Luis presents! DEEP KYOTO 2004 all right reserved
Google
三千院門跡
■所在地 京都市左京区大原来迎院町540 ■tel 075-744-2531 ■拝観料 600円 ■拝観時間 3月-11月/8:30-17:00 12月-2月/8:30-16:30 ■HP http://www.sanzenin.or.jp/ ■アクセス 市バス (系統C3、17、18、19) 大原バス停下車徒歩10分 ■本尊 薬師如来 ■宗派 天台宗 ■建築 宸殿、客殿、極楽往生院、金色不動堂、朱雀門、紫陽花苑、有清園、円融房、聚碧園、他多数 ■宝物 阿弥陀三尊坐像、観音菩薩坐像、勢子菩薩坐像、金色不動明王立像、毘沙門天立像、阿弥陀如来立像、如意輪観音坐像、救世観音半跏像、阿弥陀二十五菩薩来迎図、阿弥陀聖衆来迎図、融通念仏縁起、御所車衝立、他多数  
邦楽発祥の山里に来迎仏と天台門跡
平安時代の初めに延暦寺の僧である円仁や良忍が天台声明の道場 (現在の来迎院) を開いた大原は、中世の謡曲へと発展する邦楽発祥の地として知られている。平安後期には末法思想がひろがり、極楽浄土への思いをかたちにした来迎仏を安置するお堂、極楽往生院がつくられた。三千院と名がついたのは明治に入ってからである。天皇家一族が出家して入寺する寺院を門跡と呼ぶが、明治時代に市内にあった梶井門跡の本坊を大原へ移した際、宸殿に掲げられていた額の文字、三千院を採って改名した。
三千院門跡
1.往生極楽院 末法の世真っ只中の平安後期に建てられたが、建立者には諸説ある。院内に安置されている勢子菩薩が前屈みになっており、まさに迎えに来たかのようである。
2.見所台と聚碧園 江戸時代初期の池泉観賞式庭園である聚碧園と、それを眺めるための廊下、見所台。見所台は円融房へと続いている。杉木立ちの有名な写真は、この、見所台から撮影されたものである。
3.円融房 もともとは延暦寺東塔の南谷に伝教大師が建てたとされる梶井門跡の本坊。現在は写経道場になっていて、誰でも体験出来る。
4.有清園 ビロードに輝く苔の絨毯と杉木立ちの静けさのなかに、平安後期の古いお堂が佇む。秋は紅葉が色づき、金色の錦が楽しめる。
5.客殿 良忍の生涯の様子を描いた「融通念仏絵巻」や、後白河法王の法要「御懺法講絵巻」などの古文書が展示されている。
6.宸殿 客殿から進むと手前は門跡の内仏殿。代々の住職が仏壇に祀られ、回向が行われる。毎年5月30日には後白河法から伝わる声明で行う法要「御懺法講」が奉納されるため、天皇が座する玉座の間が設けられている。
7.紫陽花苑 往生極楽院から不動堂へ上がる階段の左手にある。6月初旬には鮮やかな紫陽花が低地の隙間を埋め尽くす。
三千院門跡

(左から時計まわりに)万灯会の様子→金色不動堂→紫陽花苑→童地蔵→有清園の庭

阿弥陀如来一行、来迎の図
釈迦の入滅後2000年経てば末法の世に突入するという末法思想が吹き荒れた平安後期に、往生極楽院は建立された。本尊は中央の阿弥陀如来で、右に観音菩薩、左に勢子菩薩の脇士を従える。この2体の脇士は、俗に大和座り (正座) をしており、まさに今からお迎えに行きますよ、とでも言わんばかりに立ち上がろうとしている。また、背後の種子曼荼羅、天井の天女の絵など、四方は極楽浄土のイメージで占められている。
往生極楽院
往生極楽院
阿弥陀如来三尊坐像
阿弥陀如来三尊坐像

明治画壇の奉納美術
三千院は明治時代に公収され、梶井門跡の本坊が大原に移された。宸殿や客殿の襖絵には明治画壇の巨匠の作品を見ることが出来る。なかでも、下村観山筆の「虹の間」は部屋の隅から隅までをキャンパスに見立てた豪快な構図が素晴らしい。また、中国天台山国清寺の碑の拓本からとった王義之筆による「鷲」の文字も素晴らしい迫力。

下村観山筆「虹の間」
下村観山筆「虹の間」
王義之筆の碑の拓本
王義之筆の碑の拓本
top