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文様
文様

動詞が生み出す文様

初めて石の庭に対面したのは、10代の終わりころのことだった。
夏の夕方で、今よりはずっと監視が緩やかだったから、私はひとりで長い廊下に座ったまま白い庭のモノクロームが暮れなずむのを眺めていた。退出を促す若い僧侶がやがて現れ、私が立ち上がるのを見届けると庭に降り、白い小石の表面を整えにかかった。
それをゆっくりと拝見することはそのときの私には許されなかったのだが、竹の道具で掻く、という文様のつくりかたを垣間見たことがひどく心に残った。

それからずいぶんと時間が経って、アフリカ・ザイールのクバのテキスタイルを見た折りに、はからずも、その石庭の印象がよみがえった。
クバ族はアフリカの優れた染色の仕事のなかでもとりわけ独創的な文様をつくり続けてきたことで知られ、画家のマチスがそのコレクションを愛蔵していたことが、写真家アンリ・カルチェ・ブレッソンのカメラ・アイに収められている。
クバ族のテキスタイルは、草ビロードと呼ばれるカットパイルの布と儀式用の礼装から成り立つのだが、いずれも驚くべき幾何学的なパターンを表現している。とりわけ葬式の供えものであるカットパイルの四角い布に捉えられた図柄の抽象性は、彼らが、世界を幾何学的な記号の組み合わせとして解釈する、という研究家の言葉を如実に表している。
その研究家、メアリー・ハント・カレンバーグが、興味深いエピソードを披露している。
かつて宣教師がクバの王へ贈りものとしてオートバイを持参したが、王はなんの関心も示さなかった。そこでオートバイを引き上げようと動かしたとき、王の眼が輝いた。タイヤの残した模様が、新しいパターンとして取り入れられることになった。

この話はさまざまに聞く者を触発するが、私は小躍りして、ひとつの持論を出す。文様は、まず、動詞がつくってきた、と。

平面あるいは表面に、彫ル、刻ム、などの動詞がかかわって生まれる文様について、古代からの文化遺産の例を引くまでもない。仏像のまとう布は、畳ムことによって生まれる襞の文様の神々しい例だ。
そぎ落トス、削ルなどの意味を持つ、ハツルという動詞もある。1988年のヴェニス・ビエンナーレでフランスを代表したダニエル・ビュランは、自国のパビリオンでの建物の肌を見せることを作品としたが、それはほぼ1世紀前に建築家が残した文様、すなわち石壁のハツった面と、動作を加えない面とが構成する、美しい縞模様の素肌を剥き出しにして見せることであった。
水紋、風紋は、自然が仕掛けた動詞のつくりだす文様と言えるだろうか。
では動詞でなく名詞で文様を見るなら、これまた花、鳥、草、樹、動物。自然界を模したものだけでも無限に存在している。そこでまた私だけの定義になるが、名詞からは模様が生まれている。
バラの模様、つる草の模様、鯉の模様、ライオンの模様、のこぎり、かんなの模様、サムライの模様、子供の模様。すなわち、かたちと名のあるものたちの模様。

枯山水もまた、自然を模したものではあるのだが、そこにある文様の力は、ほとんど謎である。
小石の海の表面を掃くことで水の流れを現出し、小石を円錐形に積み上げることで山を表すと、初めに案出した人は宇宙の再構築を無意識のうちに行っている。日本の庭園で心が静まるのは、プリミティブ・アートを前にするのとおなじと言ったら突飛すぎるかも知れないが、根源的な力を捉えた文様、という共通項がある。
クバ族は自然の事物を単一の記号に省略し、抽象化する。
私が見た一枚は、村落や田畑と思われるものが線による幾何学文様として地面をつくり、その随所に一段と厚みのあるモノリスのような長方形のパターンが浮き出たもので、それは、東福寺光明院の印象を思い起こさせる。
四角いクバの布は死者の霊に捧げるものなので優れたデザインでなければ昇天出来ない、と、クバ族は図案を競い合う。成果をあげた文様は、未来的なイメージさえかき立てる。

寺院の庭の文様にも、鎮魂の思いは込められている。無心にそれを掻く人になりたいと、このごろは思ったりもする。

(東福寺 龍吟庵)

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