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枯山水
枯山水

縦横無尽で自由な解釈を許す石庭

龍安寺の石庭を眺めていると、いつも奇異な感じに打たれる。まるで異星人を歓迎するためにつくられたような、いい知れぬ宇宙性を感じる。
日本の庭は、従来、築山と池庭を配して高低をつけた自然な印象を与えることに腐心してきたように見える。ところが石庭は、池も、島も、水も、樹も、草もなく、土塀内の長方形の土地に大小十五の石が配置されただけで、まわりに美しい掃き模様を描く白砂がまかれている。徹底して人工的なのだ。しかも塀があるために、背景や借景を必要とせず、それを否定し、拒絶さえしている。このような枯山水の出現は、日本庭園の歴史のなかでも一大革命だったといえるだろう。
大雲山龍安寺は、宝徳2年 (1450年) 、室町幕府の管領細川勝元が左大臣藤原實好から譲り受けて開創した禅院である。その後、応仁の乱で炎上、焼失したが、勝元の子政元が復興させた。この細川政元という人物は、異相の人として知られ、妖術や魔法の熱心な探求者であった。それというのも、父勝元が子に恵まれず、普通は毘沙門、八幡などに願を掛けるところを、愛宕山大権現に願掛けして出来た子であり、政元はいわば修験の因縁をもって生まれている。長ずるに及んでも超人的な境地を得るため、現世の欲楽をあえて捨て、出家のように経を読んで周囲の人を驚かせている。長いあいだの修行の末、空中へ飛び上がったり、空中で立ったりなど、種々の不思議を成した、と、幸田露伴の『魔法修行者』にも詳しい。また、魔法を使うため、40歳を過ぎても女性を近づけることなく、妻も子もなかった。
永世4年 (1507年) 、政元は次の日が愛宕山の縁日で、魔法を行うまえに潔斎の行水を使おうと湯殿に入ったとき、ふたりの養子の跡目争いのために首を落とされ、生き返らないようにと足の裏をも掻きとられたという。
このように異人の政元は、同時に吝嗇家でもあり、極度に旅費を節約したり、借金までして旅に出ている。
だとすれば、父の勝元がつくり、子の政元が復興させたこの庭は、彼らの経済的信念から、最低の経皮でつくれる広大な庭として選ばれたことにもなりかねない。一般には非常識と見なされた彼らの性格が、龍安寺全体の造りに影響を与えているかも知れない、とも言える。
政元の死後、龍安寺は名物の糸桜の存在が知られる程度で噂にも上らずにきたが、寛政9年 (1797年) の火災で仏殿、方丈、庫裡などを焼失させた。その後に再建された現在の龍安寺は火災前の姿とほぼ同一に復元されていると言われている。しかし、石の数などはどうも違うようだ。
現在の白砂の庭は、虎の子渡しと呼ばれ、大小十五の石だけが白砂のなかに五つの群れをつくるように配置されている。虎の子渡しというのは、『鳴呼牟集』 (okotarishu) のなかの物語に由来する。三匹の小虎を連れた母虎が子を一匹ずつくわえて川を渡すとき、悪い小虎を他の小虎と一緒に放り出しておくと食ってしまうため、母が悪い子から眼を離さぬように子渡しをするのに五回も川を行き来しなければならなかったという。無論、この物語を意識してつくられたわけではないが、岩の配置が母子虎の姿を彷彿とさせると言われている。
だが、この配石はべつの角度から見ると、「七五三配石」「心字配石」「亀鶴庭園」などとも解釈出来る。たとえば、「七五三配石」というのは、全体に四本の線を仮定すると、東が五、南西が七、方丈際が三となり、東部塀際を入れて七とすれば、中央が五、方丈際が三となる。
「心寺配石」とは文字通り、心の字形に石が配置されているという見方であるが、これは少し無理があるようである。
「亀鶴庭園」としてみれば、ひと組ひと組の石が鶴や亀となる。また塀の外の雑木林や遠くの男山の森を借景として見る見方も出来る。
このように、龍安寺の石庭は見る人に縦横無尽で自由な解釈を許す魔術めいた配置をもっている。だからこの難解さに、政元が修した魔法や呪術の影響があるのではないか、と想像したくなる。
ただし、白砂に掃き跡をつけて水の流れを抽象的に表現した、この独創的で芸術性豊かな庭の作者は、まだ確定されていない。しかし、作者自身は、既成概念のすべてを捨て、純粋に、無我の境地をもってその才能を発揮したに違いない。
おそらくこの庭は、細川が熱心に修した飯綱の法にかかわって、霊山といわれた飯綱山の頂上をイメージしたものではないだろうか。露伴によれば、その山の修行者たちは飯綱で得られる小石を実際に霊薬として食べたという。したがって、飯綱とは、飯砂 (食べられる砂) から転じたとの説もある。だとすれば、石庭の岩と砂は、宇宙意識に達した政元のような人物にとっては、まさしく珍味を産出する豊穣な山海自然を表すものなのではないだろうか。
石庭にはなにか深い哲学が隠されている。
われわれはいつも魔法修行者となって、この庭と対峙せねばならない。

(龍安寺)

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