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平安以来の選ばれし一大観音道場
宝亀9年 (778年) 、延鎮上人の開創で、崖のうえに仏堂を建立したのは、平安の征夷大将軍・坂上田村麻呂。清水の舞台は、このときに出来た。また、田村麻呂が蝦夷地へ赴いたとき、観音の化身である毘沙門天と地蔵菩薩が守護したといい、田村麻呂はお礼に十一面千手観音像と毘沙門天像、地蔵菩薩像を奉納した。
霊験あらかたなり、と清少納言、紫式部、関白藤原道長らがこぞって参拝した当時、すでに門前市が賑わっていたという。源義経の母、常磐御前も観音信者で、平家に追われて奈良へ逃れる際に清水寺に身を隠し、一泊したといわれている。
清水寺 清水寺(kiyomizu-dera)
■所在地 京都市東山区清水1 ■tel 075-551-1234   ■拝観料 300円 ■拝観時間 6:00-18:00 ■本尊 十一面千手観音 ■宗派 北法相宗 ■建築 本堂、仁王門、三重塔、成就院庭園、奥の院、轟門、経堂、中興堂、朝倉堂、開山堂、他多数 ■宝物 十一面千手観音、二十八部衆、仁王像、二天像、毘沙門天立像、観世音立像、至勢菩薩立像、大日如来坐像、阿弥陀如来坐像、釈迦如来坐像、他多数

嵐山に威風堂々、禅の名刹
京都五山の第一位という格式を持つ天龍寺は、足利尊氏が、後嵯峨天皇の菩提を弔うために、夢窓国師を開山として建立した。その造営費用を捻出するために、元との貿易を再開し、天龍寺船を運航したことはよく知られている。嵐山は京都有数の桜の名所だが、群生するソメイヨシノは、夢窓国師が後嵯峨天皇の供養のため、奈良吉野から運んだものといわれている。往時は、嵐山や大堰川も天龍寺の寺域だった。
天龍寺 天龍寺(tenryu-ji)
■所在地 京都市右京区嵯峨天龍寺 ■tel 075-881-1235  ■拝観料 境内無料、庭園参拝/500円 書道参拝/100円追加 法堂特別参拝/500円 ■拝観時間 3月21日-10月20日/8:30-17:30 10月21日-3月20日/8:30-17:00 ■本尊 釈迦如来坐像 ■宗派 臨済宗天龍寺派大本山 ■建築 大方丈、法堂、篩月、宝源院、友雲庵、永明院、等寧院、妙智院、三秀院、弘源寺、慈済院、松巌寺、八幡宮、法華供養塔、亀山天皇亀山陵、後嵯峨天皇嵯峨南陵、雲光院、多宝殿、放生池、他多数 ■宝物 釈迦三尊像、夢窓国師図像、夢窓国師像、他多数

襖絵に浮かぶは桃山文化の真髄
城は城なのだが、姫路城や熊本城などのように、戦闘時のことを最優先して造られた城ではなく、徳川家康が上洛時に利用する宿泊処として1603年に造営された城である。したがって、いかめしい面構えよりも、二の丸御殿や唐門など数々の趣向を凝らした装飾が目立つのが特徴。また、二の丸御殿には、大政奉還が行われた大広間などの歴史上の貴重な舞台が残っているほか、狩野派に代表される桃山芸術の粋が凝縮されている。二条城は、日本の封建的な時代に生まれた華やかな文化が詰まっていると言えるだろう。
二条城 二条城(nijo-jo)
■所在地 京都市中京区二条通堀川西入二条城町541 ■tel 075-841-0096  ■拝観料 600円 ■拝観時間 9:00-17:00 ■建築 本丸御殿、天守閣跡、本丸櫓門、東大手門、二の丸御殿、式台、二の丸庭園、本丸庭園、番所、唐門、他多数 ■宝物 青楓図襖絵、葡萄図襖絵、竹林群虎図襖絵、雪中柳鷲図襖絵、他多数 

緑に包まれ伽藍が広がる、京都五山最高位の寺
そびえ立つ三門、エキゾチックな水路閣など、テレビドラマなどでおなじみの景観がひろがる南禅寺。正応4年 (1291年) 、亀山法王が離宮禅林寺殿を改め、禅寺としたのがはじまりである。開山は、大明国師、伽藍は二世の南院国師が整えた。そして、南院国師の南と禅をとって、南禅寺と命名されたのである。臨済宗各派から優れた人物を登用する制度が長くとられ、天龍寺開山の夢窓疎石も住持として勤めたことがある。京都五山のその上に君臨する、第一級の禅寺である。
界隈は琵琶湖疎流やインクラインが独特の景観を形成し、境内から哲学の道にかけては、格好の散歩道となっている。桜のころは心浮き立つ華やかさで満杯となる。
南禅寺 南禅寺(nanzen-ji)
■所在地 京都市左京区南禅寺福地町86 ■tel 075-771-0365   ■拝観料 方丈、方丈庭園/500円 三門/500円 南禅院/300円 ■拝観時間 3月-11月/8:40-17:00 12月-2月/8:40-16:30 ■本尊 釈迦牟尼仏 ■宗派 臨済宗 ■建築 三門、方丈、法堂、勅使門、金地院、大寧軒、天授庵、水路閣、波氣都歌、虎の子渡しの庭、他多数 ■宝物 大明国師像、探幽筆襖絵「群虎図」、亀山天皇宸翰禅林寺御起願文案、法堂天井龍図、細川幽斎像、細川蓮丸像、約翁徳倹像、他多数

秀吉の養母を生涯愛し弔い続けた、ねねの眠る寺
高台寺は、太閤秀吉の妻、北政所ねねの墓があるところである。相次いで亡くなった秀吉と養母を弔うために、ねねが出家し、秀吉が眠る東山の峰のひとつの麓に建てた寺である。工事を全面的に担当したのは、徳川家で、慶長10年 (1605年) 、酒井忠世・土井利勝を高台寺造営御用掛、京都所司代板倉勝重を普請奉行、堀監物直政を普請掛に任じ、財を惜しまず協力したといわれている。北政所の存在は、徳川家康にとって非常に大切な存在であったのだろう。福島正則・加藤清正・浅野長政等の北政所にとって子飼いの大名たちも働いた。寺町から康徳寺の移転が完了し、伏見城から化粧御殿と前庭 (現在の圓徳院) の移転が整い、北政所は化粧御殿に移り住む。以後、北政所はこの地に76歳で没するまで住み、明けて慶長11年 (1606年) 、鷲峰山高台寺が落慶した。
高台寺 高台寺(kodai-ji)
■所在地 京都市東山区高台寺下河原町526 ■tel 075-561-9966  ■拝観料 600円 (高台寺、掌美術館、圓得院共通券は900円)、夜間拝観特別拝観料:600円 ■拝観時間 9:00-17:00 (3月11日-5月5日、10月21日-12月4日の夜間拝観時は9:00-17:00と19:00-21:30) ■本尊 釈迦如来像 ■宗派 臨済宗建仁寺派 ■建築 観月台、庭園、臥龍池、中門、臥龍廊、霊屋、方丈、方丈前庭、雲居庵、時雨亭、傘亭、勅使門、唐門、書院、湖月庵、鬼瓦亭、ねねの道、遺芳庵、他多数 ■宝物 高台院像、弓箴善疆賛豊臣秀吉像、宇喜多一惠筆木下長嘯子像、狩野孝信筆唐人物・花鳥図衝立、三十三観音像、他多数

義満作、北山文化の粋を集めた高級サロン
応永4年(1397年)に将軍職を義持に譲った足利3代将軍義満が、西園寺公経の山荘の跡に北山殿と呼ぶ別邸を造って隠棲した。応永15年義満が没するまで政治の中心となるが、彼の死後、その子義持により禅刹に改められ、義満の法号にちなんで鹿苑寺と号するようになった。往時は、舎利殿の他に紫辰殿、護摩堂、泉殿、天鏡閣など壮麗な建物を数多く有し、現在の数杯の広さと豪華さを誇った。北御所、南御所などの3つの御所からなっていたと伝えられており、貴族の最高位に就いた義満の極楽浄土のイメージが、そのまま具現化された。
大半の建物は応仁の乱などで焼失し、北山文化唯一の遺構であった金閣も昭和25年(1950年)にひとりの学僧によって放火され焼失してしまった。現在の建物は昭和30年に再建されたもので、昭和62年には、金箔が全面張り替えられ、きらびやかな姿を蘇らせた。
鏡湖池に臨む3層の楼閣の金閣は、初層は寝殿造りの法水院、2層目は武家造りの潮音洞、第3層は唐風の究竟頂となっており、三つの違った様式を見事に調和させている。また、衣笠山を借景とした池泉回遊式庭園は室町時代を代表する名園として知られている。
金閣(鹿苑寺) 金閣(鹿苑寺)(kinkaku / rokuon-ji)
■所在地 京都市北区金閣寺町 ■tel 075-461-0013   ■拝観料 400円 ■拝観時間 9:00-17:00 ■本尊 釈迦牟尼仏 ■宗派 臨済宗相国寺派 ■建築 舎利殿 (金閣) 、本堂(方丈)、夕佳亭、不動堂、白蛇の塚、巌下水、銀河泉、鏡湖池、陸舟の松、龍門滝、池泉回遊式庭園、他 ■宝物 狩野外記筆襖絵「仙人高士図」、山岡鉄舟筆掛軸「髑髏図」、曽我簫白筆掛軸「飲仙図」、円山応挙筆掛軸「子犬」、他多数

浮世から逃避した文化人将軍の生きざま
足利幕府八代将軍、足利義政。将軍職を譲ったあとにこの東山殿に隠棲し、和歌や蹴鞠、茶道ともっぱら風流な遊びに打ち込み、武士とは思えない人生を歩んだ。ちまたでは飢えや疫病に苦しむ民で溢れるなか、一向の政治に向き合おうとしなかった彼を虚仮にする人も多い。
しかしながら、向月台や銀沙灘などの一風変わったオブジェを庭に配置したり、東求堂の茶室「同仁斎」の床の間に、庭の景色が掛け軸に見える長窓を設けるなど、斬新な美的感覚をこの銀閣寺で爆発させたそのセンスは、評価されてもいい。一般には金閣寺の北山文化の華やかさに比べて、ここ銀閣寺は東山文化のわび・さびの世界を漂わせていると言われているが、向月台や銀沙灘などは、そうした言葉では説明出来ない、日本の美術史上に燦然と輝くエポック・メイキングな作品である。
なお、銀閣寺は、義政の死後、彼の遺言により臨済宗相国寺派の寺に改められ慈照寺となった。
銀閣(慈照寺) 銀閣(慈照寺)(ginkaku / jisho-ji)
■所在地 京都市左京区銀閣寺町2 ■tel 075-771-5725 (本殿、東求堂、書院の拝観は要予約)   ■拝観料 500円 ■拝観時間 8:30-17:00 (3月15日-11月30日) 9:00-16:30 (12月1日-3月14日) ■本尊 釈迦牟尼仏 ■宗派 臨済宗相国寺派 ■建築 観音殿 (銀閣) 、本堂(方丈)、東求堂、お茶の井、向月台、銀沙灘、錦鏡池、禅の庭、枯山水、他 ■宝物 池大雅作襖絵「琴棋書画図」、与謝蕪村作襖絵「棕欄咫咫図」、他多数

1200年の時を刻む密教体感ワールド
平安のむかしから現在まで京のランドマークとして君臨している五重塔を擁する東寺。正式名称は、教王護国寺。日本でも最大級の寺院である。空海により真言密教の根本道場となり、伽藍全体で密教思想をビジュアル化している。まず、金堂の本尊は一切の病を治す薬師如来。病苦を縁として普遍的な真理と出会うのが講堂で、その教えを生活の場で生かすのが食堂(jikido)。食堂と講堂との距離は、生活に結びつけるまでの長い道のりを示している。
各お堂に安置されている仏像は数知れず、そのほとんどが国宝級である。
また、東寺は、もとは平安京の羅生門近くに、王城鎮護のために建てられた。建物の配置や大きさまでそのころとまったくおなじであり、平安の風景がそのまま残っている数少ない場所でもある。
東寺 東寺(to-ji)
■所在地  京都市南区九条町1 ■tel 075-691-3325   ■拝観料 500円 (宝物館は別途500円) ■拝観時間 3月20日-9月19日/8:30-17:30 9月20日-3月19日/8:30-16:30 ■本尊 薬師如来像 ■宗派 真言宗東寺派総本山 ■建築 五重塔、金堂、講堂、食堂、御影堂、観智院、潅頂院、他多数 ■宝物 不空成就如来坐像、金剛波羅蜜坐像、金剛法菩薩坐像、金剛業菩薩坐像、金剛薩た菩薩坐像、不動明王坐像、降三世明王立像、軍荼利明王立像、大威徳明王立像、金剛夜叉明王立像、梵天鵞鳥上蓮華坐像、帝釈天騎象半跏像、持国天立像、増長天立像、広目天立像、多聞天立像 (以上、国宝) 、他多数

世界に誇る、枯山水石庭
龍安寺は、もとは円融 (enyu) 天皇の御願寺円融寺があったところであり、円融寺衰退後、左大臣藤原実能が山荘を営み山荘内に徳大寺を建立した。宝徳2年 (1450年)、室町幕府官領細川勝元が、徳大寺家の別荘を譲り受けて寺地とし、妙心寺の義天玄承 (gitengenshou) を招請し開山した。これが龍安寺のはじまりである。玄承は、師である日峰宗舜 (nippousoushun) を開山とし、自身は第2代として、禅苑を創建した。しかし応仁の乱で焼失。細川勝元の子政元が復興した。復興にあたり勝元の書院を方丈とし、東福寺の昭堂を移して仏殿とした。寛政9年 (1797年)、再度の火災で方丈・仏殿・開山堂を焼失したため塔頭西源院の方丈を移築した。なお、有名な龍安寺の石庭は、世界遺産にも登録されている。
龍安寺 龍安寺(ryoan-ji)
■所在地  京都市右京区龍安寺御陵下町13 ■tel 075-463-2216  ■拝観料 500円 ■拝観時間 3月-11月/8:00-17:00 12月-2月/8:30-16:30 ■本尊 釈迦如来像 ■宗派 臨済宗妙心寺派 ■建築 方丈、石庭、昭堂、仏殿、勅使門、涅槃堂、西源院、太珠殿、鏡容池、他多 ■宝物 つくばい、他多数

古杜の姿に映る陰陽道本家の面影
京都でもっとも古い上賀茂神社は、正式名称を賀茂別雷神社といい、天武7年 (678年) に国費をもって現在のかたちの基が造営された。かつては源頼朝、織田信長、豊臣秀吉などを初めとする歴史上の人物の参拝、祈願も多かった。また、大自然そのものである別雷神を祀ることから、その力であらゆる災いを祓うご利益がある。さらに毎年5月15には、京都三大祭のひとつである葵祭が開催されるほか、9月9日にはユーモラスな鳥の鳴き真似、氏子の子供たちによる奉納相撲「烏相撲」なども行われている。世界遺産登録の神社である。
上賀茂神社 上賀茂神社(kamigamo-jinja)
■所在地 京都市北区上賀茂本山339 ■tel 075-781-0011  ■拝観料 無料 ■拝観時間 11月-3月/8:30-16:00 4月-12月/8:00-16:30 ■祭神 賀茂別雷大神 (kamowakeikadutinoookami)  ■建築 一の鳥居、二の鳥居、三の鳥居、本殿、橋殿、細殿、倭門、勅使殿、権殿、立砂、新宮神社、他多数 

京都一長い歴史の神社は不思議がいっぱい
京都のジャングル糺 (tadasu) の森を抜けると現れる下鴨神社は、正式名称を賀茂御祖神社 (kamomioya-jinja) と呼ぶ。京都でもっとも古い歴史を持ち、平安時代以降は天皇家からも厚い信頼を受けた神社である。上賀茂神社の母にあたる。二本の樫の木の幹が途中で一本になる連理の賢木 (sakaki) 、神に供する料理を調理する大炊殿、みたらし団子を生んだ御手洗社など、見どころの多い神社である。
下鴨神社 下鴨神社(shimogamo-jinja)
■所在地 京都市左京区下鴨泉川町59 ■tel 075-781-0010  ■拝観料 無料 (大炊殿、御車舎、河合神社は500円) ■拝観時間 本殿/6:00-18:00 その他社殿/10:00-16:00 ■祭神 賀茂建角身命 (kamotaketsunuminomikoto)、玉依媛命 (tamayorihimenomikoto)  ■建築 本殿、祝詞屋、幣殿、御料屋、幣殿廻廊、楽屋、中門、舞殿、神服殿、橋殿、細殿、供御所、叉蔵、預屋、西唐門、大炊殿、井戸屋、楼門、楼門廻廊、他多数 ■宝物 鴨社御本宮之絵図、他多数

天下の秀吉を圧倒したダイナミックな堂塔伽藍
摂政九条道家が,奈良の東大寺のように大きく、興福寺のように隆盛を極める寺になるようにと、東と福の字をとり、京都最大の大伽藍を造営したのが慧日 (enichi) 山東福寺である。嘉禎2年 (1236年) から建長7年 (1255年) まで、じつに19年を費やして完成した。工事半ばの寛元元年 (1243年) には聖一国師を開山に仰ぎ、まず天台・真言・禅の各宗兼学の堂塔を完備したが、元応元年 (1319年) 、建武元年 (1334年) 、延元元年 (1336年) と相次ぐ火災のために大部分を焼失した。しかし、延元元年8月の被災後4ヶ月目には早くも復興に着手し、貞和3年 (1346年) には前関白一条経道により仏殿の上棟が行われ、延元の火災以降、じつに20余年を経て,再び偉観を誇ることになった。仏殿本尊の釈迦仏像は15m、左右の観音・弥勒両菩薩像は7.5mもあり、新大仏寺の名で喧伝され、足利義持・豊臣秀吉・徳川家康らによって保護修理も加えられ、東福寺は永く京都最大の禅苑としての面目を伝え、兵火を受けることなく現在に至っている。
明治14年 (1881年) に、惜しくも仏殿・法堂、方丈、庫裡を焼失したが、その後、大正6 (1917年) 年より本堂の再建に着工、昭和9年 (1934年) に落成。明治23年 (1890年) に方丈、同43年 (1910年) に庫裡も再建され、鎌倉・室町時代からの重要な古建築に伍して、現代木造建築物の精粋を遺憾なく発揮している。また,開山国師の頂相、画聖兆殿司筆の禅画など、鎌倉・室町期の国宝・重要文化財は夥しい数にのぼっている。 京都五山のひとつにも数えられる,京都を代表する大伽藍である。
東福寺 東福寺(tofuku-ji)
■所在地 京都市東山区本町15丁目778 ■tel 075-561-0087  ■拝観料 通天橋・開山堂:400円、方丈八相庭園:400円 ■拝観時間 9:00-16:00 (11月のみ8:30-16:30) ■本尊 釈迦仏像 ■宗派 臨済宗大本山 ■建築 三門、禅堂、偃月橋、愛染堂、鐘楼、月下門、東司、浴室、仁王門、六波羅門、十三重塔、常楽庵、龍吟庵方丈、経蔵、他多数 ■宝物 地蔵菩薩坐像、僧形坐像、二天王立像、不動明王坐像、阿弥陀如来坐像、金剛二力士立像、釈迦如来坐像、他多数

日本最大の三門の迫力を体感せよ
法然上人が浄土宗を開き、その生涯を閉じた地に立つ知恩院。法然上人が30有余年にわたって念仏の教えを説いた京都東山の地、吉水の草庵がそのはじまりである。法然上人滅後23年、文暦2年 (1234年) 、弟子の勢観房源智上人が報恩のために伽藍を建立し、四条天皇より華頂山知恩教院大谷寺の寺号を賜り、法然上人の御廟、念仏の根本道場の基礎を築いた。豊臣秀吉や徳川家康など、時の権力者から庇護を受け、現在に至るまで栄え続けている。現在の寺観は徳川家によって整えられたもので、大小106棟の伽藍からなる壮大な名刹である。本堂や三門、大方丈、小方丈は江戸初期の技法を用いており、いざというときに備えて戦用の城郭としても使用出来るように造られたという。室町時代にかかる諸堂最古の勢至堂や、日本現存の木造建築の門のなかで最大の規模をもつ三門をはじめ、経蔵、御影堂、大方丈、小方丈、勅使門、大鐘楼、集会堂、大庫裡・小庫裡などはいずれも重要文化財となっている。
知恩院 知恩院(chion-in)
■所在地 京都市東山区新橋大和大路東入る3丁目林下町400 ■tel 075-531-2111   ■拝観料 方丈庭園のみ400円 ■拝観時間 9:00-16:00 ■本尊 阿弥陀如来像 ■宗派 浄土宗知恩院派総本山 ■建築 三門、大方丈、小方丈、阿弥陀堂、御影堂、鐘楼、雪香殿、経蔵、一心院、勢至堂、権現堂、常行堂、霊塔、崇泰院、方丈庭園、友禅苑庭園、他多数 ■宝物 勢至菩薩坐像、阿弥陀如来像、法然上人絵伝、毘沙門天像、阿弥陀二十五菩薩来迎図、阿弥陀浄土図、十王図、他多数

平安の極楽浄土体験パーク
ときの権力者、関白藤原道長が左大臣源重信の婦人から譲り受けた別業をその子頼通が、永承7年 (1052年) にこれを仏寺に改め、平等院とした。永承7年は末法の初年にあたるとされ、世の中が終焉するという末法思想が流行し、極楽往生を願う浄土信仰が社会の各層に広く流行していた。藤原頼通は、「死んだら浄土へ」と切なる願いを込めて別荘を寺とし、曼荼羅図や教典を参考にして、なんと極楽浄土を再現してしまった。それが、この、平等院である。天喜元年 (1053年) には平等院の阿弥陀堂 (鳳凰堂) が落成し、天才仏師・定朝の唯一の遺作である国宝阿弥陀如来坐像を安置、華やかさを極めたといわれている。以降、約千年前に建立された建造物や仏像が今に伝えられ、世界遺産にも登録されている。
平等院 平等院(byodo-in)
■所在地 京都府宇治市宇治蓮華116 ■tel 0774-21-2861   ■拝観料 600円 (鳳凰堂は別途300円) ■拝観時間 入園/8:30-17:30 ミュージアム/9:00-16:45 鳳凰堂/9:30-16:10 ■本尊 阿弥陀如来像 ■宗派 浄土宗 ■建築 鳳凰堂、観音堂、藤棚、阿字池、浄土院、不動堂、最勝院、他多数 ■宝物 阿弥陀如来坐像、雲中供養菩薩像、他多数

邦楽発祥の山里に来迎仏と天台門跡
平安時代の初めに延暦寺の僧である円仁や良忍が天台声明の道場 (現在の来迎院) を開いた大原は、中世の謡曲へと発展する邦楽発祥の地として知られている。平安後期には末法思想がひろがり、極楽浄土への思いをかたちにした来迎仏を安置するお堂、極楽往生院がつくられた。三千院と名がついたのは明治に入ってからである。天皇家一族が出家して入寺する寺院を門跡と呼ぶが、明治時代に市内にあった梶井門跡の本坊を大原へ移した際、宸殿に掲げられていた額の文字、三千院を採って改名した。
三千院門跡 三千院門跡(sanzenin-monzeki)
■所在地 京都市左京区大原来迎院町540 ■tel 075-744-2531 ■拝観料 600円 ■拝観時間 3月-11月/8:30-17:00 12月-2月/8:30-16:30 ■本尊 薬師如来 ■宗派 天台宗 ■建築 宸殿、客殿、極楽往生院、金色不動堂、朱雀門、紫陽花苑、有清園、円融房、聚碧園、他多数 ■宝物 阿弥陀三尊坐像、観音菩薩坐像、勢子菩薩坐像、金色不動明王立像、毘沙門天立像、阿弥陀如来立像、如意輪観音坐像、救世観音半跏像、阿弥陀二十五菩薩来迎図、阿弥陀聖衆来迎図、融通念仏縁起、御所車衝立、他多数

宇宙と繋がる壮大な名刹
かなり険しい山道が続く。山が丸々境内という、巨大な名刹なのだ、ここは。宝亀元年 (770年) に鑑真和尚の弟子、鑑禎上人がこの地に毘沙門天を祀り、一宇を建てことにはじまる。度重なる火災や明治維新の廃仏毀釈で多数の堂宇を失ったが、昭和22年 (1947年) に鞍馬弘教を開宗し、堂宇を再建した。鞍馬寺の特徴は、なんといっても、堂宇と堂宇の距離にある。山門をくぐり、本殿、奥の院まで抜けるだけで約1時間の登山となる。したがって、ハイキング気分で大自然を満喫しながら参拝することが出来るのだ。鞍馬寺が本尊とするのは山中に満ちた宇宙生命である尊天の思想。これにあやかりながら、奥の院を目指すといい。
鞍馬寺 鞍馬寺(kurama-dera)
■所在地 京都市左京区鞍馬本町1074 ■tel 075-741-2003  ■拝観料 無料 ■拝観時間 9:00-16:30 ■本尊 千手観世音菩薩、毘沙門天王、護法魔王尊 ■宗派 鞍馬弘教総本山 ■建築 仁王門 (山門) 、由岐神社拝殿、義経公供養塔、鐘楼、中門、本殿金堂、他多数

宗派宗教を超えた仏陀の母なる山
山号は比叡山、全山に広大な寺域を持ち、東塔・西塔・横川 (yokawa) ・十六谷を擁し、これらを綜合して延暦寺という。
最盛期には三千もの堂宇を持った日本最大級のスケールを誇る大寺院であり、なかでも東塔の根本中堂・西塔の釈迦堂・横川の横川中堂は三大堂と呼ばれて延暦寺の中核を成し、特に1200年にわたる不滅の法燈を燈す、国宝・根本中堂は徳川家光の再建で外陣・中陣・内陣にわかれ、内陣の宮殿には秘仏とされる薬師如来が安置されている。
宗祖は伝教大師最澄。785年、現在の根本中堂のあたりに一乗止観院と名乗る庵を建て、自身が信仰する薬師如来を安置した。
804年、空海とともに入唐し、天台知? (tendai-chigi) より7代目の道邃 (dousui) に学び、天台法華宗を興す。823年には詔を受け、年号にちなんだ延暦寺と名乗ることを許された。
しかし、延暦寺の全盛期を構築したのは円仁 (三代天台座主) ・円珍 (第五代天台座主) であり、真言宗との対抗上、密教色を強めて日本仏教界の最大勢力となる。この後、武力・財力を備え政治をも動かす権力機構に変貌してゆく。室町幕府の時代になると、南朝をバックアップしたことなどもあり荘園を減らされ、さらに織田信長に全山焼き討ちに遭うが、秀吉・家康の援助で復興を果たす。
10世期末頃に慈覚大師、円仁派宗徒と智証大師、円珍派宗徒の対立が激化し、円珍派は三井寺 (園城寺) を拠点として寺門派を形成する。信長の焼き討ちで堂宇・寺宝多数を失うが、現在に於いても多くの文化財を残しており、堂宇も現在は三塔十六谷に七十余を持つ。
また延暦寺は多くの人材を輩出し、浄土宗・浄土真宗・真宗・臨在宗・曹洞宗・日蓮宗など鎌倉仏教の基点ともなった。
延暦寺 延暦寺(enryaku-ji)
■所在地 滋賀県大津市坂本本町4220 ■tel 077-578-0001   ■拝観料 550円 ■拝観時間 8:30-16:30 ■本尊 薬師如来像 ■宗派 天台宗 ■建築 東塔根本中堂 、東塔大講堂、西塔担い堂、西塔瑠璃塔、横川四季講堂、文殊楼、他多数 ■宝物 五大明王立像、千手観音立像、釈迦如来立像、四天王立像、聖観音像、文殊菩薩像、阿弥陀如来立像、吉祥天像、大黒天立像、護摩居士坐像、山王霊験記、伝教大師将来目録、七条刺納袈裟、天台法華宗年分録記、嵯峨天皇辰翰光定戒牒、伝教大師入唐牒の文書五点、他多数

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