さようなら、青空書房。さようなら、坂本健一さん。

坂本健一
坂本健一
昨日、青空書房の名物店主・坂本健一さんが亡くなられました。
1923年生まれなので、93歳ですね。

坂本さんは、戦争から引き上げてきた終戦間もない1946年から闇市で古本を売りはじめ、1947年には天満にて「青空書房」を開業。以来、70年間、古書店ひとすじです。

僕は、最晩年の坂本さんに、とてもお世話になりました。

2013年の12月、「つひまぶ」の創刊号を準備していたとき、人にスポットが当たるような雑誌にしたいなとぼんやりと考えていて、企画書代わりのラフに、青空書房の坂本さんの特集記事をダミーでつくっていました。坂本さんが「青空書房」を閉める、という一報が飛び込んできたのは、ちょうどそのときです。(そのお店は閉まりましたが、翌年、すぐ近くのご自宅を改装して、「青空書房」は再開、ホッとしました)
ああもうこれは運命だなと思い、「つひまぶ」の創刊号は、そのまま坂本健一さんの特集をやることが決まったのでした。

「青空書房」閉店のタイミングで、坂本さんの個展「ありがとう67年 青空書房ひとつの終展(しゅうてん)」も、芝田町画廊で開催されました。
坂本さんはもともとが画家志望で、よく絵を描いておられました。お店が休みのときにシャッターに貼られるポスター「ほんじつ休ませて戴きます」は毎回坂本さんの手づくりで、とても味わい深い絵と添えられた言葉があったかくて、道行く人の足を止めさせ、やがては話題となり、テレビで取り上げられ、本にもなりました。
そんな坂本さんが描かれた「ほんじつ休ませて戴きます」のポスターや文字や絵がたくさん展示された個展で、坂本さんは、あろうことか、このポスターを、来る人に気前よく譲っていたり1000円くらいで売っていたのでした。
あかんやん!
これは北区の、大阪の、いや日本の文化遺産でしょ。バナナの叩き売りみたいにして売ってしまったら、散逸して、なんもなくなってしまいますやん。。。
そう思った僕は、せめて、と、その場で即席のブツ撮り撮影をさせてもらい、ありったけのポスター全部を複写させてもらったんです。
おかげで、坂本さんのポスターのデータを300枚ほど、残すことができました。おそらく、「つひまぶ」が一番たくさん持っています。これだけでも「つひまぶ」は仕事をしたと、僕は思っています。

青空書房 坂本健一さんの絵(2014.1.30)

北区の地域情報誌の誌名を「つひまぶ」とする。
レイアウトを決め、デザインの方針を決め、雑誌のコンセプトを明確にしていく。
特集を坂本健一さんにするとして、どういう切り口にするのかを決めていく。
あのころ、いろんなことを必死になって考えていました。

「ほんじつ休ませて戴きます」のポスターにのみ焦点当てると決めたことで、「つひまぶ」は、一点集中で行くことが決まったように思います。
なんでもかんでも盛り込まない、そぎ落とした情報を深く掘り下げる。そんな方法論を、坂本さんをどう紹介していくのか悩むなかで、決めていったように思います。
坂本さんのポスターを勝手に3つのジャンルに分けました。「素晴らしきかな読書編」「人生の応援歌編」「大阪ええとこ編」。
それらのジャンルについて書くと同時に、できるだけたくさんの作品を紹介したくて、見開きに、彼の作品をずらずらっと並べました。
この見開きは、モノクロ雑誌でありながらも、ビジュアルで見せる見開きページになっています。モノクロ雑誌であっても、ビジュアルで見せるページをつくることができたのは、坂本さんのポスターがあったからこそです。そんな手応えから、次号以降も、現在に至るまで、「つひまぶ」ではビジュアルで見せる見開きページを、必ずつくっています。創刊号の特集が坂本さんだったらこそ、立てることのできた方針でした。
巻頭は、僕のエッセイです。僕という、坂本さんのいちファンが、坂本さんの作品にどのように心を動かされてきたのか、そんなことを書いたのでした。
坂本さんの紹介をするのではなく、ちゃんと批評精神の目で、僕の目で見た坂本さんを表現していく。そんな創刊号ができあがったのでした。

おわかりのように、この特集は、徹頭徹尾、主観で貫かれています。
客観的な情報なんて、どこにもない。
でも僕は、書き手の顔が見える、書き手がきちんと責任と覚悟を持って書いたものなら、ターゲットは狭くなるかもしれないけれども、誰かの心の深いところに届くはずだという確信を携えて、この特集をつくり、「つひまぶ」の方向性を身をもって示したと思っています。正直に書いておくなら、ターゲットを絞ることで、かえって多くの人に届くだろうとも、僕は思っていました。
こんな人がいるんだよ、こんな生きざまがあるんだよ、と、心から知らしめたいと思ったことを、僕の責任において、紹介していく。そんなやりかたこそが、誰かの人の心の深いところに届いていくのだという確信だけで、僕は「つひまぶ」をつくっています。

そうやって、坂本さんとのご縁があって、「つひまぶ」の創刊号はできたのです。
おそるおそる坂本さんのところに持っていくと、
僕なんかじゃなくて、変人を載せないとおもしろくないよ、と、坂本さんは言うのでした。
僕にとって坂本さんは立派な変人ですよ。だから、特集させてもらったんです。僕がそんなふうに言い返すと、坂本さんは、ニヤッと笑っていました。

坂本さんは、この創刊号をとても気に入ってくれて、たくさんの人に、ほんまにたくさんの人に配り歩いてくれました。行きつけのお医者さんの待合室にまで。
お持ちした200冊はあっという間になくなり、何度も何度も、追加で持っていきました。おそらく、1000冊以上を。
のちに、あの記事はとても愛情がこもっていて、丁寧で、坂本さんのお気に入りなんだよ、と、べつのところからお聞きしたとき、涙が出そうになるほど嬉しかったな。

「つひまぶ」創刊号(2014.3発行)
坂本健一 坂本健一
坂本健一

読者の方から、いくつかのメールをいただいたこともありました。Facebookやtwitterで、僕宛にメッセージを送ってくれる人が、何人かいらっしゃいました。そこには、坂本さんへの個人的な思いとともに、あんなふうに坂本さんを紹介してくれてありがとうといったことが書かれていました。
それを読んだときも、涙が出そうになりました。

すべての人に読んでもらわなくてもいい、誰か一人でも、心の深いところに届いたり、心を動かしてくれる人がいたなら、「つひまぶ」はそれでいい。創刊号をつくったときの手応えから、僕は、そんなふうに思っています。
それはたぶん、坂本さんのポスターから感じたことかもしれません。
坂本さんのポスターもまた、亡くなられた奥さんや、誰かのために描かれています。

お通夜やお葬式は、坂本さんの希望でおこなわれず、今日、お店で、ご家族の方や彼のファンだった人たちが入れ替わり立ち替わり訪れて、最後のお別れをしました。
最晩年の坂本さんと競うようにして絵を描いておられた新進気鋭のイラストレータ・ひやまちさとさんから坂本さんの訃報をお知らせいただき、僕も、最後のおわかれをしてきました。
ちょうど今日、「つひまぶ」の最新号が刷り上がったところだったので、それをお持ちして、最後のおわかれをしてきました。
僕が坂本さんと触れ合うことができたのは、長い彼の人生の最後のほんのヒトコマだけだったけれども、それでもそれは、僕とっては忘れることのできない時間でもあります。
最後のおわかれをすることができて、本当によかったです。

さようなら、坂本健一さん。
天国で、大好きな奥さんとまた仲よく暮らしてください。
さようなら、坂本健一さん。
さようなら、坂本健一さん。

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