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蓮
蓮

蓮花の諸相

近代日本では、蓮花は仏式葬式と結びつけて考えられるようになり、日常の生活からは外れた花と、大方の人々に思われてきた。
かぎりなく美しい蓮花と、かぎりなく美しくも儚い人の一生との比喩は、東洋文化においては、中心的位置を占めているように思える。蓮の花は、いつの時代においても、芸術家たちに絶えることのないモチーフとインスピレーションを提供してきた。
大賀蓮の種からよみがえった古代蓮は、時間の経過を越えて見事な麗姿を見せてくれる。この大賀蓮の実物を見たときの感動は忘れがたく、蓮はやはり永遠の王者だ。
仏教の伝播とともに日本にもたらされた蓮たちは、天上の花として確たる地位を占めはしたものの、死との関連を嫌うことから、異常ともいえる扱いを受けてきた。
蓮のつぼみ、開花、風化、そして翌年の再生への種、また蓮葉もおなじく、完全な生命力サイクルとして、花と同列に扱われることが多く、鴨、白鷺、カワセミなどの鳥などと同様、人間の生のサイクルを描写するものとして大切に扱われてきた。
人の一生を通してみると、古くから変わらぬ生命力の象徴として逆に人々を見続けてきたに違いない。
変わらざる蓮から見れば、人の世の変貌はどんなふうに見えているか。思えば、美しくも不思議な、また視点を入れかえれば、花にどんな想いを持ったとしてもやはり感動は人間の視点を中心にすることが多い。
仏教の宗派を越えて、人は共通の生命の諸相を見たに違いない。
日本に伝わる宗画の捉えた美しさにも増して、生きている蓮花の諸相の美しさを、人や諸々の生きざまに重ねあわせて、じっと見つめる。
ふくらみゆくつぼみ、まさに開かんとする姿、全開の麗姿、盛りをすぎた花、そして散りゆく花姿、再生を約束する種子、それぞれに見る人の想いを写して、静かに、かぎりなく美しく、蓮花は今日も静かにたたずんでいる。

(法金剛院)

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