
『通天閣 新・日本資本主義発達史 上・下』
正月明けに紀伊国屋書店で手に取って、貪るように読んでいる。
先へ先へとページを繰りたがる手を抑えながら、行きつ戻りつ、じっくりと読んでいる。
「通天閣」をレンズにして、明治から大正にかけて、日本が近代化し資本主義を発達させていく過程で、切り捨てられ、隠蔽されてきた「底辺」からの歴史を鮮やかに描き出している。大傑作だと思う。大阪関連のバイブルに加わったね。
冒頭からアナキスト詩人の小野十三郎の詩が紹介され、大阪への帰郷が描かれる。
それだけで、この作品が、地べたから天を突く一冊なのだと、高らかに宣言しているかのようだ。
華々しく開幕した第五回内国勧業博覧会の裏で長町(日本橋)スラムのクリアランスが描かれる。
調整した者の一人は、のちにキタにホームレスの救済施設「授産所」を開設する侠客・小林佐兵衛。
博覧会そのものをパロディ化する宮武外骨の『滑稽新聞』。
新世界に華開いた大阪相撲。朝日山と関係した極道たち。そして興行の裏側。
大阪燐寸工業と加納楢太郎と釜ヶ崎。
南の大火と飛田新地建設。
新世界から飛田新地へ向かうプロローグとして誕生した「ジャンジャン横丁」。
新世界の荒廃と飛田遊廓、ジャンジャン町の隆盛。
そのジャンジャン横丁を、ベンヤミンがパリのパサージュ(路地)に見たような、資本主義の夢と残骸が交差する迷宮として読み直す試み。
近代的な合理主義に組み込まれなかった「ディープサウス」の象徴として描かれる、将棋の王将・阪田三吉。
北條秀司と織田作之助の二人が描く、二人の阪田三吉。
上町台地を語る眼差しは、生魂神社と四天王寺七坂と下寺町とラブホ街と日想観。
ここまでで、上巻の半分。
下巻の目次を拾うと、飛び交う言葉は、一層ディープにエゲツなくなっていく。
借家人同盟と民衆運動と中之島公会堂。
大正9年に大阪駅に降り立った荒畑寒村、そして大杉栄。
関一「住宅難は現今世界の文明国に共通の疾患である」。
大阪市不良住宅地区分布図。
石井記念館愛染園と大原社会問題研究所。
「部落」か「方面」か。
滑稽新聞 対 悪弘黒眼。
六道の辻に見る窃盗発生地とコレラ発生地の類似性。
犬殺し。
遊郭前史と飛田。
なぜ阪田三吉には通天閣なのか。著者の酒井は謎に切り込み、秘話を披露する。敗戦直後の大阪で、阪田役の辰巳柳太郎が舞台に登場すると、大喝采がわき上がった。役者へのものでなく、それは火災と戦時供出で消えた初代通天閣が舞台で蘇ったことへの感動だったと、酒井は明かす。阪田を生んだ新世界界隈の前近代性を、近代都市化していく大阪全体にアンチテーゼとしてぶつける試み。
「都市を美しく整える」という行為の裏で、常に誰かが追い出され、誰かの労働が透明化され白日の下に引き摺り出される。
塔の見える場所で、人々は彷徨い、遊び、闘い、そして何を生んだか?
この問いを、酒井は圧倒的な資料調査(新聞記事、裁判記録、文学、映画)をもとに、スリリングな語り口で突きつける。
そしてこの試みは、現代の大阪に立ちはだかる問題 – 万博、都構想、行政の民間委託、公園整備 – と響き合っているように、ワシには思える。
「持たざる者」たちの抵抗の歴史。
レジスタンスであると同時に、夢破れた者どもの稗史。
裏側から見た、大阪の、日本の、資本主義発達史。
大変な仕事だと思う。
中身はきわめて豊富で、まさに縦横に論じられており、話の糸はもつれて、時にはこの界隈の歴史そのままに混沌とした迷路の様相を見せる。
まだ松の内が明けて間なしだが、すでに今年出会った最重要作品のひとつ。
ちくま文庫のオビが奮っている。
「マジメ」な学者なら手をださない怪しげな情報源でもかまわずぶちこんだ結果の資料の山、あっちこっちからスキャンしまくった豊富な図版、そんななかから飛び出る抱腹絶倒のエピソード、信じがたい出来事、勇気のでる話、とんでもない人間などなどを、これほど満載にした本も、ざらにはないはずだ。
労働価値説的に、むしろディスカウントではないか。
ひるむことなく、上下二冊を抱え、レジにむかってほしい。



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