「変わり者たちの秘密基地 国立民族学博物館」

「変わり者たちの秘密基地 国立民族学博物館」

旅の果てに沈没して、ペルーで暮らしていたとき、「天野博物館」へ何度も通った。
ペルーは日本人が最初に移民した国で、今も日系人がたくさん暮らしている。
天野芳太郎はそんな日系人の一人で、実業家として成功したあと、砂漠地帯で盗掘される墓地や埋葬品の文化的遺産の価値に気づき、その回収・保護に力を注いだ。
そして、天野博物館を創設する。
プレ・インカの織物(砂漠地帯に埋葬されていたので、織物の色が落ちていないのだ!)や土器が多数展示されていて、なかでも、土器は来館者が手で触れられるようになっていた。
展示物を触って鑑賞できるということはとても重要で、使いやすさや質感など、視覚情報からは得られないものが伝わってきて、新鮮な出会いがあるのだ。土器のような「道具」なら、なおさらだ。
この、「触れる」というのが気に入って、ワシは何度も何度も天野博物館に通ったのだった。
しかもここは入場無料だった。

その後、天野博物館は経済的な理由により休館を余儀なくされ(だって入場料収入がないのだし!)、今は、「天野プレコロンビアン織物博物館 」として再出発している。

ペルーにはアンデスの山があるから、日本から山男がよくやって来た。
太田さんという、当時40歳くらいだったからワシより16個か18個かくらい年上の日本移民のおっさんがいて、アルパカのセーターの編み物工場を経営して、山好きの親分肌で、日本から来た登山家の面倒をよく見ていた。
ワシもなんでかよくかわいがられて、太田さんが日本に行くときは、ワシが太田邸の留守番をしたりしていた。麻雀もよくやったな。太田さんの中学生の娘さんの家庭教師をやったりもしていた。
ワシがペルーに来る数年前には、植村直己さんも太田さんを頼ってアンデスの山に挑んでいたとか。植村さんは、その数年後、アラスカのマッキンリーで星になった。
植村さん以外にも、冒険家のような人たちが何人も、太田さんのところを出入りしていた。
後年、南アフリカのチリナバリノ島からタンザニアまでの人類のルーツを遡っていく旅「グレートジャーニー」を踏破した関野吉春さんとも、ここで触れ合っていたような気がする。
なんせ、ペルーには大学の探検部の学生レベルからプロ的な人まで、探検家・冒険家を名乗る人がたくさんいたので、いろんな人がいすぎて、ちょっと記憶が混乱しているのだ。
だってね、日本で普通に生きていると、冒険家とか探検家といった人たちが実在するというのは、ちょっと想像がつかんでしょ。どうやって食ってるんだ?とか、いろいろ謎だし。
でも南米にいると、ガリンペイロ(金脈探し)とか、インカの財宝探してる人とか、不思議な人となんぼでも出会うのだ。
そんななかのひとりとして関野さんと出会い、あまりよくは覚えていないのだけど、関野さんのことをなんとなく覚えているのは、関野さんが外科医であり、探検家であり、人類学者だったからだ。
ワシは大学はすぐに辞めてしまった人間だが、ワシが大学で学びたかったのは文化人類学(お目当ての先生を頼って入学したのに、ワシが入学したのと同時に、その先生はロンドンに留学してしまったのだ)だったので、人類学者や民俗学者・民族学者という存在は眩しかったのだ。
そして、ペルーだけでなく南米には、わりにそっち系の学者がたくさんいたように思う。今となっては名前も思い出せないけど、日本で人類学・民俗学・民族学を研究している先生と、ペルーでたくさん出会った。
ワシが「国際花と緑の博覧会」でペルー政府代表代理として日本に舞い戻ることになった遠因には、そういう触れ合いもあったのだ。

ワシが千里の「国立民族学博物館」に通うようになったのは、帰国後の30歳くらいのときのこと。
なんせ、ブツの宝庫だし、仮面や衣装などのお宝は、冒険の成果としか言いようのない眩しいものだったし、なんといっても、この博物館の展示物は、触ることができるのだ。写真も撮り放題。
今でこそ、それができる博物館や美術館は少しずつ増えてきているけれども、みんぱく(民家宿泊のみんぱくではなく、大阪の人間にとっては、みんぱくといえば「国立民族学博物館」)の太っ腹具合といったら、なかった。

タイの三輪自動車のトゥクトゥクがあれば、タヒチのビーチにある屋台がまるごと置いてあるし、インドの神さんのポスターがあるし、モンゴルのゲルがあるだけでなく中に入れるし! 長野の巨大道祖神とか青森のねぷたとか、とりあえずデカいもの展示して度肝を抜かしてやるぜ!って気構えが好き(笑)

世界中の仮面はいつまででも見ていられるし、ブルガリアのエッグアートもずっと見ていられるし、タイに阪神タイガースの応援団「猛虎会」があるとか、モンゴルでラップが流行ってるとか、東アジア各地で干支の動物は微妙に違うのだということなど、ここで知って、へー!へー!へー!となることは今でも多い。
民族楽器もたくさんあるし、打楽器叩いても怒られなし、だいたい、部屋の隅にいて見張ってるスーツの人とか、まず見ないし。

30代は、ほんとよく通った。
みんぱく友の会にも入っていたし。
今でも年1、年2くらいのペースで特別展を見にいく。たまには常設展にも行く。行くと、展示が微妙に変わっているので、いつ行っても楽しいのだ。
だいたい、収蔵点数が34万点で、うち1.6万点ほどが常設展示されていて、常設展は全長5kmだ!

この本はイラストレータの日比野尚子さんに教えてもらって、あんまりにも楽しいからチビチビ読んでいて、ようやく読了。
いやー、タイトルに「変わり者たちの秘密基地」とある通り、ここは「秘密基地」だし、みんぱくに登場する研究者は「かわりもの」ばかりですな。ワシが、ペルーで出会った研究者も、研究者というよりも探検家・冒険家ばかりだった。

収蔵点数が34万点で、うち1.6万点ほどが常設展示されていて、常設展は全長5km。
カオスでありコスモスであり。
世界最大の民族学博物館らしいが、やっぱ、常軌を逸している。
その裏側にある熱狂や哲学は、ぜひ知りたいというもんだ。

履歴書のフォームが手元になく、ボールペンで線を引き自作した男は、シャーマニズムと現代文化を結びつける異色の研究をモンゴルのシャーマニズムとヒップホップを研究している。
イギリスの魔女を研究する研究者、フィールドワークでハーブ店を訪ねたら、カンナビス(大麻)を売る店だった。
ベトナムの黒タイ族を研究する文化人類学者は、プロボクサーで世界王者を目指すより、作家になる方が可能性あると思っていた。今は広報誌『月刊みんぱく』編集長を務めている。
目の見えない研究者は、触文化、日本の琵琶法師や瞽女を研究している。
インド洋の奴隷や物の交易を研究する学者は、研究上「奴隷」などのキーワードを検索するため、パソコンの設定(セーフサーチなど)がなくなり「大変なことになる」という苦労を語る。

偏執狂的ワールドの抱腹絶倒な世界が繰り広げられるのだが、無論、ハッとさせられる哲学的な眼差しに触れる瞬間もある。

世界で唯一、奴隷による反乱が成功したハイチ革命だ。
これを人権の獲得という文脈に固執して見てしまうと、実情とは少し印象が違ってくる。
革命にはもちろん、自由と平等を求めて自分たちを解放するという大義があったが…。
「とはいえ、奴隷って週休2日だったんですよ。それがじきに週休3日になるという噂が流れ、でもいつまでたってもそうならない。いったいどういうことだ!」
と、反乱が起こる。
だったら、ブラック企業で社畜化しちゃうような現代の状況はなんなんだ?

このあたりに、みんぱくが単なる単なる「展示物置き場」でないことが垣間見える。
「物ではなく、人」にフォーカスする姿勢こそが、「世界を見つめる異世界」として機能させているのだろうな。

「変わり者たちの秘密基地 国立民族学博物館」
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死ぬまでに何度でも行くだろうな、みんぱく。
先の万博が残してくれたレガシーが、みんぱくと、万博記念公園の森と、太陽の塔。
現代にまで光が届くレガシーだと思う。
さて、今度の万博は。。

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