戦果アギャーとコザ暴動を中心にアメリカ世(アメリカ統治時代)の琉球を描いた映画『宝島』を見た。

映画『宝島』の舞台は、1952年、日本本土が復帰してもなおアメリカの統治下にあった沖縄だ。主人公である「戦果アギャー(米軍基地から物資を奪い、困窮する住民に分け与える若者)」たちは、アメリカの理不尽な支配と、本土から見捨てられたような状況の中で生きている。
彼らの行動は、体制への怒り、反発、そして自由への渇望を、肉体的な行動として直接的に爆発させたもので、彼らは、政治的な議論や文化的な表現ではなく、「奪う」という行為によって、沖縄という場所の混沌とした現実と、抑圧された若者たちの生々しいエネルギーを体現している。
その意味では、終戦直後の大阪砲兵工廠に夜な夜な忍び込んで陸軍製造の武器やら砲弾やらの金属を盗み出して売っぱらっていた「アパッチ族」とよく似ている。というか、彼らの多くが在日コリアンだったことを思うと、アメリカ統治時代の米軍基地からかっぱらう戦果アギャーとアパッチ族は、おんなじだ。
アメリカ統治時代のウチナンチューが受けた抑圧や人権のなさは、大阪における戦中戦後の在日コリアンとおんなじだよ。
映画を見ていて、ワシは、大工哲弘の『沖縄を返せ』を思い出していた。
沖縄の「唄者」であり、八重山古典民謡の無形文化財保持者である大工哲弘が歌う『沖縄を返せ』は、単なる懐メロや歴史の記録に留まらず、復帰から半世紀以上を経た現代の沖縄が抱える問題を鋭く問いかけるものだ。
この歌は、アメリカ統治下にあった1950年代に、本土で沖縄返還運動を支援するためにつくられ、全国に広まった。沖縄が祖国復帰を夢見ていた時代の、熱い想いや切実な願いを象徴する歌だ。しかし、1972年の本土復帰後、多くの人々が「返還が実現した」と受け止め、この歌は次第に歌われなくなってしまった。
それを、大工哲弘やソウルフラワーユニオンの中川くんらが掘り起こし、大工が歌ったのが90年代。
この歌を歌い継ぐ最大の意義は、「復帰後の沖縄の現実」を浮き彫りにすることにある。彼は、復帰によって基地問題をはじめとする沖縄の諸問題が解決したわけではないという現状に対し、原曲の『沖縄を返せ』の最後の歌詞を、あえて「沖縄を返せ 沖縄へ返せ」と一文字変えて歌った。
沖縄は「一体どこに返せばいいんだ」という曖昧さへの問いかけであり、「沖縄のものは沖縄に返すのが当然」という、沖縄の主権と自立を希求する強い意思の表明だ。
大工は、この歌を「魂」だと語り、歌詞にある「固き土を破りて 民族の怒りに燃ゆる島 沖縄よ」というフレーズに込められた、米軍による土地接収への怒りや、島ぐるみ闘争の歴史を若い世代に伝える役割を自らに課した。
『沖縄を返せ』を歌い続けることは、復帰前の人々の「返還への夢」という歴史を継承すると同時に、現代の私たちが「真の平和と自立」を達成できているのかという、本質的な問いを突きつける行為だ。大工自身も、「沖縄を取り巻く諸問題が解決し、『沖縄を返せ』と訴える歌でなくなることが私の願いだ」と語っている。
大工の態度や『沖縄を返せ』を聴くにつけ、この映画『宝島』が描いてみせた沖縄と現代は地続きで問題を孕んでいることが分かる。
ただ、この映画は長すぎる。戦果アギャーとコザ暴動だけに焦点を絞れば、疾走感あふれつつ、沖縄の現代史をヤマトンチューに突きつけるものになったと思うよ。



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