Luis presents! DEEP KYOTO 2004 all right reserved
Google
高台寺
■所在地 京都市東山区高台寺下河原町526 ■tel 075-561-9966   ■拝観料 600円 (高台寺、掌美術館、圓得院共通券は900円)、夜間拝観特別拝観料:600円 ■拝観時間 9:00-17:00 (3月11日-5月5日、10月21日-12月4日の夜間拝観時は9:00-17:00と19:00-21:30) ■HP http://www.kodaiji.com/ ■アクセス 市バス ( 系統100、206,207、D1、D2) 東山安井下車徒歩5分 ■本尊 釈迦如来像 ■宗派 臨済宗建仁寺派 ■建築 観月台、庭園、臥龍池、中門、臥龍廊、霊屋、方丈、方丈前庭、雲居庵、時雨亭、傘亭、勅使門、唐門、書院、湖月庵、鬼瓦亭、ねねの道、遺芳庵、他多数 ■宝物 高台院像、弓箴善疆賛豊臣秀吉像、宇喜多一惠筆木下長嘯子像、狩野孝信筆唐人物・花鳥図衝立、三十三観音像、他多数
秀吉の養母を生涯愛し弔い続けた、ねねの眠る寺
高台寺は、太閤秀吉の妻、北政所ねねの墓があるところである。相次いで亡くなった秀吉と養母を弔うために、ねねが出家し、秀吉が眠る東山の峰のひとつの麓に建てた寺である。工事を全面的に担当したのは、徳川家で、慶長10年 (1605年) 、酒井忠世・土井利勝を高台寺造営御用掛、京都所司代板倉勝重を普請奉行、堀監物直政を普請掛に任じ、財を惜しまず協力したといわれている。北政所の存在は、徳川家康にとって非常に大切な存在であったのだろう。福島正則・加藤清正・浅野長政等の北政所にとって子飼いの大名たちも働いた。寺町から康徳寺の移転が完了し、伏見城から化粧御殿と前庭 (現在の圓徳院) の移転が整い、北政所は化粧御殿に移り住む。以後、北政所はこの地に76歳で没するまで住み、明けて慶長11年 (1606年) 、鷲峰山高台寺が落慶した。
高台寺
1.方丈前庭 禅宗式の白砂のみの枯山水の庭。方丈が解放されているので、縁側に座りながら、ぼーっと眺めることが出来る。夜間拝観時のライトアップは毎回演出に工夫が凝らされている。
2.開山堂 建仁寺から迎えた高台寺初代の住職を祀っている。天井の豪華さは目をみはるものがあり、漆塗りの黒格子に金箔を嵌め込んである。
3.観月台 北政所が小堀遠州作の庭と名月を眺めたであろう場所。池にかかる回廊にある桧皮葺の四本柱の建物。
4.霊屋(otamaya) ねねの墓所。厨子など内部の装飾は高台寺蒔絵といわれ、漆黒に金の蒔絵を施した優雅なものとなっている。
5.臥龍池 紅葉の錦が周囲を彩る、京都でももっとも有名な池。昨今は幻想的なライトアップが美しい。
6.傘亭・時雨亭 千利休がデザインした珍しいかたちの茶室が境内の一番奥に並んで佇む。いずれも伏見城の遺構とされている。
高台寺
(左から時計まわりに)ライトアップされ、演出された方丈前庭→臥龍廊→高台院像→開山堂
禅三昧で病に伏した尼僧の霊廟
秀吉が眠る阿弥陀ヶ峰の廟堂にほど近いこの境内に、ねね自らが終の住処に準備した廟堂が霊屋。秀吉とねねの木像が並び、高台院の木像の下にはねねが埋葬されている。20年近くも秀吉や養父の菩提を弔う禅三昧の日々を過ごしたねねは、76歳で、この地で病死した。
霊屋に安置されたねねの位牌
霊屋に安置されたねねの位牌
高台時蒔絵
高台時蒔絵
千利休デザインの珍しい茶室
徳川家康は政治的な策略から高台寺に多大な援助をし、建物は壮麗を極めた。しかし、1789年にその大半が焼失、かろうじて開山堂と零屋などが残った。境内最奥にある二軒の茶室も焼けずに残っている。いずれも千利休の意匠による建物。傘亭は、傘のような放射状の竹垂木が特徴である。舟で出入り可能な跳ね上がり式の入口がついている。時雨亭は、茶室には珍しい二階建ての建物。外付けの階段を上がった部屋は柱だけで壁がなく、開け放たれた空間で自然と一体感を味わいやすい。いずれも、利休の自由奔放な発想と茶室に追及するわびさびの妙が折り込まれている。
傘亭
傘亭
時雨亭
時雨亭
top