大阪まち歩き大学 – JR桜宮〜JR京橋

昨日は、陸奥さんの大阪まち歩き大学でJR桜ノ宮駅から京橋駅までを逍遥。
最初は源八渡あたりへ。いやー、ここがすごかったな。
今でこそビーチができたりオープンテラスができたりと親水空間が整備されていて、僕はそこをしょっちゅうランニングしているわけだけど、ひと昔前までバラック街というかスラム街というか、そんなかんじでした。あれなんやろなーと遠くから眺めているうちに、あのバラック街はいつの間にかなくなってしまい、僕の記憶からも、消えてしまっていたのですよ。それが、陸奥さんのまち歩きで鮮やかに解明されたのですよ。
ここには主に済州島出身の人々が住み、女性たちによる土着宗教の儀式「クッ」がおこなわれる「龍王宮」があったのだそうです。
1909年の淀川改修工事で川の水流が安定すると、大川沿いに帝国製紙、王子製紙、鐘紡などの工場が建ち、重工業から軽工業への転換が図られるなか、摂津紡績野田工場が朝鮮・慶尚南道の女工を集めたのでした。
続いて1916年の工場法の施行で少年労働者が使えなくなると、工場法適用外の朝鮮人労働者が集められ、天六、城東、鴫野、中津・十三・鷺巣、鶴橋などに朝鮮人集落ができます。
さらに1923年の関東大震災をきっかけに、煉瓦造建物の危険性から鉄筋コンクリート建築の需要が高まり、川砂需要が増え、この川砂の運搬を朝鮮人労働者が担ったのでした。
そんなことから桜ノ宮界隈の大川右岸には水上生活者の朝鮮人集落があったそうです。10年ほど前まで存在していたバラック街は、その名残りです。
そこで、「龍王宮」。
龍王宮とは、読経、占い、舞、お祓い、撒酒、撒米、冥銭を燃やす、豚を食べる、供物を川に流すなど、さまざまな儀式がおこなわれる場所であると同時に、在日1世女性たちのコミュニティの場であったのでした。
僕、龍王宮って知らなかったですね。初めて聞いた。これ、シャーマニズムですね。シャーマンたちのイニシエーションの場。
そんなのがここ大川右岸にあったとは、驚き以外の何者でもないです。ちょっと興奮冷めやらない。
当時の写真を見せてもらうと、掘立小屋かバラックにしか見えないのだけれども、ここはれっきとした祈りの場であり、遥拝所ですね。
というのも、大川に供物を流すのは、この川の水は大阪湾に注がれ、瀬戸内海、東シナ海を経て、済州島につながっているから。彼女たちは、ここからはるか故郷を感じていたのでした。
そっから時代は下って(というか、時代は完全に被ってますな)、終戦当時。GHQがやって来て、いろんな建物を接収するわけだけど、そのなかのひとつに、今も市民の憩いの場となっている桜之宮野球場があります。米兵とその家族のリクリエーション用として、この野球場が接収されたのでした。リクリエーションの場となったことをきっかけに、やがて米兵たちがおねーちゃんと一緒に闇に消えていくわけですよ。米兵がいるもんだから、パンパンのおねーさんたちも集まってくるわけです。そうなると、ラブホの需要ができてくるので、この界隈でラブホ建設ラッシュが起こった、と。当時は「連れ込み宿」ですね。「ラブホテル」の名称も、ここで生まれたらしいですな。
このあと、櫻宮神社、冷蔵倉庫→スケートリンク→ゴルフクラブと変遷した現・桜宮ゴルフクラブ、近松門左衛門の心中天網島と大阪大空襲の慰霊でゆかりの大長寺、大阪帝国大学工学部とダイハツの産学連携、私設博物館のコヤノ美術館、大阪大空襲の戦死者の地で赤く染まった生血(なまぢ)川→訛って鯰江川→その土手跡地→鯰江川埋め立て時に出土した二人地蔵尊などなど。
桜ノ宮と京橋間なんて僕の活動ルートにはないし、当初は地味なコースやなーと思っていたのだけれども、今回も濃ゆい濃ゆいまち歩きだったのでした。

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