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苔
苔

触覚的、そして肉感的

子供のころ、家の近くの空き地の地面には分厚い苔がたくさん繁殖していた。そしてなぜかそのうえに蝶の触角に似た細長い草が生えていたのを覚えている。その空き地には池もあって、そのなかの石にも苔が生えていた。
ときどき裸足になって、池の周りの地面の苔を踏んで遊んでいた。柔らかくて、ひんやりとした感触は足の裏から一瞬に頭部にまで走り抜けるのだった。だけど、足の裏で崩れる苔のことを思うと、どこか可愛そうな気がしないでもなかった。というのも、苔は植物というよりも生物という感じがするからだ。
苔といえば思い出すのは、やはり苔寺だろうか。西芳寺というのが、苔寺の正式名称である。聖徳太子の別荘だったところだ。夢窓国師による庭園には日本最古といわれる枯山水が築かれており、心という文字が池によって描かれている心字池というのがある。
道路から石の橋を渡って門を入って真っ直ぐに行くと、左側に一面が苔に覆われた庭園がある。ひんやりとした冷気は樹木が吐き出すフィトンチッドのせいか、それとも池の蒸発によるものだろうか、あるいは水分を含んだ苔のせいか。気のせいか苔の匂いがするような気がして、鼻を地面の苔に近づけて匂いを嗅いでみると、鼻をついて匂ってきたのは土の匂いであった。苔が特有の香りを発していると思ったのは錯覚で、むしろ無臭に近い。
にもかかわらず、苔の匂いがしたと思えたのは、眼から来る匂いのイメージだったのかも知れない。女体を思わせるようななだらかな地表に、今度はうんと眼を近づけてみると、そこに野山の風景があるのを発見する。虫や小動物はいつもこの苔の地表を這いながら人間の知らないもうひとつの山河などを実感しているのである。

苔にも勢力争いがあって、強気が弱気を挫くそうだ。だけど自分より強い竹薮には絶対に近寄らない知恵も持っている。また、苔には何百という種類があり、西芳寺の庭園には120種余の苔があるという。
ヨーロッパでは、苔は、母の愛、奉仕、友情、または、庇護のための覆い、を、象徴する。地面の下になにか隠蔽しているようなイメージを受けるが、意外とポジティブなイメージを与えられている。それにしても、苔を剥がしてその下を覗いてみたい衝動に駆られるのは、なぜだろうか。苔の下になにか秘密が隠されているようで、胸がときめくのは、なぜだろうか。

苔の手に馴染む感触と、ほどよい湿り具合がエロチックに思える。女性の秘部に掌をそっと落とした感触とでもいおうか、それほど苔は肉感的なのである。
絵画のなかに苔を描いた作品を思う出そうとしたが、具体的な作品の記憶がない。日本画にはときどき描かれていたような気がするが、西洋絵画のなかには発見は難しい。西洋では苔を代行するのが芝生だ。芝生はしばしば風景がのなかに描かれることがある。だけど、地面に生えた苔ではなく、古木などにこびりついた

苔は、西洋絵画にも描かれている。
映画などで森の幹が見事に緑色をしているのをときどき見ることがあるが、あれも苔だろうか。まるで今にも魔女か逆に美しい妖精が出てきそうな緑色一面の森は、きっと地面まで苔に覆われているに違いない。また森のなかのお城のような建物が、濃い緑色に見えるのも、もしかしたら壁一面が苔に覆われているからかもしれない。そんな想像をしていると、苔は樹の落葉があると繁殖しないことがわかった。
苔は落葉などが大嫌いだからだ。いつも箒で掃いてキレイにしてあげないと、苔は生存出来ないのである。湿っぽい場所が好きだから、むしろ空気に触れないほうが喜ぶのかと思ったら、大間違いだった。

(西芳寺)

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