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平等院
■所在地 京都府宇治市宇治蓮華116 ■tel 0774-21-2861   ■拝観料 600円 (鳳凰堂は別途300円) ■拝観時間 入園/8:30-17:30 ミュージアム/9:00-16:45 鳳凰堂/9:30-16:10 ■HP http://www.byodoin.or.jp/ ■アクセス JR奈良線宇治駅下車徒歩15分、京阪電鉄宇治線宇治駅下車徒歩10分 ■本尊 阿弥陀如来像 ■宗派 浄土宗 ■建築 鳳凰堂、観音堂、藤棚、阿字池、浄土院、不動堂、最勝院、他多数 ■宝物 阿弥陀如来坐像、雲中供養菩薩像、他多数 
平安の極楽浄土体験パーク
ときの権力者、関白藤原道長が左大臣源重信の婦人から譲り受けた別業をその子頼通が、永承7年 (1052年) にこれを仏寺に改め、平等院とした。永承7年は末法の初年にあたるとされ、世の中が終焉するという末法思想が流行し、極楽往生を願う浄土信仰が社会の各層に広く流行していた。藤原頼通は、「死んだら浄土へ」と切なる願いを込めて別荘を寺とし、曼荼羅図や教典を参考にして、なんと極楽浄土を再現してしまった。それが、この、平等院である。天喜元年 (1053年) には平等院の阿弥陀堂 (鳳凰堂) が落成し、天才仏師・定朝の唯一の遺作である国宝阿弥陀如来坐像を安置、華やかさを極めたといわれている。以降、約千年前に建立された建造物や仏像が今に伝えられ、世界遺産にも登録されている。
平等院
1.鳳凰堂 平安時代後期、天喜元年 (1053年) に、時の関白藤原頼通によって、平等院に建立された阿弥陀堂。華やかな藤原摂関時代をしのぶことの出来るほとんど唯一の遺構として、このうえなく貴重な建築である。
2.阿字池(ajiike) 阿とは梵語で不生不滅を意味する言葉である。したがって、阿字池は、永遠の象徴、すなわち極楽浄土の池ということになる。
3.鳳翔館 鳳凰堂なの52躯の雲中供養菩薩像のうち、26躯はこちらに浮遊している。楽器を奏で、舞い踊り、極楽の楽園ぶりをアピールしている。
4.不動堂 不動明王を本尊とする最勝院の本堂。最勝院が天台修験宗を極める聖護院末であるところから、役小角の像が祀られている。隣接する地蔵堂は地蔵菩薩座像を祀った小堂。
5.最勝院 平等院塔頭二ヶ寺のひとつで天台宗寺門派聖護院末。その歴史は比較的新しく、承応3年 (1654年) 、京都東洞院六角勝仙院の僧が平等院に移り、その住庵を最勝院と呼んだことにはじまる。中世末以来、平等院と疎遠になっていた天台宗が復帰した。
6.藤棚 樹齢200年の藤。約300平方メートルの藤棚から、地面に着かんばかりに、幾千もの花房が垂れ下がる美しさは見事。見頃は4月末から5月初旬。
7.観音堂 かつて、平等院と宇治川とは繋がっていて、この建物は貴族が釣りを楽しんだところと伝えられている。今は、藤原時代の十一面観音立像を安置。
8.扇の芝 源頼政が自害した場所と伝えられている。「埋もれ木の花さくこともなかりしに身のなるはてぞあわれなりける」の辞世の歌碑も建つ。
平等院

(左から時計まわりに)鳳凰堂を象徴する、屋根の鳳凰→最勝院→国宝・阿弥陀如来坐像→不動堂→雲中供養菩薩像・南1号

平安の涅槃
鳳凰堂のまえに広がる阿字池は、近年、発掘調査が行われて、平安当時に存在した境内の北側から鳳凰堂へ続くふたつの橋が復元された。さらに驚くべきことに、池に生える蓮は、発掘中に見つかった江戸時代の種から育てられたもので、平安当時にも咲いていたものと考えられている。つまり、貴族たちが見た涅槃の風景がそのまま広がっているというわけだ。なお、池の周囲の小石の州浜は、当時、宇治川まで敷かれていたとも言われている。
浄土庭園
浄土庭園
平等院蓮
平等院蓮

平等院にもある源氏ゆかりの地
源義経の悲劇のプロローグは、平等院にある。後白河法王の皇子・以仁王を擁して平家討伐ののろしを上げた源頼政は、80歳に近い老兵だったこともあって、平等院に陣を構えて決戦に挑むも、あえなく敗退した。境内で自害したと伝えられる場所が、扇の要である。しかし、のちに、身体は見つかったが首はどこにも見当たらなかったというミステリアスな話も残されている。それはともかく、この事件が契機となり、源頼朝が挙兵し、義経もこれにしたがうことになる。

扇の芝
扇の芝
源頼政の墓
源頼政の墓
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