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清水寺
■所在地 京都市東山区清水1 ■tel 075-551-1234   ■拝観料 300円 ■拝観時間 6:00-18:00 ■HP http://www.kiyomizudera.or.jp/ ■アクセス 市バス ( 系統100、206,207、D1、D2) 東山安井下車徒歩5分 ■本尊 十一面千手観音 ■宗派 北法相宗 ■建築 本堂、仁王門、三重塔、成就院庭園、奥の院、轟門、経堂、中興堂、朝倉堂、開山堂、他多数 ■宝物 十一面千手観音、二十八部衆、仁王像、二天像、毘沙門天立像、観世音立像、至勢菩薩立像、大日如来坐像、阿弥陀如来坐像、釈迦如来坐像、他多数 
平安以来の選ばれし一大観音道場
宝亀9年 (778年) 、延鎮上人の開創で、崖のうえに仏堂を建立したのは、平安の征夷大将軍・坂上田村麻呂。清水の舞台は、このときに出来た。また、田村麻呂が蝦夷地へ赴いたとき、観音の化身である毘沙門天と地蔵菩薩が守護したといい、田村麻呂はお礼に十一面千手観音像と毘沙門天像、地蔵菩薩像を奉納した。
霊験あらかたなり、と清少納言、紫式部、関白藤原道長らがこぞって参拝した当時、すでに門前市が賑わっていたという。源義経の母、常磐御前も観音信者で、平家に追われて奈良へ逃れる際に清水寺に身を隠し、一泊したといわれている。
清水寺 1.本堂 現在の本堂は寛永10年 (1633年) 、徳川家光が再建したもの。音羽山の険しい崖に張り出す舞台とともに、国宝に指定されている。平安時代の後期、藤原成道が舞台の欄干の上を靴を履いて鞠を蹴りながら往復したエピソードが 残っている。
2.奥の院 奥の院の南廊下側、奥まったところに夜叉神堂がある。夜叉は、悪鬼から釈迦に帰依して仏法の守護神となったもので、清水寺の東南を守護している。じつは、縁切りの神さまでもある。
3.轟門 徳川家光が再建したものがそのまま残っている。轟門のまえには、水がないのに轟橋がかかっているが、下に手水鉢の水を流すため。聖地への架け橋という役目も果たしている。
4.随求堂 本尊の随求菩薩は大悲母といわれ、その胎内に見立てた真っ暗な堂内を数珠を頼りに歩く胎内巡りが体験出来る。
5.三重塔 漆塗り極彩色の外観がひときわ華麗な三重塔。後嵯峨天皇が清水寺に皇子の生誕を祈願し、霊験あらたかだったので、後嵯峨天皇の弟、葛井王 (kadoi-ou) が寄進した。
6.仁王門 その色から赤門とも呼ばれている。阿吽の仁王を安置している。
7.子安の塔 清水寺草創以前、聖武天皇と光明天皇が建立した。のちに孝謙天皇が無事に生まれたこともあり、子宝、安産の信仰を集めてきた。この塔から舞台の全景が望めるため、絶好の撮影スポットになっている。
清水寺
(左上から時計まわりに)仁王門→三重塔→音羽の滝→国宝十一面千手観音→成就院庭園→フクロウの手水鉢
舞台よもやま
清水の舞台でもっとも有名なエピソードは、牛若丸が弁慶に飛びかかる有名なシーン。一般には五条大橋での出来事といわれているが、実際は清水の舞台での出来事だと、「義経記」には書かれている。
次には、江戸時代の中期、僧侶を悩ませた出来事として、観音浄土への往生を願い、舞台から飛び降りる人が現れたこと。清水の舞台から飛び降りる、の、諺の語源がこれ。明治5年には京都府が飛び降り禁止令を出したほどだ。
本堂内々陣には、国宝の厨子に、十一面千手観音立像、向かって左に地蔵菩薩立像、右に毘沙門天立像を安置。いずれも33年に一度のご開帳。これ以外に、江戸時代に奉納されたたくさんの絵馬がある。
毘沙門天立像
毘沙門天立像
絵馬末吉船図
絵馬末吉船図
仁王門の見どころ
まず仁王門の左手には、首振り地蔵。また、むかし、武士などが観音さまに参拝するために馬を繋ぎ止めておく馬柱が立つ。これは室町後期の再建で、現存する貴重な遺構として重要文化財となっている。門をくぐれば左手に鐘楼。その西側の小さな築山は鹿間塚といわれ、坂上田村麻呂が音羽山で鹿狩りをしたとき、開山の延鎮上人に折衝の非を諭され、鹿を葬り供養した跡と伝えられる。また、仁王門には仏法や伽藍の守護神である阿吽の仁王像が安置されている。また、ここの狛犬は阿吽ではなく、両方とも口を開けた阿阿。これは、中国から伝わってきた当初の姿である。
阿形
阿形
吽形
吽形
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