天神橋筋商店街100年の物語を書く、という仕事を拝命して、身震いしている。
つひまぶを10年続けてきたら、こういう話をいただけるんやね。
むかしむかし、天満の地は、まだ人の暮らしとはほど遠い、自然のままの入り江の一部でした。
現在の大阪平野には陸地はなく、河内湾が広がり、南北に向かって湾に突き出た大きな岬である上町台地が古代人の主な生活場所でした。淀川と大和川が運んできた土砂が堆積し、「八十島(やそしま)」と呼ばれる無数の小さな島々ができました。潟や湿地帯となり、そこは美しい水辺で、島々は葦に覆われ、季節ごとに風にそよいでいました。
長い年月のうちに上流から運ばれた土砂が堆積し、砂洲が生まれ、次第にこの場所は陸地へと姿を変えていきました。
商店街の話をはじめる前に、
石山本願寺よりも、天満宮のルーツの大将軍社よりも、ずっとずっと遡って古い古い話からはじめて、天神橋に商店街が生まれる手前までの1500年分くらいを、冒頭2ページくらいにぎゅーっとまとめて書かねばならない。
こっから先、
ナニワ、すなわち大阪は、淀川の河口に生まれた砂州の上に築かれた都市です。
砂州とは、水中から現れたばかりの、誰のものでもない新しい土地です。所有者はおらず、そればかりか風や水の流れによって日々かたちを変えるため、固定された不動産として確定することもできません。そこは、いかなる縁からも切り離された、無所有・無縁の「アジール(避難所)」です。
なんてことを書き、無縁の土地から商人は生まれた、なんてところに話をつなげようとしていたら、ちょっと独自説すぎて却下!と言われてしまった(笑)
そのあとには、「天満に星が降る夜」とか、小見出しつけちゃってるんやけど(笑)
それはともかくとして、がんばっていいものを書きたいと思います。
年内に書き終えるやろか?
難しい気がするけれど、心を込めて書きます。
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