つひまぶに新しい人が加わり、これを機に、あらためてつひまぶという雑誌の目指すところや雑誌づくりの肝なんかを書いてみました。以前から編集にかかわってくれているメンバーにも、長らくこんな話はしてこなかったし。
内輪向けだけど、つひまぶを読んでくださっている読者の方にも、つひまぶがなにを大切にしているのかを知っていただけたらと思い、公開しようと思います。長いですが、お付き合いくださいませ。
【つひまぶについて】
つひまぶは、北区の魅力を伝える地域情報誌として2014年3月に誕生しました。
創刊当時に話していたのは、キタは文化的社会的なインフラが充実しており、ソフトとハードの両面で魅力的なものが多いけれども、その床下を支えている「人」がたくさんいるよね、ということでした。
外部からはなかなか見えにくいけれども、中心地・梅田を取り巻くように、鬱陶しくも頼もしくもある強固な人のネットワークが張り巡らされており、陰に日向にまちを下支えをしている人々がたくさんいるのが、キタです。そうした人々やネットワークこそがキタの最大の魅力資源であり、つひまぶは、そうした人々の存在を伝えていくことを使命としています。
では、つひまぶは、そうした人々の魅力を誰に伝えていくのか。
キタをまったく知らない関西以外の地域や外国からやって来た人に向けて、大阪駅は日本有数の巨大ターミナルで…、とキタの情報をゼロから伝えることは、つひまぶではしていません。
町会長など、普段から地域活動を熱心にされているような、この地で生まれ育ち、キタの深いところまで知り尽くしているような人に向けても、つひまぶはなにかを紹介しているわけではありません。
キタで働いている人、キタが好きでよく遊びに来る人…、深くキタのことを知っているわけではないけれども、なんかいいなと、うっすらと魅力を感じている人々に向けて、つひまぶはつくられています。
じつはキタってこんなところなんだよ!と、少しマニアックな情報をお伝えすることで、もっとキタを好きになってもらい、今度はその人が友だちに向けて、キタってこんなところなんだって!とスピーカーの役目を果たしてくれるような、そんなふうに役立ててもらえるような媒体になることを、つひまぶは目指しています。
人は、好きなものはより深く知ろうとするし、知れば好きになるものです。「好き」と「知る」はじつは、同じ意味だったりします。
そのような人に向けて、キタを下支えしている「人」を紹介することでキタの魅力を伝えるのが、『つひまぶ』という企てです。
誰に向けてのものなのか。まあまあ限定的につくっているのが『つひまぶ』です。
でも、対象を明確にすることで、その人に向けて個人的な手紙を書く気分で書かれた記事は、対象が明確であるゆえに、とてもシャープな記事になります。見たことも聞いたこともない「みんな」に向けて書かれたものは、全然シャープじゃありません。対象を「○○さん」と限定することで、その記事はシャープなものになり、結果、かえって多くに人に伝わることになります。これを『一点突破型の幸福大作戦』と言います。
キタの魅力であれば、ジャンルは問いません。キタであるという縛りこそありますが、魅力があるなら、ラーメンであれ、エンターテイメントであれ、地域活動であれ、福祉活動であれ、景観であれイベントであれ、文化であれ歴史であれ、なんであれ、なんだっていいんです。
だからこその、誌名は、特定の意味をまったく想起させない『つひまぶ』です。この誌名にあるのは、リュウミン体で書いたときの字面のたおやかさと、発語したときの快感のみです。『つひまぶ』と口にし声にしたとき、なんとも言えない快感があります。
あと、誤読のされやすさ。誤読は、覚えてもらえることにつながるから。名付けなんて、誤読されてナンボです。『ひまつぶし』『ひつまぶし』と間違えられることはしょっちゅうです。『ひとづま』と誤読した人もいました。どんな誤読も、大歓迎です。誤読されたら、こっちの勝ちです。
【雑誌について】
つひまぶは、無料ですが、れっきとした地域情報誌です。
行政主導ではじまったものだけれども、行政が発行する広報誌とは違った視点で、広報誌ではできないことに重きを置いて、つくられています。
雑誌は、天下の公器を自認する新聞とは違います。新聞だって政党の機関誌からスタートしたプライベートペーパーなので偉そうなことは言えないはずなんですが、まあ、それはよろし。
雑誌は、伝えたいことのある人が、つくるものです。その意味で、創刊の動機は極めて個的・私的なものだし、そこに社会的な意義や意味が加わるのは、すべて後付けです。玉ねぎの皮を剥ぐようにキレイで口当たりのいい言葉を引っぺがしていくと、最後に残るのは、「これ、ええやろ!」という、つくり手の極めてプライベートな情熱です。むき出しの情熱には、社会的な意義なんて、ありません。
でもこの、むき出しの情熱が大切なんです。「若さはいつも素っ裸、見苦しいほどひとりぼっち」(©︎フラワーカンパニーズ)だけど、読み手の心を動かす必要最低限のものは、この、あなたの心の裡にぽっと灯った、孤独で、何にも守られていない裸の蒼き炎なんです。
ぜひ、あなたの「これ、ええやろ!」を伝えましょう。
おもいっきり主観でいいんです。自分が、「これ、ええやん!」と思うものを、「どやさ!」(©︎今くるよ)と紹介するのが雑誌の醍醐味です。世間の評価と開きがあっても全然OKなんです。そんなもの、どうでもいい。
雑誌づくりもまた、モノづくりです。モノづくりの本質は、独断と独裁にあります。民主的でもバランスに配慮したものでもなく、独断と独裁こそ、偏見に満ち満ちたものこそ、モノづくりの本質です。
どうか、あなたの独断と独裁を貫いてください。
幸い、現代は多様性の時代です。多様な価値観が認められようとしている時代です。あなたがあなたの旗を掲げても世界中から槍を突きつけられることはないし、仮に槍が飛んできても、それを跳ね除けるのは編集長である僕の役目です。
独断と独裁を貫いて、「これ、ええやろ!」「どやさ!」と叫ぶには、大いなる情熱と少しの勇気が要ります。勇気は必要。でも、キヨシローは言っています。「大人だろ勇気を出せよ。誰にも言えないことばかりじゃ、空がまた暗くなる」(©︎キヨシロー)。
「ええのかどうか、わからん」ということだってあるでしょう。でも、「わからんけど、なんか引っかかるものがある。簡単に切り捨てられへん何かがある」場合だってあるでしょう。その迷いもまた、そのまま提出すればいいんです。世の中、割り切れるものばかりではないし、「わからんけど、なんかいいかも!」でいいんです。世の中は、そんなものであふれているはずです。
つひまぶでは、そんな「わからんけど、なんかいいかも!」も、迷いながら、載せています。誰かに何かを伝える僕たちは、正直であるべきです。
独断と独裁を貫いて「これ、ええやろ!」と叫ぶためには、たくさんのええものとよくないものに触れる必要があります。そして、伝える段になり、見せ方を工夫する段になるとき、たくさんの引き出しが必要になります。
アイデアは、所詮、インプットしたものを組み合わせてアウトプットする作業に過ぎません。インプットした以上のものはアイデアにはないし、組み合わせの妙だけが、上質なアイデアとなっていきます。
近しいもの同士では、組み合わせの妙は生まれません。
ラーメンについて特集するとき、ラーメンについて考えるのではなく、たとえばマンガについて考えてみるといいでしょう。すると、小池さんが頭に浮かび、「マンガで描かれたラーメン」を記事にするきっかけとなり、ラーメンの特集はより多面的になります。醤油ラーメンと味噌ラーメンのあいだを行ったり来たりして頭を巡らせても、いいアイデアは浮かびません。
ハウツー本や、そのことについて書かれた本を読むのは悪いことじゃないけれども、それだけでは、アイデアも組み合わせの妙も生まれません。
対象との距離が近いので、即効性はあるでしょう。すぐに役に立つ。でも、射程は短いもんです。すぐに役に立つけれども、すぐに使いものにならなくなる。
ラーメンについて学ぶならラーメンについて書かれた本を読むのではなく、マンガをインプットしたほうが、射程ははるかに長いものになります。
まちおこしについて知ろうとするなら、創世神話を漁りましょう。若者・バカ者・よそ者は、世界中のどの創世神話にも登場します。
そうやって、対象までの射程を長いものにして、引き出しを増やし、組み合わせを「妙」なものにします。それが、上質なアイデア。多面的で立体的な編集です。
雑誌づくりは、「これ、ええやろ!」を伝えんとするむき出しの情熱と、長い射程を持った「組み合わせの妙」こそが肝です。
まだまだ語るべきことはありますが、まずは、この2点を意識しながら、つひまぶをつくっていきましょう。
Rock is my Life.
Punk is my Attitude.
Funkness is my Solution.
Let’s Psychedelic Revolution.
Dub Wise me.
Soul is my Sister.
Blues is my Brother.
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