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知恩院
■所在地 京都市東山区新橋大和大路東入る3丁目林下町400 ■tel 075-531-2111   ■拝観料 方丈庭園のみ400円 ■拝観時間 9:00-16:00 ■HP http://www.chion-in.or.jp/ ■アクセス 市バス (系統201、206、D2) 知恩院前下車徒歩5分 ■本尊 阿弥陀如来像 ■宗派 浄土宗知恩院派総本山 ■建築 三門、大方丈、小方丈、阿弥陀堂、御影堂、鐘楼、雪香殿、経蔵、一心院、勢至堂、権現堂、常行堂、霊塔、崇泰院、方丈庭園、友禅苑庭園、他多数 ■宝物 勢至菩薩坐像、阿弥陀如来像、法然上人絵伝、毘沙門天像、阿弥陀二十五菩薩来迎図、阿弥陀浄土図、十王図、他多数 
日本最大の三門の迫力を体感せよ
法然上人が浄土宗を開き、その生涯を閉じた地に立つ知恩院。法然上人が30有余年にわたって念仏の教えを説いた京都東山の地、吉水の草庵がそのはじまりである。法然上人滅後23年、文暦2年 (1234年) 、弟子の勢観房源智上人が報恩のために伽藍を建立し、四条天皇より華頂山知恩教院大谷寺の寺号を賜り、法然上人の御廟、念仏の根本道場の基礎を築いた。豊臣秀吉や徳川家康など、時の権力者から庇護を受け、現在に至るまで栄え続けている。現在の寺観は徳川家によって整えられたもので、大小106棟の伽藍からなる壮大な名刹である。本堂や三門、大方丈、小方丈は江戸初期の技法を用いており、いざというときに備えて戦用の城郭としても使用出来るように造られたという。室町時代にかかる諸堂最古の勢至堂や、日本現存の木造建築の門のなかで最大の規模をもつ三門をはじめ、経蔵、御影堂、大方丈、小方丈、勅使門、大鐘楼、集会堂、大庫裡・小庫裡などはいずれも重要文化財となっている。
知恩院
1.三門 現存する木造建築の門のなかでは日本最大規模の三門。
2.男坂 映画「ラストサムライ」に登場した。
3.鐘楼 「ゆく年くる年」でおなじみの鐘は、高さ3.3m、口径2.8m、重さ約70トンという、とてつもない代物。寛永13年 (1636年) に鋳造。鐘楼は延宝6年 (1678年) に造営された。
4.御影堂 知恩院の殿堂中、最大の規模を誇り、大殿とも呼ばれる。16年の歳月を費やして建てられた堂は、徳川家光の寄進である。向拝柱中上見返しには、牡丹などの精巧な彫刻が施されている。
5.方丈庭園 国の重要文化財に指定されている大方丈、小方丈に配された庭園。大谷池を中心に構成されており、鶯張りの廊下から望む庭である。
6.御廟 鎌倉時代に念仏をひろめた法然上人の遺骨が納められたお墓。周辺の賑やかな雰囲気から一変して、静寂さが漂う。
知恩院

(左から時計まわりに)空・無相・無願の三つの解脱の境地を表わす門、三門→方丈庭園→法然上人絵伝→御影堂→大梵鐘

知恩院の七不思議
知恩院の不思議とは、忘れ傘、鶯張りの廊下、白木の棺、抜け雀、三方正面真向の猫、大杓子、御影堂屋根瓦、瓜生石、数えると八つになってしまうが、総称して知恩院の七不思議という。代表的なのは、鶯張りの廊下。警護のために、歩くと鶯の鳴き声に似た声がすることから、その名がついた。その仕組みは、図のように、床をわずかだが浮かせていることにある。他には、隕石が落ちたといわれる瓜生石、名棟梁の左甚五郎が魔除けのために置いた忘れ傘、どこから見ても目が合う三方正面真向の猫、あまりに上手に描いたために屏風から飛び出した抜け雀など。実物を見ることが出来るのは、鶯張りの廊下、忘れ傘、大杓子のみだが、他はレプリカを展示してある。
瓜生石
瓜生石 (uryuzeki)
鶯張りの廊下の仕組み
鶯張りの廊下の仕組み

知恩院で縁結び?
硬派なイメージのある知恩院だが、じつは良縁成就の神さまもいる。御廟よりも奥にある墓、それは徳川二代目将軍である徳川忠秀の娘で豊臣秀頼の妻、千姫の墓だ。彼女は秀頼に嫁いだものの、大阪夏の陣の落城で再び徳川家に連れ戻されるという波乱の人生を送った。墓の奥には、濡髪祠の額を掲げた濡髪大明神の祠である濡髪堂があり、祇園花街に近いことなどから、良縁成就の神さまとして信仰を集めている。

千姫の墓
千姫の墓
濡髪堂
濡髪堂
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