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東福寺
■所在地 京都市東山区本町15丁目778 ■tel 075-561-0087  ■拝観料 通天橋・開山堂:400円、方丈八相庭園:400円 ■拝観時間 9:00-16:00 (11月のみ8:30-16:30) ■HP http://www.tofukuji.jp/index2.html ■アクセス 市バス (系統207、208、D2) 東福道下車徒歩10分、京阪本線東福寺駅下車徒歩10分、JR奈良線東福寺駅下車徒歩10分 ■本尊 釈迦仏像 ■宗派 臨済宗大本山 ■建築 三門、禅堂、偃月橋、愛染堂、鐘楼、月下門、東司、浴室、仁王門、六波羅門、十三重塔、常楽庵、龍吟庵方丈、経蔵、他多数 ■宝物 地蔵菩薩坐像、僧形坐像、二天王立像、不動明王坐像、阿弥陀如来坐像、金剛二力士立像、釈迦如来坐像、他多数
天下の秀吉を圧倒したダイナミックな堂塔伽藍
摂政九条道家が,奈良の東大寺のように大きく、興福寺のように隆盛を極める寺になるようにと、東と福の字をとり、京都最大の大伽藍を造営したのが慧日 (enichi) 山東福寺である。嘉禎2年 (1236年) から建長7年 (1255年) まで、じつに19年を費やして完成した。工事半ばの寛元元年 (1243年) には聖一国師を開山に仰ぎ、まず天台・真言・禅の各宗兼学の堂塔を完備したが、元応元年 (1319年) 、建武元年 (1334年) 、延元元年 (1336年) と相次ぐ火災のために大部分を焼失した。しかし、延元元年8月の被災後4ヶ月目には早くも復興に着手し、貞和3年 (1346年) には前関白一条経道により仏殿の上棟が行われ、延元の火災以降、じつに20余年を経て,再び偉観を誇ることになった。仏殿本尊の釈迦仏像は15m、左右の観音・弥勒両菩薩像は7.5mもあり、新大仏寺の名で喧伝され、足利義持・豊臣秀吉・徳川家康らによって保護修理も加えられ、東福寺は永く京都最大の禅苑としての面目を伝え、兵火を受けることなく現在に至っている。
明治14年 (1881年) に、惜しくも仏殿・法堂、方丈、庫裡を焼失したが、その後、大正6 (1917年) 年より本堂の再建に着工、昭和9年 (1934年) に落成。明治23年 (1890年) に方丈、同43年 (1910年) に庫裡も再建され、鎌倉・室町時代からの重要な古建築に伍して、現代木造建築物の精粋を遺憾なく発揮している。また,開山国師の頂相、画聖兆殿司筆の禅画など、鎌倉・室町期の国宝・重要文化財は夥しい数にのぼっている。 京都五山のひとつにも数えられる,京都を代表する大伽藍である。
東福寺
1.三門 新大仏と呼ばれるような巨大な本尊を安置するなど南都二大寺に影響を受け、大仏様 (天竺様)、禅宗様 (唐様)、和様を巧みに組み合わせた建造方式となっている。
2.法堂(hattou) 昭和9年に再建された。南東の柱は,日蓮が迫害を受けたとき、聖一国師が庇護したという縁で、日蓮宗が寄進した日蓮柱。天井の龍図は、堂本印象の力作。東福寺の本尊は釈迦如来像の大仏だったが、焼失し、この堂内には焼け残った左手が安置されている。
3.方丈・方丈庭園 重森三玲による昭和の名庭。南庭は巨石と築山を配した禅院式枯山水、東に北斗七星、西にさつきの刈り込みと砂地による大市松模様、北庭に、苔と角石との小市松模様を表している。
4.通天橋 渓谷・洗玉澗にかかる、開山堂への歩廊。天授6年 (1380年)、普明国師が谷をわたる苦労から僧を救うために架けたといわれる。一帯のカエデは、聖一国師が宋より伝えたもの。
5.浴室 三門の東にある。東司と同じく室町時代の建物。土間を入った奥に腰掛け、中央に板敷きの洗い場がある。薬草を焚き、蒸し風呂として使われた。
6.東司(tousu) 禅宗式の便所で、通称、百雪隠 (secchin) 。室町時代唯一の東司の遺構として貴重なもので、一重切妻造の建造物である。禅僧は用便も修行であり、東司へ行くにも厳しい作法が定められていた。
7.禅堂 南北朝時代の建物。中世期より現存する最大最古の禅堂である。
8.天得院 秋には桔梗の青、白と苔の緑、紅葉との色の競演が楽しめる。
9.龍吟庵 東福寺第三世住持、無関普門 (大明国師) の住居跡。柱間中央に両開き板唐戸の入口を設け、両端の柱間には遣戸をはめ込むなど、書院造に寝殿造風の名残をとどめた現存最古の方丈建築である。
東福寺

(左から時計まわりに)
東福寺第三世住持、無関普門 (大明国師) の住居跡。柱間中央に両開き板唐戸の入口を設け、両端の柱間には遣戸をはめ込むなど、書院造に寝殿造風の名残をとどめた現存最古の方丈建築である。

文化財のトイレと浴室
東福寺で見逃せないネタとして、浴室と東司が挙げられる。現在まで両方が残っているのは大変に珍しく、ことに、東司は室町時代の建物で、現存する最古のものといわれている。正確な記録がないために、正式な使われかたがわかっていないが、禅宗では用を足すのも修行とされ、厳しい作法があったと考えられている。浴室のほうは、薬草を焚き、蒸し風呂として利用されていた。
東司の内部
東司の内部
浴室の内部
浴室の内部

特別公開のみの塔頭
東福寺に25ある塔頭のうち、常時公開されているのは、同聚院、霊雲院、芬陀院、光明院の4つ。龍吟庵や天得院は、特別公開で不定期に公開される。龍吟庵は、東福寺三世で南禅寺の開山でもある大明国師の住坊跡で、現在の方丈は室町時代に再建された現存する最古の方丈建築である。寝殿造りから書院造りへの過渡期的な建物として、大変貴重なもの。庭は、重森三玲による昭和の名庭で、龍が雲間から顔を出している姿を表現している。入り組んだ砂紋が描かれた二色の砂は雷雲を表し、そのあいだから龍が顔を出している。なお、天得院は桔梗の名所として知られている。

龍吟庵の庭
龍吟庵の庭
天得院
天得院
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