秦まりの『face』

オープンナガヤのときにスモールオフィスの翠明荘で展示されていた作品を見て以来、僕は秦まりのさんが創り出す世界に首ったけだ。
秦まりのさん
https://www.marinohata.com/
まりのさんは、自作の物語を元に、シルクスクリーンをつかって平面やら立体やらを組み合わせて、独自の極彩色な世界を構築していく。
昨年は六甲ミーツアートに招待出展されていて、六甲オルゴールミュージアムの広大な庭を使った展示は、それはそれは見応えのあるものだった。その空間に存在しているであろう物語を、彼女は可視化してくれるのだ。
で、このたび、写真作品集があることを知り、早速入手。タイトルは『face』。
シルクスクリーン作家・秦まりのと、写真家であり詩人・渡辺幸子のコラボによる写真作品集。
解説から抜粋すると、「作家自身がモデルとなり、自作のマスクをつけた非日常の日常、無表情が映し出す表情。不思議な世界観を表現した写真集」ということになる。
人の顔がプリントされたマスクには、表情というものがないはずなのに、場面によって、微妙に表情が違うのだ。
能面を思い出した。
「能面のような顔」という表現は、無表情で何を考えているかわからない様子を指す。たしかに、展示されている能面を眺めると、女面などは表情が読み取りにくく感じる。
これが、舞台上だと、僕たちは、能面を通じてじつに豊かな表情を見つけることができる。
小面などの無表情に見える女性面も、悲しみのあまり涙を流しているようにすら見えたり、クライマックスに向かう部分で恍惚とした表情が浮かび上がったり、さまざまな表情の移り変わりを感じることができる。
演者によって命が吹き込まれることや、僕たち観る者が投影する心情による効果は大きいだろうが、じつは、能面の「曖昧な表情」には秘密があって、能面は左右が「非対称な作り」になっている。
僕たち生身の人間の顔も左右非対称で、カメラに向ける「利き顔」があるように、能面は左右が「非対称な作り」になっていて、その違いは「陰と陽」とも呼ばれる。
さらに、能では、やや仰向けにすると高揚した様子(照ル)、少しうつむくと陰りのある様子(曇ル)が表現され、ほんの少しの角度の違いで、悲しみや恥じらい、絶望や幸福感など、さまざまな表情をかんじさせる。
写真作品集『face』のページを繰るたび、僕は、舞台上の能面を思い出さずにはいられなかった。
まりのさんのマスクもまた「左右非対称」だが、写真家の渡辺幸子さんが、このマスクから微妙で曖昧な表情の移り変わりを引き出していて、アンニュイな雰囲気に仕上げている。その意味で、この写真集はクレジットにある通り、正しく両者の共作なのだろう。
この『face』に登場する、マスクをかけ、モデルとなっている作家の心情や感情を、僕はまだ言葉にすることができないでいるが、心の震えや、心の震えの表れである表情の移り変わりを受け取ることはできる。
ちなみに秦まりのさんがプリントした生地から作ったマスクは、写真作品集に出ている生地とよく似ていて、ちょっと嬉しい。

富田林寺内町(2020.6.7)
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