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南禅寺
■所在地 京都市左京区南禅寺福地町86 ■tel 075-771-0365   ■拝観料 方丈、方丈庭園/500円 三門/500円 南禅院/300円 ■拝観時間 3月-11月/8:40-17:00 12月-2月/8:40-16:30 ■HP http://nanzenji.com/ ■アクセス 市バス (系統A1、5) 南禅寺永観堂道停下車徒歩7分 地下鉄東西線蹴上駅下車徒歩5分 ■本尊 釈迦牟尼仏 ■宗派 臨済宗 ■建築 三門、方丈、法堂、勅使門、金地院、大寧軒、天授庵、水路閣、波氣都歌、虎の子渡しの庭、他多数 ■宝物 大明国師像、探幽筆襖絵「群虎図」、亀山天皇宸翰禅林寺御起願文案、法堂天井龍図、細川幽斎像、細川蓮丸像、約翁徳倹像、他多数
緑に包まれ伽藍が広がる、京都五山最高位の寺
そびえ立つ三門、エキゾチックな水路閣など、テレビドラマなどでおなじみの景観がひろがる南禅寺。正応4年 (1291年) 、亀山法王が離宮禅林寺殿を改め、禅寺としたのがはじまりである。開山は、大明国師、伽藍は二世の南院国師が整えた。そして、南院国師の南と禅をとって、南禅寺と命名されたのである。臨済宗各派から優れた人物を登用する制度が長くとられ、天龍寺開山の夢窓疎石も住持として勤めたことがある。京都五山のその上に君臨する、第一級の禅寺である。
界隈は琵琶湖疎流やインクラインが独特の景観を形成し、境内から哲学の道にかけては、格好の散歩道となっている。桜のころは心浮き立つ華やかさで満杯となる。
南禅寺
1.三門 手前の建物の山楼から階段をのぼって、楼上にのぼることが出来る。内陣には宝冠釈迦像や十六羅漢像が安置されていることはあまり知られていない。
2.法堂 慶長11年 (1606年) 、豊臣秀頼によって再建されたが、明治28年に焼失。現在のものは明治42年に建立されたものである。天井龍図は、今尾景年画伯の大作で、外から格子越しに見ることが出来る。
3.方丈 内部は元信、永徳など狩野派の障壁画で埋め尽くされ、その数は大小合わせて160面以上にのぼる。なかでも、狩野探幽筆小方丈の「水飲みの虎」は傑作として名高い。なお、大方丈は御所清涼殿からの移築である。
4.インクライン 明治23年 (1890年) 、建設。古代ローマの水道橋をモデルにしている。琵琶湖疎流支流の水路閣で、実際に今でも毎秒2リットルの水が流れ、電力発電に利用されている。苔むした赤煉瓦が味わい深く、大小のアーチの連続が美しい。
5.南禅院 離宮禅林寺院の上の宮の跡で、亀山天皇はここで落飾し、法王となった。南禅寺出発の地。
6.天授庵 開山の大明国師を祀る塔頭。池泉回遊式と枯山水のふたつの庭がある。細川家の菩提寺でもあり、細川幽斎夫妻の墓、横井小南の墓がある。
7.大寧軒 茶人、薮の内紹智の作庭した庭。
8.金地院 塔頭のひとつで、徳川家康の助言者として黒衣の宰相と呼ばれた以心崇伝を排出した。方丈の亀鶴の庭は、小堀遠州作の枯山水庭園。
南禅寺
(左から時計まわりに)秋の南禅寺三門→小堀遠州作方丈庭園→小方丈が連なる参道→インクライン→桜が満開の哲学の道
枯山水の名庭、方丈の庭
簡素ななかに、大自然や禅宗の宇宙観を表す枯山水。解釈の仕方は無限にあり、答えはない。それが、禅問答なのだ。
南禅寺方丈の庭は、塀際に配された16個の石が、母虎が3匹の子を連れて川をわたる様子を表しており、「虎の子渡しの庭」とも呼ばれている。江戸時代初期、金地院庭園とおなじ小堀遠州が作庭した。石組と樹木を一ヶ所にまとめ、広大な余白を残したこのデザインは、遠州の真骨頂であり、以降、このかたちが主流となっていく。借景の山並み、大方丈、庭の三者の調和が見事である。
大方丈の庭
大方丈の庭
白砂の文様は水の波紋を表している
白砂の文様は水の波紋を表している
南禅寺発祥の地、南禅院
離宮禅林寺殿の上の宮跡であり、亀山天皇はここで落飾して法王となった。いわば、ここが南禅寺の出発点なのである。
名勝庭園は離宮の頃の面影を残しており、亀山法王の作庭ともいわれている。南禅寺山の斜面の起伏を利用し、奥には滝の石組みがあり、周囲を樹木に囲まれた静寂の庭である。なお、ここに安置されている法王坐像は鎌倉時代の優品で重文。献灯の意味で設けられている瑠璃塔は、おなじ臨済宗の大本山天龍寺から贈呈されたもので、なんと15万個のガラスビーズを繋いだ、日本では例を見ない工芸品。
南禅院
南禅院
亀山法王
亀山法王
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