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浄瑠璃寺
浄瑠璃寺

民衆の信仰に支えられた庭

阿弥陀如来像が横一列に並ぶ

阿弥陀如来像
西方九体阿弥陀堂と東方三重塔の2つの伽藍で構成され、あいだに、浄土式庭園を挟んでいる。

どちらも藤原時代建立の建造物で、宇治の平等院と同時期の、古い古い建物である。一度も焼失していないから、正真正銘、藤原時代のものだ。

西方九体阿弥陀堂。
この、平べったくもスタイリッシュなフォルムを持つ西方九体阿弥陀堂は、文字通り、9体の阿弥陀如来さんを安置するためだけに建てられた建物で、そういう建物としては、現存する唯一のものだ。
なかに入ると、ずらずらっと9体の阿弥陀如来さんが横並びで鎮座されている風景は、圧巻である。
なぜ9体なのかといえば、生前に行なった善行を仏教では9段階にわけており、迎えにいく阿弥陀如来が異なるためだ。浄瑠璃寺の本堂は1107年の建立、現存する唯一の九体阿弥陀堂として、大変貴重である。

翻って、浄土庭園の池を挟んで東方に眼を向けると、薬師如来を祀った東方三重塔がある。
この配置が、いい。

薬師如来は過去世から送り出してくれる仏であり、過去の因縁や苦悩を超えて進むための薬を与えてくれる。私たちを送り出してくれる仏が、太陽の昇る東に安置されている。
一方で西には、9体の阿弥陀如来。
阿弥陀如来は理想の未来にいて、そこへ向かって進む私たちを受け入れ、向かえてくれる。来世の仏、未来仏である。その仏が、西方浄土(極楽浄土)のある方向である西に、ちゃんと安置されている。

仏教では、東は過去(苦悩)、西は未来(理想)で、この2つの真ん中に位置する浄土式庭園の池は、だから、東を此岸、西を彼岸としている。東の薬師、西の如来、というわけだ。

薬師に遺送されて出発し、この現世へ出て正しい生きかたを教えてくれた釈迦の教えにしたがい、煩悩の川を越えて彼岸にある未来を目指して精進する。そうすれば、やがて阿弥陀さんに迎えられて西方浄土に至ることが出来る、というストーリーが、庭を含めた寺域全体で表現されている。

こういうふうに仏教観を伽藍全体で表現している寺というのは、空海がつくった東寺と、ここくらいだ。

彼岸から此岸を目指すあいだにあるのが、浄土式庭園。
極楽浄土を表したもので、宇治の平等院にある庭園と同じ意味合いを持っているが、同時に対称的でもある。

平等院とは対称的な庭

浄瑠璃寺は、本来、西小田原寺と呼ばれ、この地の豪族の氏寺であった。もとは病気に霊験あらたかな薬師如来を祀っていた。寺名は薬師如来の浄土である浄瑠璃世界から名づけられたものである。
末法の時代に入り、1157年、九体阿弥陀堂が現在の場所に移建されたという。また、1178年には三重塔が移建され、今日の伽藍が整えられた。
平等院と同様、阿字形の池は、荘園への灌漑用水源地であったといわれ、1150年に関白藤原忠道の子で出家した恵信が住持となり、現在の姿へ整えられたと見られている。このように見ると、移建や転用を繰り返した寄せ集めのように見えるかもしれないが、じつは、そこにこの庭園の価値がある。
京都の寺が、いずれも有力貴族や権力と結びついて造られたのに対し、浄瑠璃寺は。ささやかではあるが、民衆の信仰による寄付によって造られたからだ。そうした意味では、おなじ浄土式庭園であっても、平等院とは対極的な立場にあるといえる。そして、権力と結びつかなかったからこそ、戦火にもあわず、今日まで守られたものともいえるかもしれない。
こうした、本来の民衆の信仰に支えられて造られた庭園だけに、権力の威圧感や、絢爛豪華な虚飾は微塵も見られない。穏やかな汀線を描く池と簡素な阿弥陀堂、三重塔のどれかひとつが突出することもなく、きわめて静かに調和している。唯一、庭に浮かぶ中島の石組みだけが尖っており、庭全体のアクセントになっている。アクセントになっているだけでなく、阿弥陀堂と三重塔の軸線上にあり、全体の配置のまとめ役にもなっている。
九体阿弥陀堂は、九体の仏像ひとつひとつに扉がつけられており、これらの扉を開け放つと、仏像、建築、庭園が一体となってえも言われぬ光景がつくりだされるだろう。権威を離れた庭であるからこそ、この世に生き疲れた人々に深い安らぎを与えてくれるはずである。

桜、アヤメ、カキツバタ、紫陽花、桔梗、萩、紅葉…と、季節を変えて、色とりどりに花が咲き乱れる。
浄土の世界である。

ルイス之印

■浄瑠璃寺
京都市相楽郡加茂町大字西小小字札場40
拝観/9:00-17:00 大人300円
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