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銀閣(慈照寺)
■所在地 京都市左京区銀閣寺町2 ■tel 075-771-5725 (本殿、東求堂、書院の拝観は要予約)   ■拝観料 500円 ■拝観時間 8:30-17:00 (3月15日-11月30日) 9:00-16:30 (12月1日-3月14日) ■HP http://www.shokoku-ji.or.jp/ginkakuji/ ■アクセス 市バス (系統5,17,32,100,203) 銀閣寺道バス停下車徒歩10分 ■本尊 釈迦牟尼仏 ■宗派 臨済宗相国寺派 ■建築 観音殿 (銀閣) 、本堂(方丈)、東求堂、お茶の井、向月台、銀沙灘、錦鏡池、禅の庭、枯山水、他 ■宝物 池大雅作襖絵「琴棋書画図」、与謝蕪村作襖絵「棕欄咫咫図」、他多数
浮世から逃避した文化人将軍の生きざま
足利幕府八代将軍、足利義政。将軍職を譲ったあとにこの東山殿に隠棲し、和歌や蹴鞠、茶道ともっぱら風流な遊びに打ち込み、武士とは思えない人生を歩んだ。ちまたでは飢えや疫病に苦しむ民で溢れるなか、一向の政治に向き合おうとしなかった彼を虚仮にする人も多い。
しかしながら、向月台や銀沙灘などの一風変わったオブジェを庭に配置したり、東求堂の茶室「同仁斎」の床の間に、庭の景色が掛け軸に見える長窓を設けるなど、斬新な美的感覚をこの銀閣寺で爆発させたそのセンスは、評価されてもいい。一般には金閣寺の北山文化の華やかさに比べて、ここ銀閣寺は東山文化のわび・さびの世界を漂わせていると言われているが、向月台や銀沙灘などは、そうした言葉では説明出来ない、日本の美術史上に燦然と輝くエポック・メイキングな作品である。
なお、銀閣寺は、義政の死後、彼の遺言により臨済宗相国寺派の寺に改められ慈照寺となった。
1.銀沙灘 日本美術史上に残る前代未聞のオブジェ。花崗岩が風化した白川砂を使い、湖面には波打つさざ波が表現されている。なお、中国杭州の西湖を模したとの説があるが、定かではない。
2.本堂(方丈) 江戸時代中期再建のもので、方丈を兼ねた本堂。襖絵は池大雅の「琴棋書図画」や与謝蕪村の「棕欄咫咫図」など。
3.東求堂 義政が持仏堂として建立。「東方の人、仏を念じて西方を生まれんことを求む」の法語から西方極楽浄土への願いを込めて義政が命名した。
4.観音殿(銀閣) 階下は住宅書院風の造りで「心空殿」、上階は唐様式の禅宗仏殿風で「湖音殿」と呼ぶ。室町時代の作で、国宝。銀の塗装話は諸説入り乱れており、真偽が定まっていない。ただし、建築当時は一面に漆が塗られていた。二層部分の上層に白くなったその跡が残っている。
5.向月台 この場所には、月待山に顔を出す月を眺めるための、櫓が組まれている。庭の樹々を照らし、池に反射する月光を浴び、自然との一体感を味わうことが出来る。
6.お茶の井 上方の庭先にあり、義政がお茶に使ったとされる湧き水「相君泉」。現在も湧出していて、茶会にも使われている。
7.月待山 境内の真東に横たわる山。陽が暮れる頃、この頂に月がぽっかりと顔を出す。
8.錦鏡池 観音殿の前から東求堂の南へくの字型に伸びた池。祖父義満の金閣寺の鏡湖池に倣い、池中に島や豪族からもらった庭石を置いている。
高台寺
(左から時計まわりに)
月に照らされる向月台→錦鏡池と東求堂→池泉廻遊式庭園→夢窓疎石の西芳寺の庭を手本とした苔の庭→現存する日本最古の茶室、東求堂の茶室「同仁斎」→銀沙灘
果たして銀色計画は?
金閣寺は金色なのに、銀閣寺はなぜ銀色ではないのか。これが、もっとも一般的に漠然と思われている謎ではないだろうか?祖父義満の表現した極楽浄土の世界に憧れて、金閣寺と対角にあるこの池に模倣御殿を築いた義政は、当初、銀箔を貼る予定があったとの説もある。幕府に財力がなく完成しなかったなどとも言われているが、今となっては資料も残っておらず、正確なところは謎なのだ。金閣寺同様、箔を貼る前工程の漆が塗られていたことだけはわかっている。
銀閣寺の庭は夢窓疎石の作庭した西芳寺を手本とし、上下二段からなる禅の庭である。苔の緑をはじめ、常緑の松や緑光にきらめく池のほとりに、漆黒の観音堂が静かに佇む姿を眺めていると、あえて塗らなかったと言われる説も、案外真実なのでは、と、思えてくる。
苔の庭
苔の庭
苔見本が展示してある
苔見本が展示してある

もうひとつの茶道の原点
東求堂の内部には、南に仏間と東四畳の部屋があり、北側には西六畳と同仁斎、北書院の3つの部屋がある。同仁斎は東求堂の庭側、錦鏡池に面しており、そこには細長い障子窓をこしらえた床の間があって、障子を開けると庭の池、庭石、樹々をあたかも一枚の軸絵のように見ることが出来る。義政はこの風情を堪能しながら、茶の湯に親しんだに違いない。そんないわれから、この、同仁斎が四畳半であったことから、四畳半茶室の元祖と言われている。
それともうひとつ、本堂と東求堂のあいだの坪庭に置かれている、江戸時代作の手水鉢にも注目したい。石彫部分が僧侶の袈裟のようであることから、茶道界では、銀閣寺型手水鉢として有名であり、よく模されている。

銀閣寺の手水鉢
銀閣寺の手水鉢
それをデザイン化したもの
それをデザイン化したもの
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