『阪急梅田駅拡張建設記録 総集篇』

『阪急梅田駅拡張建設記録 総集篇』

昨日、140Bの中島さんが、ワシに内緒で(笑)池田の小林一三記念館へ行かれて、ビデオ『阪急梅田駅拡張建設記録 総集篇』(1974年、32分)をご覧になられたレポをエントリされていた。

かなりそそられたので、ワシも今日、早速行ってきた。
ちなみにビデオの放映は4月17日まで。もう、日がない。

阪急梅田駅が現在のような巨大ターミナルになったのは、昭和48年のこと。30年代、経済成長を背景に阪急沿線の住宅開発が進み、一気に利用客は増えた。35年の調査では梅田駅の1日の乗降客は約44万人。40年には約60万人に達する。
電車の本数を増やし、連結車両数を増やすには駅そのものを拡張しなければならない。そこで「梅田駅移設拡張計画」が立てられ、41年から第1期工事がはじまった。
この移設工事は、国鉄(JR)高架の北側にまで大移動し、9線10ホームを造る……という途轍もないものだったが、計画はそれでは終わらない。阪急では「複合的な梅田地区開発事業」と位置づけ、総力を挙げて取り組んだのだ。
・広大な駅の下に広がりのある地下店舗街を作る
・駅に直結した高層のオフィスビルを建設する
・駅は3層。3階に宝塚、神戸、京都それぞれ3線の9線10面ホームにする
・2階にエスカレーターを設置し、地下鉄御堂筋線への導線を確保する
・駅が遠くなったため1階に乗降客の利便性を高めよう―と、エスカレーターと「動く歩道」を日本で初めて実用化する
などなど。
昭和41年にはじまった工事は昭和48年に完成。足掛け7年の大工事だった。

これらすべてが、約30分の総集編にまとめられて、小林一三記念館でビデオ放映されているのだ。
食い入るようにして見てしまったな。

百又ビルに、ヤンマーのビルと看板、フランスベッドの広告看板、そして新阪急ホテルとその周辺の長屋。
ワシは百貨店前から電車が発着していた時代は知らないが、映像に出てくる風景は、かすかに覚えている。懐かしい風景ばかりだ。

この映像は売ってないもんやろか?と受付で聞いてみたが、むろん売っていないとのこと。
欲しいなぁ。

駅のホームは神戸線、宝塚線、京都線と順次年月を開けて完成していくのだが、そのたびに、竣工式がおこなわれている。
指揮を執りおこなっている神職の方は、綱敷天神社御旅社の白江禰宜のお父様かお祖父様ではなかろうか?
北野地域史をつくる過程で出てきた写真に写る彼の人と、よく似ておられる。きっとそうに違いない。
身近な人や風景がビシバシと出てくるので、親近感がハンパない。

池田の逸翁美術館は特別展を見に何度も訪れているのだけど、少し離れた小林一三記念館は初めてだった。
併設された、小林一三の旧邸宅をレストランにした「雅俗山荘」もいい。
どちらも京都の大山崎山荘にテイストが似ている。
記念館の庭を散策するのにぴったりの爽やかな陽気だった。

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