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大阪市の北区をグルグルめぐるブログ

 
 

大阪市の北区をグルグルめぐるブログ
(2009年以前)

かかわっていること
つひまぶ

大阪・キタには、知られていない魅力がたくさんあります。
キタで働いている人、キタが好きで遊びに来る人、キタに住んでいる人が、「キタってね、こんな素敵なものがあるんだよ」と、友だちに伝えたくなるような、そんな魅力を発信します。
毎号テーマを絞り、キタの重要な魅力資源であるヒトに主に焦点を当て、ヒトの口から直接語られた情報を掲載することで、キタのオーラルヒストリーを積み重ねるのが、つひまぶの使命です。

大阪・キタは一見、人間関係が希薄で無機質な都会に見えますが、地べたに視線を落とすと、じつは人と人との見えざるネットワークが網の目のように張り巡らされており、まちを下支えしています。キタは、じつは、しがらみのかたまりなのです。
そんなキタの魅力資源であるヒトを通じて、キタの魅力を伝えるのが「つひまぶ」です。

紙媒体にこだわり、テキストがてんこ盛りで読み応えたっぷりで、無愛想な誌面デザインのつひまぶは、年2回(5月・11月)発行。キタの公共施設、地域コミュニティ会館、図書館、書店にて配架しています。また、pdfによるweb版でもご覧いただけます。

TJWK関西

東日本大震災が発災した年、いても立ってもいられずにひとりのニットアーティストが立ち上がりました。ニットアーティストのatricotと広報屋の僕がタッグを組んで、2011年5月1日、発災から50日後にTJWK関西を開始しました。
大好きな編みものをすることが震災遺児の支援につながる…、そんなふうにして、べき論だけでなく「好き」なことを組み合わせて、長く続けられる仕組みをつくりました。
「Think Of JAPAN While Knitting」とは、編みものをしている間、日本を、被災地を、震災遺児を想おう、というものです。一日の数分を日常に溶けこまして、そんな時間に費やし、完成まで時間がかかるというニットのスピード感のなさを逆手にとって、長く続けられるものに転化させ、続けています。
誰かの支援をしているようで、この活動を続けている私たちこそが救われています。
ニットが好きな人たちのネットワークを使って、小さな力を集めて、実りのあるものにしていきたいと思っています。

キタ歓楽街環境浄化推進協議会

メガロポリス「梅田」の南側、歓楽街を抱える北野・曽根崎地域には多くの人であふれかえるのだけど、住民が少なく、都会の限界集落と呼ばれています。
とはいえ日本でも有数の歓楽街ゆえ、地道な防犯活動は必須です。でも、住民だけは活動をまかないきれない。そこで、梅田で仕事をしている人、遊びに来る人、梅田が好きな人たちなど関係住民を巻き込み、商店街や業界団体も巻き込んで、防犯活動を担っています。
迷惑駐輪、違法客引き、違法風俗店、立ちんぼ、違法看板、落書き、まちネコ…、主に防犯とはいえ、活動は多岐にわたります。
酔っ払いなどとも対峙しなければならない防犯活動は、ときに心が折れそうになることもあるのだけど、なるべく歓びを見つけて、楽しいことと組み合わせて、気分よく参加できるものになるよう、心がけています。

中崎町キャンドルナイト

中崎町キャンドルナイトは、2009年(平成21年)に第1回目が開催されました。
すでに学校統合で廃校となっていた元 済美小学校校舎が取り壊しと決まったときに、思い出づくりとして、済美地域で企画されたものです。
済美の名前は教育勅語の中の文書「世世厥ノ美ヲ濟セルハ」からとられた由緒あるもので、元 済美小学校もまた、歴史のある小学校です。
1916年(大正5年)大阪市第三北野尋常小学校として創立
1920年(大正9年)校名を済美第五尋常小学校に改称
1941年(昭和16年)校名を大阪市済美国民学校に改称
1947年(昭和22年)校名を大阪市立済美小学校と改称
2004年(平成16年)児童減少を理由に廃校
1930年(昭和5年)に建てられた校舎は、窓枠や門に丸みを帯びた意匠がふんだんに使われた、モダンなものでした。学校統合で廃校となったあとは、地域のコミュニティホールとして利用されていました。
その後、耐震構造の問題から解体が決定されましたが、歴史があり、卒業生を数多く輩出した学校の消滅を惜しむ声は多く、解体前に最後の思い出として企画されたのが、中崎町キャンドルナイトでした。

キャンドルを入れるガラスびんやペットボトルの収集を、町会の回覧板で呼びかけるところからはじめた、手づくりのイベントでした。
2009年(平成21年)12月10日、第1回目の中崎町キャンドルナイト当日、小学校の校庭と校舎の回廊に並んだガラスびんやペットボトルの中のキャンドルが点灯されると、思い出のたくさん詰まった校舎はユラユラと揺れるキャンドルの灯に包まれて、あまりの美しさに誰もが感動を覚えました。
いかにも、地域が手弁当手づくりでやりました、というキャンドルナイトです。潤沢な資金がかけられるわけではないことを逆手にとった、素朴で、ほっこりとした、暗闇のなかでキャンドルの灯りを楽しむ、本来的な意味でのキャンドルナイトでした。
一番目立つ場所には、キャンドルを灯したガラスびんが「ありがとう」の文字に並べられました。なくなってしまう元 済美小学校校舎への惜別の思い。そんな思いが込められたキャンドルナイトなのでした。

その後、元 済美小学校校舎は解体され、1年後には中崎町ホールが誕生します。
そして、この中崎町ホールの誕生を機に、中崎町キャンドルナイトが復活します。
じつは、中崎町キャンドルナイトは、当初は、恒例化して毎年の行事とすることは、考えられていませんでした。あくまで、一回きりの、「さよなら校舎」の行事として企画されたものです。
しかし、子どもたちが絵付けをしてくれたガラスびんは、立派な作品です。キャンドルナイトが終わったからといって、これらを捨てることができるでしょうか? そんな思いが、一回きりだったはずの中崎町キャンドルナイトを年中行事へと進化させたのでした。潤沢な資金を注ぎ込むのではなく、血の通いや思いがたくさん注ぎ込まれているのが、中崎町キャンドルナイトなのです。

今では、済美地域には夏に済美カーニバルがあり、中崎町キャンドルナイトは、夏のカーニバルと対をなす冬のイベントとして定着しています。

仏像をめぐるぐるりのこと

神社仏閣めぐりをかれこれ28年ほど続けています。京都や奈良の神社仏閣で拝観できるところはほぼすべて網羅していると思います。
といっても、たとえば京都市内だと、正式に登録されている神社が約800、寺院が約1,700と言われています。そのうち一般に門戸が開かれ、参詣させてくれるところは、神社はほぼすべて、寺院では500前後です。
さて、神社は全国で約8万8,000あります。寺院は7万7,000。併せると約16万5,000。全国のコンビニの総数が約5万5,000なので、神社仏閣の数がいかに多いのかが分かります。これにお地蔵さんを祀っている路傍の祠や道祖神、お稲荷さんなどを加えると、どれくらいの総数になるのか、ちょっと想像がつきません。
一般に、自宅から徒歩5分前後に1ヶ所、神社仏閣ないしお地蔵さんの祠やお稲荷さんがあるかもしれません。それくらい、とんでもない。
余談ですが、都道府県別に見ると、全国で神社が最も多い県は新潟県で約5,000。寺院のトップは愛知県の約5,000です。

子ども時代に神社や寺院の境内で遊んだことのある日本人は多いのではないでしょうか。神社や寺院は、現世(此岸)で生きる人々にとって彼岸への入口であり、通路でもあります。これが現代でも現実に脈々と生き続けている。やはり多くの日本人はカミ・ホトケと無自覚ながら確実につながっているのだと言えると思います。
したがって、神社の神さんや自社の仏さんを真ん中に据えた物語も、じつにたくさんあります。人の口の端にのぼり、書物にしたためられた物語は文化そのものです。
そうしたものを拾い集めて、お話しています。説法などというえらそうなものではなく、あくまで、ナラティブな物語の紹介としてのお話をしています。

ファミリーヒストリーをめぐる

ひょんなことから、自分のファミリーヒストリーをめぐっています。
具体的には両親をスタートにしてご先祖様の戸籍謄本を遡れるまで遡って取得します。
これまでは戸籍謄本は、本籍のある市町村へ出向くか郵送してもらう必要がありましたが、2024年3月からは、最寄の役所で取得できるようになりました。(自分の直系のみ)
僕は戸籍謄本を5代前まで遡ることができました。曽々々祖父が生まれたのは幕末、ペリーが浦賀に来航する前、大塩平八郎の乱が起こった年です。戸籍謄本で、そこまで遡ることができました。
さらに、戸籍謄本は遡れば手書きのものが多く、達筆すぎて読めないものやカスレなど、判読に時間のかかるものがいくつもあります。しかし、丁寧に読み込んでいくと、大抵は判読できるようになります。
そうやって戸籍を紐解いていくだけで、じつにたくさんの知らなかった事実が出てきます。隠し子、養子、離縁、再婚…、意外な事実に出くわすことも多々あります。
戸籍謄本を元に、本籍地のあった場所を訪れ、その場所の歴史を調べ、祖父や曽祖父がどのような時代をどのように生きたのかをリアルにさぐり、自分のアイデンティティを探っています。
調べれば調べるほど意外な事実が見つかり、同時に、この家系のDNAが自分にも受け継がれているのだなと思えてきます。

また、ファミリーヒストリーをめぐることで、その当時の歴史的な事実をリアリティを持ってとらえることができ、歴史を見る解像度が一気に上がります。世界史であれ日本史であれ、自分史の中に歴史を刻むことができるようになります。歴史の中に自分を置くのではなく、自分史の中に歴史を刻むことができるのがポイントです。

大阪・キタをめぐる

北区の魅力発信フリーペーパー「つひまぶ」の編集制作を通じて大阪・キタを見続けてきました。
明治7年に大阪・神戸間に鉄道が開通し、初代の大阪駅が梅田に置かれたとき、大阪・キタの歴史ははじまりました。(もちろん、それ以前の大阪・キタの歴史がないわけではありません)
以来、大阪・キタは大阪の玄関口であり続けています。ミナミが大阪の座敷・奥座敷ならキタは玄関口です。玄関には出ていく人と入ってくる人の往来があり、すれちがいがあり、それゆえの物語が生まれます。
そんな物語を、誌面だけでなく、みんなで実際に歩いて、伝えていきたいと思っています。
今後の自分の活動に「まち歩き」を加えたいと計画しています。僕にしかできない「まち歩き」をしたいと思っています。

できること
コピー・執筆

「キャッチコピー」と「本文」は、前者が短いフレーズで、後者が過不足ないボリュームのテキストと、それぞれの見た目は違いますが、伝えようとしていることは同じです。表現のスタイルが違うのと同時に、役割が違います。
前者は見る人の目を引くためのアイキャッチで、後者は目を向けてくれた人に納得してもらえるようなものをじっくりと伝える役割を担っています。

このように、「キャッチコピー」と「本文」は違うものですが、広告制作や打ち合わせの現場では、「キャッチフレーズ」「ショルダー」「ヘッドライン」「見出し」「ボディ」といった言葉がひんぱんに飛び交います。大まかには意味は分かるのだけど、たとえば「キャッチフレーズとキャッチコピーって、違うの?」「ヘッドラインってよく言っちゃうけど、何のこと?」といった疑問は、実際には放置されたまま、話が先に進んでいく場合があります。
どの部分がどんな役割を担っているのかが明確になると、その後の広告制作でお客さまと制作者のあいだで齟齬が起こりにくくなり、おなじゴールを共有でき、納得のいく結果にアクセスしやすくなります。

5W1H、つまり5つのWである「When(いつ)」「Where(どこで)」「Who(だれが)」「What(何を)」「Why(なぜ)」と、1つのH「How(どのように)」を常に意識し、ひとつひとつを明確にしておくことで、雰囲気に流されない仕事を心がけています。

また、雑誌記事においては、情緒に流されることなく、論理の飛躍や渋滞を起こすことなく、ていねいに言葉を積み上げ、なによりも分かりやすいテキストを書くことを心がけています。

紙面デザイン

広告とは、「商品の知名度を上げたい」「優秀な人材を採用したい」「売り上げを上げたい」「社内外で理念を共有したい」など、お客さまが抱えている問題を広告の側面から解決するための手段のひとつです。
そのためには、業界環境を理解し、お客さまの組織を理解し、お客さまの抱える問題を理解し、なにを訴求し、どのような道筋で解決に向かっていくのかを整理する必要があります。
さまざまな事象の断片が散らばっている状態を整理し、必要なものを紙面に落とし込んでいく論理的な作業を「デザイン」と呼びます。
デザインは、絵を描く、あるいは装飾をする、といったことではなく、「論理的に組み立てる」ことです。言いかたを変えると、「整理整頓する」と言えるかもしれません。
ぐちゃぐちゃになった机の引き出しの中を整理し、断捨離をし、不足しているものを補充し、使いやすく整理することが「デザイン」です。

さらに「整理整頓」だけでなく、ヒトの感情に訴えるものである必要もあります。デザインとは「理性」と「感情」が入り混じったものです。どちらかだけではなく、どちらも必要です。

整理整頓から取りかかり、最後には感情に訴えるものを加味することで、お客さまが伝えたいものが効率よく伝わる「デザイン」を心がけています。

webサイト作成

HPは、企業にとっての会社案内のようなもの。お店のHPであっても、メニューだけを載せるというわけにはいきません。理念があり、営業時間があり、ジャンル別のメニューがあり、交通アクセス情報があり、場合によっては通販があり、さらには日々の様子やお得情報を伝えるsnsもあります。
つまり、一点突破型ではなく、お客さまの丸ごとをお伝えするケースが多いのがHPです。
掲載情報の種類が多岐にわたるため、分かりやすく整理し、ユーザーが目的の情報にストレスなくアクセスできるように、分かりやすい動線を用意する必要があります。

また、HPは印刷物と違い、修正や更新が可能です。そのため、最初から完璧な完成を目指すのではなく、家を増改築するように、まずは住めるようものを用意し、子どもができたら部屋を増やすようにして、状況に応じて、そして家をメンテナンスするように常時手を加えて、そのときどきの状況に合わせることをおすすめしています。
一定期間を経過してビジネス環境にそぐわなくなったからとフルモデルチェンジをするのではなく、常時細かなマイナーチェンジを繰り返し、常に動いているHPであることを見せるのも大切。
つくりっぱなしにするのではなく、オンライン上に店を構えたと思い、店長を決め、公開後の運営方針の立案までを含めてのご提案をします。