仰を目の当たりにするたび、少しずつ確信していくのでした。

Flickrに画像あります。
庚申堂(2013.1.6)

庚申堂

奈良市西新屋町

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