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延暦寺
■所在地 滋賀県大津市坂本本町4220 ■tel 077-578-0001   ■拝観料 550円 ■拝観時間 8:30-16:30 ■HP http://www.hieizan.or.jp/ ■アクセス 叡山ケーブル延暦寺駅下車スグ ■本尊 薬師如来像 ■宗派 天台宗 ■建築 東塔根本中堂 、東塔大講堂、西塔担い堂、西塔瑠璃塔、横川四季講堂、文殊楼、他多数 ■宝物 五大明王立像、千手観音立像、釈迦如来立像、四天王立像、聖観音像、文殊菩薩像、阿弥陀如来立像、吉祥天像、大黒天立像、護摩居士坐像、山王霊験記、伝教大師将来目録、七条刺納袈裟、天台法華宗年分録記、嵯峨天皇辰翰光定戒牒、伝教大師入唐牒の文書五点、他多数
宗派宗教を超えた仏陀の母なる山
山号は比叡山、全山に広大な寺域を持ち、東塔・西塔・横川 (yokawa) ・十六谷を擁し、これらを綜合して延暦寺という。
最盛期には三千もの堂宇を持った日本最大級のスケールを誇る大寺院であり、なかでも東塔の根本中堂・西塔の釈迦堂・横川の横川中堂は三大堂と呼ばれて延暦寺の中核を成し、特に1200年にわたる不滅の法燈を燈す、国宝・根本中堂は徳川家光の再建で外陣・中陣・内陣にわかれ、内陣の宮殿には秘仏とされる薬師如来が安置されている。
宗祖は伝教大師最澄。785年、現在の根本中堂のあたりに一乗止観院と名乗る庵を建て、自身が信仰する薬師如来を安置した。
804年、空海とともに入唐し、天台知? (tendai-chigi) より7代目の道邃 (dousui) に学び、天台法華宗を興す。823年には詔を受け、年号にちなんだ延暦寺と名乗ることを許された。
しかし、延暦寺の全盛期を構築したのは円仁 (三代天台座主) ・円珍 (第五代天台座主) であり、真言宗との対抗上、密教色を強めて日本仏教界の最大勢力となる。この後、武力・財力を備え政治をも動かす権力機構に変貌してゆく。室町幕府の時代になると、南朝をバックアップしたことなどもあり荘園を減らされ、さらに織田信長に全山焼き討ちに遭うが、秀吉・家康の援助で復興を果たす。
10世期末頃に慈覚大師、円仁派宗徒と智証大師、円珍派宗徒の対立が激化し、円珍派は三井寺 (園城寺) を拠点として寺門派を形成する。信長の焼き討ちで堂宇・寺宝多数を失うが、現在に於いても多くの文化財を残しており、堂宇も現在は三塔十六谷に七十余を持つ。
また延暦寺は多くの人材を輩出し、浄土宗・浄土真宗・真宗・臨在宗・曹洞宗・日蓮宗など鎌倉仏教の基点ともなった。
1.西塔瑠璃堂 山の奥深くに佇み、延暦寺境内に数ある堂塔のなかでも、唯一、信長焼き討ちの難から逃れた古堂。
2.西塔担い堂 法華堂、常行堂のふたつの堂で構成され、いずれも修行のためのお堂である。弁慶が渡し廊下を肩に担ぎ上げ、お堂を持ち上げたという伝説が残っている。
3.東塔根本中堂 伝授大師開山の志を受け継ぐ、延暦寺の中心的建物。開山より1200年以上、今なお灯り続ける不滅の法灯が有名。厨子正面には昭和天皇筆の「伝授」の額がかかる。
4.東塔大講堂 僧が教典について問答や議論をかわした講堂。これも重要な修行のひとつである。


延暦寺

(左から時計まわりに)荒々しい木の根道→本殿金堂→義経公背比べ石→鞍馬山に棲むと言われる天狗

人材育成の根本道場
根本中堂に灯る「不滅の法灯」は、「油断大敵」の語源ともなった1200年ものあいだ灯り続けている火である。うっかり油を絶やさないように、日々心して修行に励めという、大師の教えである。それを実践するべく、僧侶たちは、日々、三昧行に打ち込んでいる。伝授大師の祖廟の庭を12年間きれいに掃き続ける掃除地獄や、1日30kmを3年間歩き続ける回峯地獄などがあり、満行すれば阿闍梨として尊称される。真言密教では、阿闍梨は最高位である。
なお、現在の根本中堂の伽藍は、徳川家光が再建したもので、その際、各大名が花の天井画を贈り、現在も根本中堂の伽藍の天井を飾っている。
不滅の法灯
不滅の法灯
大講堂内
大講堂内

おみくじ発祥の地
厄除大師として信仰を集める元三大師は、延暦寺第18代天台座主・慈恵大師こと良源その人である。正月三日に亡くなり、入滅したことが元三の由来となっている。生前は伽藍の修復や僧侶の教育に尽力した。また、判断に悩む天皇や民衆がこぞって大師から「みくじ」 (アドバイス) をもらい、後世の修行僧や民衆に慕われ、角大師、鬼大師など、数々の異名をとっている。経を唱え、自らを魔物や鬼の姿に変えて、頼ってくる人々を厄災から護ってくれたのだ。

第18代天台座主慈恵大師こと良源
第18代天台座主慈恵大師こと良源
良源の住居跡、横川四季講堂
良源の住居跡、横川四季講堂
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